目標、宮ヶ瀬ダム。最後のアップダウンは耐えられるのか?
2018.9.23(日)
普段、平地走行がほとんどで、
いつか山の坂に挑戦をしてみたいと思っていました。
前々回に名栗渓谷へ行った時に断念してしまったので、
今日は、再挑戦で神奈川県の宮ヶ瀬ダムへ行ってみたいと思います。
果たして上れるのでしょうか?
環八を進みます。
前に通った時ほど信号に引っかからずストレスを感じません。
千川通りから関町1丁目の交差点に出て、
前回は、青梅街道を走りバスに抜きつ抜かれつがあったので、
裏道の千川上水沿いを選択。
千川上水
豊島区西巣鴨3丁目にある巣鴨庚申塚の溜池に至る用水路である。
延長30キロメートル。
開発は、幕府の命をうけて河村瑞賢が設計し、
多摩群千川村の農民太兵衛・徳兵衛が工事を請け負い、元禄9年(1696)に完成した。
その村名「仙川」の文字を「千川」に改め用水の名にあてた。
この上水は小石川御殿(現在の東大植物園)・湯島聖堂・上野寛永寺・
浅草御殿(浅草寺)など将軍御成関係地への飲料水供給を
主目的とするものであったが、余水を小石川・本郷・浅草など江戸市街北部に給水し、
恩恵を受けた地域は80ヵ町に及んだ。
境橋から小金井橋まで上水に沿って走り、
左折をして小金井街道を南下していきます。
府中の米軍基地の横を通り、国道20号線から本宿交番前へ。
そこから都道18号線に入り、再び南下。
多摩川の関戸橋を渡って、ひたすら多摩ニュータウン通りを進みます。
小山内裏トンネルを抜け、町田街道に出る手前に田端環状積石遺構はありました。
田端環状積石遺構
1968年、畑を耕作中に偶然発見された、
縄文時代後期から晩期(約3500年から2800年前)の墓地・祭祀場です。
30基の墓からなる集団墓地が形成された後、
その上に9×7メートルの環状積石遺構(ストーンサークル)が
作られました。
現在は実物を埋め戻して保存し、その上にレプリカで遺構を復元しています。
京王相模原線多摩境駅から徒歩5分という日本で最も駅から近く、
また都内では唯一見学できる縄文時代のストーンサークルということで、
これは是非寄って見てみたいとおもいました。
町田街道に出ると、三ツ目交差点を左折して橋本へ向かい、
五差路を津久井広域道路を進みます。
相模川にかかる新小倉橋を西側まで一気に下り、
平行する旧道へ入ると、
ダウン、アップの繰り返し。
少しきつく感じてきました。
その長さは徐々に増し、串川橋を左折し上って行くと、
よく話題に出てくるオギノパンがあらわれました。
広い駐車場に車がいっぱい。
ローディも休憩しています。
帰りに寄っておみやげに名物のアンパンを
買っていきますか・・・。
そう思いながら通り過ぎていくと、
休日観光のため交通量もそこそこあり、
渋滞も出始めました。
長い下り坂に入り、途中寄りたかった服部牧場への分岐を右折すると、
急な上り坂が目の前に。
上り始めはペダルをこぎましたが、
すぐに無理と判断。
降りて押す羽目になりました。
何とか坂の頂上が見えると同時に、
服部牧場の標柱が視界に入ってきました。
ここまでやってきたぞ!と記念撮影。
服部牧場は昭和44年(1969年)、乳牛中心の農場として開場し、
51年から3年かけて近代牧場へ整備しました。
神奈川県下随一の広さと規模の牧場で
牛たちものびのびと育っています。
動物達を飼育するキング式畜舎の赤い屋根と
力強く動き回る緑のトラクターが整然と広がる10haの農場と青い空に映え、
その情景はヨーロッパ諸国、イギリスやドイツの田園風景
または日本の北海道を思わせます。
時刻は、すでに正午。
ファミリーでいっぱいになっています。
敷地内には、服部牧場アイスクリーム工房 カサリンガや、
ソーセージ工房メッツゲライ・ハットリなどがあり、
ちょっと珍しいフライシュケーゼサンドと、
土日祝限定のポテトを狙っていたのですが、
混雑ぶりと時間の関係で泣く泣くあきらめました。
敷地内の道路沿いに置かれた、
トラクター・アタッチメント類。
牧場のディスプレイの一つになっています。
コスモスの花を入口をきれいに飾っています。
韮尾根トンネル 入口
ここを通らないとダムの上に行けないようです。
韮尾根トンネル 出口
1983年3月開通。
延長615m。
車ではあっという間でしょうけど、自転車でトンネルを走るのは初めてで
とても長く感じました。
また、内部は危ないので歩道を進んだのですが、
水が裂けめから流れ出していて、路面にチリや埃、土などが溜まっているため、
泥となって自転車を汚しまくります。
トンネルを抜けて、宮ヶ瀬湖畔に出てきました。
宮ヶ瀬湖
中央奥は、丹沢山。
ダムを側面から見てみる。
宮ヶ瀬ダムは、東京都心から約50km、
横浜や川崎の市街地から約40kmという近さの場所にある、
首都圏最大級のダムです。
このダムは皆さんの暮らしや安全を守るために、
平成13年に神奈川県のほぼ中央を流れる相模川に注ぐ支流のひとつ、
中津川に完成しました。
ダムの上部
現在、神奈川県に欠かせない水源地となっています。
恵まれた自然環境と、東京、横浜から日帰り圏内にあるというロケーションから、
自然公園としての機能をもった首都圏近郊の観光スポットとして、
年間を通じてたくさんの方々がここを訪れています。
ダムの中央からのぞき込む。
手すりも他よりなぜか低くなっていて、
スリル抜群です。
うしろから足を抱えられたら、簡単に越えて転げ落ちそうです。
ダムの上部と下部を結ぶのは、
インクラインと呼ばれる登山電車のような乗り物(有料)と、
エレベーターがあります。
エレベーターは自転車も可なので、
トンネルを経由しなくても手段はありました。
宮ヶ瀬ダムでおこなわれている観光放流は、
放流量が1秒間に30立方メートル、放流時間は6分間におよびます。
【実施日時】
毎週水曜日、毎月第2日曜日、毎月第2、第4金曜日
各日1回目11時、2回目14時(約6分間)
その他不定期日(イベント放流)
*12月〜3月は実施しません。
*天候により変更になることもあります。
大沢の滝
目の前の岩山をつたい流れる「大沢」は、これより奥、
高取山からの一尾根を挟んで出ている
「屏風沢」と「夕陽の沢」を源としています。
この沢が中津川に入る少し手前で岩を噛む数段の滝となり、
地元では、これを「大沢の滝」と呼び親しんでいます。
石小屋ダム
正式名称は「宮ヶ瀬副ダム」。
しかし、通称の「石小屋ダム」と呼ばれることのほうが大半で、
ダムカードも「石小屋ダム」と表記されています。
宮ヶ瀬ダムからの水量を調節する目的のダムなので、
石小屋ダム上流の水位は条件によって大きく変動します。
このダム下からオギノパンまで約1㎞の急な上り坂を考えると、
正直言って自信が無いし、
どんだけ~の時間がかかるのかわかりません。
半原日向の交差点で、マップを確認したところ、
ここから県道54号線を中津川に沿って進み、
相模川の高田橋を経由して行くと、
特にキツイ坂はなく橋本五差路へ出れるみたいなので、
このルートで行こうと思います。
しかし、考えてみたらオギノパンには行けなくなり、
フライシュケーゼサンドも食べられなかったので、
お腹が空いてきました。
どこかに適当な食事処はないか?と走っていると、
「パン工房 半原パン」という文字の看板が・・・。
素材にこだわった手作りパン。
天然酵母、白神こだま 神奈川中央養鶏産たまご 国産小麦など
素材にこだわり丁寧に焼きあげています。
道路のウラに入口があり、自転車ラックとテーブル、イスもあります。
ウインナーの入ったパンと、
栗のアンパンを買い食べました。
確かに生地は噛み応えがあり、しっかりしていて美味しい。
アタリでした!
相模川 高田橋
江戸時代中期に大山講が隆盛し(大山道)、
武州から相州大山への参詣者の渡河のために
久所(田名)・小沢(高峰)間に渡船が行われていました。
神奈川県道として整備された愛川・八王子線の一部となっていましたが、
度重なる洪水で渡船が流失破壊し、請願や寄付の結果、1924年 (大正13年)に竣工、
高峰と田名の頭文字を取って、高田橋と命名されました。
高田橋河川敷
子どもたちが、スゴいスピードで自転車をこいで周回をし、レースをしています。
多目的広場は、相模川の河川敷を利用した広場です。
広大な駐車スペースやトイレもあり、自由にバーベキューや水遊びや釣りができます。
北は「花と芝生の広場」、
南は「望地弁天キャンプ場」につながっており、
いろいろな楽しみ方ができるエリアになっています。
やっと、橋本五差路まで戻ってきましたが、
これから多摩ニュータウン通りを走り、多摩川を越え、
府中から小金井街道を進んで行きます。
前原坂上の手前で道が狭く渋滞していると思ったら、
ドンドンと響く太鼓の音。
小金井神社例大祭
直径2m近くはありそうな大きな太鼓が通っていきます。
シャッターチャンスでしたが、
少し間に合いませんでした。
だいぶ陽が傾くのが早くなってきました。
家に着いたのは、18:00過ぎ。
やっぱり坂は甘くなかったきょうのライドでした。
走行距離121.8㎞
獲得標高1,668m
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1859963232/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1537713307&utm_source=jp.ne.hatena.blog&utm_medium=referral
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
スパイスポストで+パクチーを注文。奇観!まるでエダムチーズの刺さった風景はなに?
2018.9.17(月)
巷では三連休。
だいぶライドしやすい気候になってきましたが、昼間はまだ汗が出ます。
今日は、間髪いれずに代々木八幡へ。
え?前回行ったじゃないの?
そうなんです。
行ったあとにテレビを見ていて後悔しました。
いま、関西でも流行っているスパイスカレーの名店があるのです。
9時から開店、昼過ぎには売り切れてしまうほどの人気店。
1分でも早く着かねば!
野方配水塔 Nogata haisuitou
みずのとう公園内にある荒玉水道の給水場につくられた塔です。
荒玉水道は関東大震災後、東京市に隣接した町村の急激な都市化による
水の需要に応じるため、13の町村が合同で設立しました。
塔の高さは33.6m、
基部の直径は約18mの鉄筋コンクリート造り。
設計は「近代上水道の父」と呼ばれた中島鋭治博士によるものです。
着工は昭和2年(1927)で完成は同4年。昭和41年(1966)まで使われていました。
解体計画もありましたが、災害用給水槽として平成17(2005)まで使われ、
現在は国の登録文化財として大切に保存されています。
少しでも早く着くために階段をかついで下りました。
東京メトロ千代田線代々木公園駅1番(八幡口)出口の前にお店はありました。
富ヶ谷一丁目倶楽部
10時すぎに到着。
ここは、バー「富ヶ谷一丁目倶楽部」及び「富ヶ谷たこ焼き倶楽部」の
ランチタイムに営業する二毛作店として、2017年4月にオープンしたそうです。
早くも3人組が中の様子をうかがっています。
お店の混み具合はどうでしょうか?
カウンターバーのような店内ですが、奥に4人がけテーブルもあります。
先客は、カウンターに2人とテーブルに2人。
スパイスポスト 本日のメニュー
●チキン&キーマカレー ¥1,050
●チキンカレー S¥650 M800
●キーマカレー S¥800 M¥950
【topping】
●パクチー ¥50
●西インド風ポテトサラダ ¥100
二種類のカレーと生卵。
カレーは、スープカレーに近くシャバシャバ系です。
食べていくと、いろいろな味が現れてきます。
チキンもゴロゴロたくさん入っていて、
香味野菜、蓮根やタケノコにひよこ豆と盛りだくさん。
もちろんスパイス効果も秀逸。
評判通りとても美味しく、ライスの量は普通にしましたが多く感じました。
強いて言うなら、二種類のカレーが混ざりあってしまい
区別がつかなかったことでしょうか。
そして、チキンカレーの追いがけが自由なんですが、
十分な量のルーがかかっているので、
追加ナシでも完食できました。
食べている途中、10時半前にはチキンカレーが売り切れました。
次はもっと早く来ないと、食べられないかも?
代官山 蔦屋書店を中核とした生活提案型商業施設
T-SITEは、4,000坪の緑豊かな敷地に、代官山 蔦屋書店をはじめ、
ペットサービス店、玩具店などが点在し、気持ちのよい散歩道でつながっています。
蔦屋書店のウラ側にある、入口を入っていくとすぐに見えてきました。
代官山トラ 【デザイン:長沢 明 談】
トラのフォルムがユーモラスで親しみが沸きやすいのと、
紙を切り抜いたようにものすごくシンプルで単純なので、
それが立体として立ち現れるのがイメージしやすかった様です。
作品は屋外での立体ですが、考えている事は絵(二次元)でしている事と同じです。
絵は一方向から見ている様ですが、描くときに三次元を想定していて、
そのレイヤを重ねている感覚があり結果としてそれが平面に見えています。
実は斜め横や後ろからや、本来見えないところのイメージが自分の中にあり
最終的に一面を表現しています。
ワンちゃんのリードフック
DOG GARDENの脇の通路にあった、
犬をモチーフにしたリードフック 。
レストラン シェ・リュイ
代官山のざわめきを抜けて、ちょっと気軽に立ち寄りたい友人の家。
といったコンセプト。
築70年の古民家を改装した一軒家のフレンチレストランです。
料理は主に南仏風のクラシックなフランス料理。
特に、店内にある竈で焼く炭火焼の料理がおすすめのようです。
2000本のストックがあるワインは、
フランスを中心に手ごろなお値段で揃えられています。
リストランテASO
創業1997年のイタリア料理店。
昭和初期に建てられた洋館を改装した店内は、
クラシックで優美な雰囲気が漂い、
庭にはスタッフが手入れをした色とりどりの草花が咲き誇ります。
ルネッサンス時代の建築様式による回廊やアンティーク家具など、
時を経て醸し出される心地よさが魅力。
樹齢300年のけやきをたたえ、
木漏れ日が射し込む中庭は、都心にいることを忘れさせてくれます。
PFS PARTS CENTER
各種パーツと生活雑貨を中心に、
自分たちが実際に使って心地よく思えるモノを販売しています。
「日常のどんな小さなことにも手を抜きたくない!」
と意識的に生活している人の
生活のパーツになり得るモノを提案しています。
恵比寿ガーデンプレイスは 1994年(平成6年)10月8日に開業し、
オフィスビル、デパートを含む商業施設、レストラン、集合住宅、
美術館などで構成されており、事業主であるサッポロビールの本社も所在します。
施設の入口はJR恵比寿駅からおよそ400m南にあり、
駅とは動く歩道「スカイウォーク」によって結ばれています。
北側半分が渋谷区恵比寿四丁目、南半分が目黒区三田一丁目になります。
通風筒カブト (カブト煙突)
このカブトは旧恵比寿工場の製麦棟乾燥室
(大麦から 麦芽をつくり 乾燥させる)の
屋根の通風筒に付けられていたものだそうです。
風が吹くと カブトが回り、通風筒の中に雨や風が吹き込むのを防ぐ役割を果たし
中世ヨーロッパ・騎士の兜に姿が似ている事から
カブト煙突と呼ばれたそうです。
大正3年ドイツから輸入されて以来約60年間にわたって
同工場のシンボルとなっていました。
オブジェ・宇宙の構成 (三澤憲司)
意欲的な野外アートで高い評価を得ている彫刻家・三澤憲司氏の作品。
お父上の三澤金蔵さんは、今年100歳。
恵比寿三丁目に住む「師匠」と呼ばれており、
家では書道教室をずいぶん昔からやっていらっしゃるそうです。
独特のタッチで描く
古代文字をアレンジしたアートを出展されています。
山手線新旧車両の競演
大丸跨線橋の階段付近は、すぐ横を山手線が通ります。
2017年5月からはその「量産車」も投入され、
将来的に山手線はすべての列車がE235系での運行になる予定です。
JR東日本によると、これまで山手線で使われていた車両E231系500番台は
今後、帯の色を黄色に変えて
順次投入されるということです。
アズールレーン 1周年 ラッピングトレイン
艦船擬人化ゲームである『戦艦少女R』やそのリスペクト元である『艦これ』と違い、
戦闘システムだけなら(本作は横スクロールだが)『東方project』や
『ゴシックは魔法乙女』に近い。
戦闘画面においては、自機としてSDキャラとなったKAN-SENが登場。
画面右側から現れる敵のKAN-SENと、量産型艦船からの攻撃をかいくぐりつつ、
通常砲撃(オート 発射・オート ホーミング)を当てていく。
一定の時間(参加するKAN-SENの能力で必要な時間が左右される)経過後に
航空攻撃・魚雷 攻撃・戦艦 の主砲攻撃がプレイヤーの任意で発射できる。
STGが苦手な人のためにオートプレイも実装されている。
何のことやらさっぱりわかりまへん!
大丸跨線橋上
山手線が目黒方面に内側へ交差していく。
大丸跨線橋から右前方に見えるのは・・・。
これはまさにGiant Edam Cheeseだ!
路地から見える不気味感!
なんなんだ、これは・・・の世界。
まるでエヴァンゲリオンの使徒が侵食したようにも見えるこの建物は、
日の丸自動車学校の校舎「サンバーストビル」のシンボルドーム。
日の丸をイメージしたものとか。左右の窓は日本画の雲のような感じ。
このドームの内部は回廊や階段があるだけの巨大な空洞。
希望者には個展用に貸し出しているそうです。
直径36mもあるこの球体は、
日の丸自動車学校(東京都目黒区三田)の建物に
隕石(いんせき)のようにめり込んでいる。
同校の名前にちなみ「昇る太陽」をイメージして、
建築家の芦原太郎氏がデザインし、完成したのは平成8年。
22年も前からあったのに、
見たことがなかったとは・・・。
STRAVAでは、Giant Edam Cheeseとコメントをした外国人がいました。
オランダで、ゴーダの次に生産量の多いチーズです。
輸入用には、赤いワックスがコーティングされているのが特徴で、
「赤玉チーズ」と呼ばれることもあります。
中身は薄黄色で引き締まっています。
マイルドなコクに加え後味に酸味があります。
そのまま食べられることの他に、粉チーズとしても需要の高いチーズです。
CAFÉ y LIBROS ラテン文化サロン
ラテン文化と日本文化は180度異なるといっても過言ではありません。
お互いの文化・思考は深く、多種多様です。
また、スペイン語圏には20数ケ国もあり、
スペイン語は、これらの多くの国々を理解する上でとても役に立ちます。
世界がグローバルになっている今、
ラテンの多種多様な文化、芸術、音楽は、
私たちを日本と違う世界に誘ってくれます。
CAFE y LIBROS では、イベロアメリカ(イベリア半島やラテンアメリカ)諸国の
文化、歴史、芸術を学び、知識を深める場を提供いたします。
長者丸踏切 Choujamaru fumikiri
かつてはこの一帯は長者丸という地名だったそうです。
今もこのあたりのマンション名に「長者丸」が含まれる建物を見ることが出来きます。
この踏切は旧貨物専用線のもので、
現在は新宿湘南ライナーなどの中距離電車が過密ダイヤで走っています。
高架の部分は、線路をクロスした山手線が通り過ぎていきます。
成田エクスプレスや、埼京線もここの線路を併用しています。
時間はまだ十分にあるのですが、
昨日100㎞オーバーして、明日は仕事があるので、
ここらへんで折り返すことにします。
天現寺、西麻布から外苑東通りを走っていきます。
現在、市谷仲之町から 道路の拡張工事をしていますが、
弁天町の手前に草間彌生美術館があります。
出来てまだ2年ほどですが、
完全にひっかかっているようです。
草間彌生美術館 Yayoi Kusama Museum
前衛芸術家・草間彌生が設立し、
草間作品および関係資料の展示を通じて草間芸術の普及振興を図り、
芸術全般の発展に寄与することを目的に、2017年10月に開館いたしました。
開館日 木・金・土・日、祝
開館時間 11:00~17:30 日時指定の完全予約・定員制(各回90分)
観覧料 一般1,000円 小中高生600円
前衛芸術家、小説家。1929年長野県松本市生まれ。
幼少期から幻視・幻聴を体験し、
網目模様や水玉をモチーフにした絵画を制作し始める。
1957年に渡米、ネット・ペインティング、ソフト・スカルプチャー、
鏡や電飾を使ったインスタレーションやハプニングなど多様な展開を見せ、
前衛芸術家としての地位を確立。
様々なオブセッションを乗り越え、
単一モチーフの強迫的な反復と増殖による自己消滅という芸術哲学を見出す。
以降、世界各地の美術館で展覧会を開催、
近年ではテート・モダンやポンピドゥー・センターでの
大規模回顧展が多大な反響を呼び、
2013年からの中南米巡回ツアーとアジア巡回ツアーでの動員により、
動員数200万人以上を記録。
これによりイギリスの美術専門誌「THE ART NEWSPAPER 」から
「2014年最も人気のあるアーティスト」と評される。
2016年に文化勲章を受章。
2017年より、ワシントンDCのハーシュホーン博物館と彫刻の庭を皮切りに、
北米ツアーが巡回。
今日のライドは、美味しいスパイスポストのカレーを食べて、
日の丸自動車教習所の巨大なシンボルマークを
この目で見てきました。
距離は40.1㎞と短めでしたが、
とても満足のいく一日でした。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1847026615/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1537197476&utm_source=jp.ne.hatena.blog&utm_medium=referral
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
ジョンソンから、トーベ経由、名栗の熊出没注意でUターン!
2018.9.16(日)
ツール・ド・東北の応援ライド(50km以上)は
今日が最終日なのと、
September Gran Fondをまだ達成してないので、
一気に100kmオーバーと行きますか。
でも、曇天で山へは少し天気が心配。
川越街道を下り、和光から新座方面へ。
外環沿いで信号待ち。
紫の小さな花がきれいです。
新座市から清瀬市への途中、
栗林があり道路までころがっていました。
清瀬市下清戸の長源寺
黒塀に白ロゴのデザインがオシャレ。
曹洞宗寺院の長源寺は、清戸山と号します。
長源寺は、全龍寺を創建した玉室應珍(慶長18年1613年寂)が開山となり
創建したといいわれています。
県道24号線の東所沢側と清瀬側を結ぶ新しい道路。
所沢方面へ進み、国道463号線を北上します。
ジョンソンタウン
帝国陸軍航空部隊の豊岡陸軍飛行場(現・航空自衛隊入間基地)は
太平洋戦争の敗戦によりアメリカ陸軍航空軍第5空軍に接収され、
後に「ジョンソン基地」と命名されました。
そのときに米軍人が住んでいた米軍ハウス群を残した区画で、
現在もあえてアメリカ風の街並みを残しています。
前々から一度来てみたかった場所でした。
日曜日の10:30なのに、
ほとんど人がいなくて拍子抜けです。
しかし、その分ゆっくりとまわりながら写真をとることが出来ました。
タウン内は、Speed Limit 8kmです。
やっぱりアメ車は町にマッチングするなぁ。
THE SOUTH
ジュラルミンのキャンピングトレーラーAIR STREAMを使った
アメリカ南部料理とビスケットの店。
Blue Corn
猫カフェ nikemin house
フレンドリーな猫達と遊んで
ほっこりまったりと癒さたい方。
利用料金 ※30分
大人600円 子供300円
60歳以上シニア500円 (自己申告制)
これは完全にディスプレイ状態?
ウォークボードテラスと庭がイイ感じ。
アメリカンな雑貨屋さんMiMi Mom
青い小さな町のポストがかわいい。
ANANSE TONTAN (アナンセトンタン)
委託販売をしたい方たちの
ハンドメイドの雑貨を販売しているショップです。
Mellow Food CAFE
緑の木々に囲まれたテラス席にはハンモックがあり
インテリアは海辺のBEACHハウスをイメージ。
店内で販売される無国籍な雑貨や輸入食材なども
カフェに彩りを添えています。
Iruma Airbase Outdoor Display
輸送機「C-46D」(91-1145)
カーチス・ライト社が製造した輸送機。
昭和29年、航空自衛隊へ36機が配備。
要撃戦闘機「F-104J」(56-8666)
ロッキード社が開発した超音速ジェット戦闘機。
地対空誘導弾「ナイキJ」
アメリカ製の地対空ミサイル。
トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園
平成9年の開園から20年を過ぎてもなお、
たくさんの人に世代を超えて愛されています。
この公園は、
手紙のやり取りから生まれました。
爽やかな風や
木漏れ日を感じながら、
誰もがそれぞれくつろげる空間です。
園内には、木造で美しい曲線が印象的な3つの建物があります。
全て建築家・村山雄一(むらやまたけかず)氏が設計したもの。
きのこの家
名前のとおり、きのこのような形の建物。
きのこの家は外観だけでなく、
内部は妖精が住んで居るかのような台所や居間・暖炉があり、
隠し部屋のようなところも。
どこでも好きなように登ったり降りたり、
かくれんぼしたりと自由に過ごせる空間です。
ホールの下のこの場所は、
池の水音が響く洞窟のような空間にトイレと管理事務所があります。
TOVE JANSSON
1914年、ヘルシンキ生まれ。
画家、挿絵作家、風刺漫画家、小説家、童話作家であり、
フィンランドが生んだ偉大な作家のひとり。
「ムーミン」シリーズを発表し、世界的に高い評価を獲得。
国際アンデルセン賞をはじめ、数多くの賞を受賞 。
国際アンデルセン賞をはじめ、数多くの賞を受賞。
屋根には、ムーミンに出てくるニョロニョロのような妖精たちが。
コンサートやいろいろなイベントが行われるホール。
樹齢100年を超えるヒノキの丸太を使用したドーム状の屋根や、
窓、照明の形もおもしろい。
平成30年秋に「メッツァビレッジ」
ムーミンのテーマパーク(総称・メッツァ)
がオープンする予定です。
五十嵐醸造
飯能の地酒「天覧山」の初代久蔵は、
青梅の「澤乃井」小沢酒造につとめていましたが、
独立して飯能の地で酒造りを始めました。
天覧山の酒蔵は、名栗川と成木川の合流点に接して建っています。
空気は澄みわたり、
きれいでやさしい奥秩父からの、伏流水を井戸から汲み上げています。
飯能の素晴らしい大自然「緑と清流」が軽くて、
キレの良い天覧山を育んでくれるのです。
般若山 長寿院 観音寺
(はんにゃさん ちょうじゅいん かんのんじ)
弘仁元年(810年)創建
「月刊コミック アース・スター」で連載中の
“ゆるふわアウトドア”コミック『ヤマノススメ』に登場する
白い象の像が特徴的なお寺で、
アニメではあおいたちがアイスやソフトクリームを食べる場所として登場しています。
お寺の前の通りはあおいとひなたの通学路でもあるようです。
(金~月のみ営業)、
興味津々でお昼にしようと、
さつまいも天ぷらをのせた冷やしうどんを注文しました。
お寺うどん
すすめられたゴマと七味唐辛子をふりかけて食べてみると
ほどよいコシでとても美味しい。
のんびりした雰囲気の中で食べるうどんは格別。
鉄腕アトム像
お寺うどんを後にして、先の図書館西交差点を左折すると、
間もなく飯能中央公園が見えてきます。
何でも世界で唯一の鉄腕アトム像だそうで、
1983年に飯能成年会議所十周年記念事業の一環として立てられたものだそうです。
当時副理事長をされていた方がかつて虫プロに在籍していたこともあり、
記念事業として提案し実現したとのこと。
空に飛び立て、アトム!
アスレチック遊具の脇に設置されています。
銅像の大きさは、等身大の身長1.4mです。
古民家レストラン ぽれぽれ
入口から塀にかけての野菜オブジェがおもしろい!
名栗川
荒川の支流入間川のうち
南東流して飯能市街に至る。
長さ約24㎞。
流域一帯は、西川材とよばれる有名な林業地で、
両岸にはスギ、ヒノキが植林されている。
また、流域の一部は名栗渓谷で、
奇岩と渓谷美に富み、観光客でにぎわう。
赤沢橋
ここから先は、見るからに山深くなっていきそうです。
ふと、左を見ると大仁田山への登山口。
隣にある立て札には、
なんと、熊出没注意!ですと?
しかも、さらにその横には、
毒蛇注意!の立て札。
有間ダムまでは、まだ約5kmくらいはあるでしょうか?
本日は、ここまで。
とっとと帰りましょう!
名栗渓谷は、澄んだ水が流れ、
緑の木々が美しい。
行きに通りすぎた、かき氷180円の文字。
寄ってみることにします。
縁側びより
つぶつぶいちごのかき氷
民家の庭先に お持ち帰り専門の小さなお店。
庭先にイスがあり腰かけて、かき氷を頂いてきました。
ご主人が話好きで、
私の自転車を眺めながらいろいろと質問をしてきました。
板橋から来たと言うとビックリされていました。
こちらに来たら、また寄ってくださいね!
の声に送られて、帰路につきました。
115.7㎞か・・・
思ったより距離がいきませんでしたね。
まあ、雨にも降られず、気温もさほど高くなく、
良いライドでした。
今度は、1時間早く出てダムまで行きたいな。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1844648188/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1537094522&utm_source=jp.ne.hatena.blog&utm_medium=referral
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
立石バーガーが気になって、お昼過ぎてから出かけてみた。
2018.9.9(日)
昨日と同様、今日もそこそこ暑いです。
出だしが大変遅くなってお昼を過ぎてしまいました。
夕方まで戻ってくれば、
40~50㎞ぐらいはライド可能なので、
情報にあった、立石バーガーを食べに行きたいと思います。
久々に赤羽から荒サイに入っていきましょう。
おなじみの旧岩淵水門
バーベキュー広場は、やや少なめのにぎわい。
サイクリストは、多くもなく少なくもなくといったところでしょう。
しかし、向かい風が強い~!
虹の広場
今の時期、花はほとんどないが、
地域の方々が次の準備のための手入れをされています。
コンクリート部分は、レインボーカラーのペイントが施されていました。
小休憩を終えて、次はもう堀切橋。
京成本線の鉄橋を、スカイライナーが颯爽と通り過ぎる。
そうだ、土手を上がったら次の通過車両を撮影しよう!
信号を渡ると、線路間際まで近づける場所があった。
スカイライナーは、今の時間帯だと20分おきに運行されているので、
10分前後待てば通過するはず・・・。
スカイライナー45号(下り)
上りを狙っていたら、下りが先に来た!
スカイライナー18号(上り)
キターーー!
スカイライナー18号(上り)
超~至近距離!
すっかり撮り鉄になっている。
若干興奮気味になりながら、満足をして橋を渡ります。
モッチーピザと立石バーガー(店名)
謎の自販機、立石バーガー。
住所は堀切なのに、立石バーガー。
300円の立石バーガーを注文するとその場でハンバーグを焼いて作ってくれました。
持ち帰りできます。美味しかったです。
というコメントを勘違いして行ったので、
自販機を見て、100円なんだ!
と喜んだが・・・。
100円を右上に入れる。
4種類(チキンバーガー、ベーコンバーガー、ハムカツバーガー、立石バーガー)
どれにしようか?
ベーコンバーガーに月例報告人気急上昇⤴とある。
おすすめにのってみるか?と木の丸いボタンを押すと、
下からラップにつつまれたパンがゴロンと落ちてきた。
支えになっていたプレートに
ありがとうございました。の文字とイラストが描かれている。
なんとも駄菓子屋感覚でおもしろい!
早速、食べてみることに。
見た目は、ややショボい感じがする。
具はベーコンというよりチキンのようだが
(置き場所をまちがえたか?)
パンは噛み応えがあり、具材の味も美味しい。
今度は、違うのを食べてみよう。
100円分を堪能して、堀切菖蒲園でもいってみましょうか。
しょうぶ七福神
ここには元々「毛無池」と呼ばれる池があり、
大正15年にその池を埋め立てた際「弁天社」が建立されたことが始まりで、
当時はその名の通り弁天様のみがまつられていました。
そして時代は流れ平成6年、堀切のより一層の繁栄を願う意味で、
七福神がこの地に大集合となったのだそうです。
堀切菖蒲園 Horikiri syoubuen
200種6000株と希少な品種も含まれる
数多くの江戸菖蒲を楽しめる菖蒲園です。
大好物の入園無料とはいえ、
完全に時期外れで暑い時間帯なので、
まったく人がいません。
年間を通して四季折々の樹木や花を楽しむことができます。
花菖蒲の観賞は、約800年前から始まっていたと言われてますが、
栽培が行われた記録は江戸時代の1660年代で、
尾張藩主・徳川光友が植えて観賞したというのが初めのようです。
最も花菖蒲の改良に貢献したのは幕府の旗本・松平菖翁で、
各地から野生の花菖蒲の変り咲きを集め、苦心して交配を続け、
今日に残る多くの名花を作出しました。
武士階級の園芸趣味の流行が一般庶民にまで移り、
江戸を中心に発達した花菖蒲を江戸花菖蒲と呼んでいます。
松平菖翁より花菖蒲を分与された肥後藩主細川斉護侯が国もとの熊本に送ったものが、
明治時代の愛好者たちによって改良され今日に至ったものが
肥後花菖蒲と言われています。
一方、伊勢松阪の紀州藩士・吉井定五郎によって、
三弁咲きで垂れ咲きになる品種などが作出され、
伊勢花菖蒲と呼ばれる品種群が出来上がりました。
また、明治初年に始まった花菖蒲の米国輸出により、
江戸、肥後系をもとにアメリカで品種改良されたものを
アメリカ系花菖蒲と呼ばれています。
園内休憩所には、堀切菖蒲園の写真や浮世絵が展示されています。
ガラスが反射して、きれいに撮れませんでした。
堀切菖蒲園をあとにして川沿いに出ると、
変わった形状の大きな水門が見えてきました。
水門方面へ上れるスロープがあるので、行ってみましょう。
堀切菖蒲水門 Horikiri syoubu suimon
堀切菖蒲園のすぐそばにあることから命名された堀切菖蒲水門は
東京の水門としては多摩川の六郷水門と双璧といえる
ユニークな形状の水門です。
これは「二段式ローラーゲート(シェルタイプ)」
というそうで、
ゲートは一見すると円筒状のようですが、
じつはカマボコ形のゲートが2枚合わさった形で、
水門閉鎖時には2枚のゲートがそれぞれ別々に下降して
2段(つまり円筒の倍の高さ)のゲートで水路をふさぐ形式なのです
(門扉の高さは9.5メートル)。
なぜこのような形式を採用したかというと、
通常の1枚のローラーゲートでは
ゲート開放時に高さ制限にひっかかるためだそうです。
そもそもこの水門設置のきっかけは
平成3(1991)年9月の台風18号による綾瀬川の氾濫です。
流域で降った大量の雨により綾瀬川が増水する一方で、
この川は合流する中川を通じて
東京湾の潮の干満の影響を受ける感潮河川でもあり、
満潮時には水が海や中川から逆流してくるため、
効率的な排水ができずに被害が大きくなりました。
そこで綾瀬川増水時に中川からの逆流を阻止する堀切菖蒲水門を設置すると同時に
水門の上流にある綾瀬排水機場の排水能力を
毎秒50立方メートルから100立方メートルに増強し、
綾瀬川の水を速やかに並行する荒川に放流し、
氾濫を防ぐことにしたわけです。
菖蒲をデザインした荒川の標識と東京スカイツリー
黄色くやや斜めにかかる堀切避難橋を渡り、
ふたたび首都高の下の道に出て、四つ木方面へ向かいます。
京成押上線四ツ木駅を左折し、100mほど先の左に入ったところに
四つ木つばさ公園があります。
キャプテン翼 大空 翼
四つ木つばさ公園の北側にあります。
キャプテン翼の像を見ながら、
子どもたちがボールを蹴って遊べるようになっています。
キャプテン翼 中沢早苗像
他の像は公園とかにあるけど、
早苗ちゃん像は道路に背を向けて郵便局の前に立っているので、
一度通り過ぎてしまいました。
これも、駅前の細い路地を入ったところにある
立石一丁目児童遊園の中にあるので、
見つけにくかったですね。
本日はここまで。
3時も過ぎたので、帰ることにしましょう。
ふたたび来た道を戻り、新四ツ木橋を渡って荒川の右岸を走ります。
往路向かい風で、スピードが出なかった分、
鬱憤を晴らすかのように、こぎまくります。
キッチンとれたてに5時前に入れたので、
ソフトクリームで小休憩。
コスモスの花も咲き始め、
一本の茎からいくつかの花を付けている
小ぶりなヒマワリも咲いていました。
多くのサイクリストが目にしている
魚を釣り上げる親子の像。
夕景の中の橋を渡り帰ります。
今日は、50㎞に満たなかったけど、
いろいろと楽しめました。
次はどこに行こうかな??
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1829066986/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1536510233&utm_source=jp.ne.hatena.blog&utm_medium=referral
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
なぜかシンゴジラの聖地巡りをしながら、かぁまたたたたーっ駅。
2018.9.8(土)
9月に入っての初ライド。
また、2週間ぶりになってしまいました。
週末になって、暑さがぶり返し、
最高32℃くらいになるようです。
午前中は比較的心地よく走りやすいかな?
17号を皇居めざしてLet's Go!
皇居前広場(西側)
多くの観光客、ランナーたちでいっぱい。
皇居前広場(東側)
ここから、第一京浜に突き当たるまで直進。
その後、品川方面へと向かいます。
東海道八ツ山口 Toukaidou yatsuyamaguti
これより品川宿を走っていきます。
品川浦船溜まり Shinagawaura Funadomari
品川浦はかつて漁港として豊富な水揚げを誇り、
海苔の主要な産地でもありました。
現在ではつり船や屋形船が舳先へさきを並べる船溜まりとなっています。
ここの地点は、シンゴジラ撮影のワンシーンに使われています。
アトリエ パレット
町並みの一角に、着ぐるみ?
見たことがあるご当地キャラだなぁ。
愛される幼児体型二頭身型着ぐるみ
一番主流なタイプらしいです。
頭を大きく見せて可愛らしさを表現。
制作費用は、38万円~
※造形の難易度、サイズ、仕様やパーツの数によって料金が変わります。
リピートの場合でも価格に影響しません。とあります。
ふなっしーは、自腹で38万出したのかな??
溜屋横丁 Tameya yokochou
法禅寺の前から海岸へ出る横丁で、
利田新地へ渡る鳥海橋(後の品海橋)に海岸線で通じる横丁です。
古いままの土壁と錆びた鉄の扉が、
何とも言えない風情を醸し出しています。
浜川砲台 Hamakawa houdai
この砲台は「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」を
原寸大(全長 3メートル、車輪の直径 1.8メートル)で再現したものです。
現在の浜川中学校を中心とした地域は、
立会川河口左岸には、ペリー再来航後の安政初年に砲台が設置されました。
たくさんのお年寄りが、ウォーキングツアーよろしく
散策をしています。
一足早く訪れていた方に、カメラの記念撮影を頼まれました。
若き日の坂本龍馬は、警護のために立会川河口まで往来していたとも言われ、
北浜川児童遊園には「二十歳の龍馬像」が建てられており、
このあと見に行きましたが、公園内の木々伐採中で、
龍馬像には、シートがかぶせられていて拝顔できませんでした。
旧道を進んで行くと、鈴ヶ森刑場跡から再び第一京浜に合流します。
京急蒲田駅までは、ひたすら車と競争?状態。
左折するわけでもないのに、幅寄せしてくる車。
自転車の横をすれすれで追い越していく車。
自転車を乗らない人がとる行動です。
今日のお楽しみの一つに近づいてきました。
京急蒲田駅に着いたはいいけど、西口、東口ともに正規の駅名標。
くまなく一周するが、見当たりません。
まさか、駅中の二階の改札の前なのか??
西口ロータリーは、二階建て構造になっていて、
見上げてみたら、それらしきものがありそう。
駅周辺は、放置自転車を徹底して取り締まっているようで、
駐輪場を探すと、ビルの地下にありました。
これで安心をしてロータリーの階段を昇れます。
2018.9.17まで限定駅名標
かぁまたたたたーっ!
ついに見つけた!
これを求めて蒲田までやってきたのだから、
見つけずには帰れないところでした。
無事に記念撮影後、駐輪場(時間が短かったので、無料)から出庫して、
駅のすぐ脇を流れる呑川沿いに進みます。
呑川新橋
ここも、シンゴジラの撮影地。
庵野家の猫ちゃんたちをそれとなくアピールした
『ジャック&サリー ねこ病院』のピンクの看板が
印象的なあのロケ地です。
看板はCGによって加工されていたようです。
ここからは、産業道路を南下して環8大鳥居を通り、
羽田2丁目の交差点へ。
左折をして、首都高速1号羽田線をくぐります。
中華そば さとう
羽田穴守稲荷の隠れた名店というには、
ラーメン好きな方々には結構有名なようです。
穴入口を開けると、麦茶がセルフサービスで置いてあります。
料金は先払いで、中華そば中盛600円をたのみました。
中華そば以外には、トッピングとカレーライスしかありません。
待っている間に麦茶を一口飲んだら、とてもうまい!
程なく出てきた中華そばは、
煮干しと鶏で出汁をとっていてスープは黄金色。
とてもシンプルながら美味しい中華そばです。
珍しくスープを1滴残らず飲み干してしまいました!
穴守稲荷神社 Anamoriinari jinja
空港近くとあって、多くの外国人観光客と地元の方々が参拝に来ています。
なかなか撮影のタイミングがむずかしい・・・。
社伝によれば、1804(文化元)年頃、
現在の羽田空港敷地内にて羽田猟師町(現羽田2丁目・6丁目付近)の
名主、鈴木弥五右衛門が中心となり新田の開発(鈴木新田)を行った際、
激しい波のため沿岸の堤防に大穴が開くなどして決壊し、
甚大な被害が発生した。
そこで村民らは堤防の上に稲荷大神を勧請し祀ったのが
当社の創建とされる。
以降は波の害も落ち着き、豊かな田園となった。
「穴守」の冠号は「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う」
という御神徳を称えている。
江戸時代には、この「穴守」という名から転じ「(性病から)守る」に通ずるとされ、
遊女達の信仰も集めた。
鳥居の連なる参道の先に奥之宮が坐す。
一番手前にある鳥居に大きく書かれている大丸屋さん。
住所が上板橋と西池袋となっていて、
何でここに奉納をしているのだろうと思ったら、
大丸屋さんは質屋で、商売繁盛の穴守稲荷神社に寄進したようです。
奥之宮の社殿右脇には築山稲荷、反対左側にも小祠が鎮まる。
社地の北側には環八が通っていますが、
幹線道路の喧騒を忘れさせる神域となっています。
御神砂がいただけるのはこちら。
足元に置かれた金属製の箱に砂が収められており、
用意されている封筒に詰めて持ち帰ることができるそうです。
南参道脇には狐塚社、
その後方には神楽殿。
穴守稲荷神社の敷地内は鳥居だらけでした。
辨天橋から大鳥居を望む
辨天橋東詰にある鳥居は穴守稲荷の旧大鳥居です。
平和と掲げられた大鳥居
1929(昭和4)年、京浜電気鉄道により奉納された大鳥居は、
GHQによる旧社地の強制接収後も残されてました。
撤去しようとすると負傷者や死者が出た
というのは事実ではないそうですが、
周囲が空港駐車場となった後も解体されることはありませんでした。
その後新B滑走路拡張に伴い撤去が検討もされましたが、
元住民などによる保存運動の結果、移転保存の運びとなり、
1999(平成11)年2月4日、旧地から800m離れた現在地へ移設され、
羽田平和の大鳥居と改称されました。
横を流れる多摩川は、釣り人でにぎわっていました。
旅客機が数機見えます。
本当はB滑走路から飛び立つ機影を下から撮りたかった!
のですが、遭遇できませんでした。
天空橋駅へと地下に入るモノレール
羽田空港が終着地なので、
これから帰路に入ります。
JRの線路を目指します。
東海道線のアンダーパス桐畑地下道は縄文の道と呼ばれ、
通路中ほどに、大森貝塚復元模型(出土した貝を使用)があります。
池上通りに出て左折すると、まもなく大森貝塚遺跡公園が見えてきました。
大森貝塚遺跡公園
モース博士が発掘した大森貝塚は
現在、大森貝塚遺跡庭園として整備されています。
貝塚とは大昔のゴミ捨て場で、
貝以外にも動物の骨・土器・石器など様々なものが見つかっています。
モース博士像
明治10年(1877)6月横浜から新橋へ向う車窓で、
大森貝塚を発見しました。
そこで土器、石器、人骨など多数の資料を発掘し、
その成果を『SHELL MOUNDS OF OMORI』として刊行しました。
この発掘が日本の考古学、人類学などの発展に大きく貢献するとともに
日本の先史文化を海外にも広めました。
貝層
この貝塚から出土した海の生物の骨
スズキ、クロダイ、マアジ、サバ、ヒガンフグ、ウナギ、トビエイ、ウミガメ
陸の生物の骨、鳥の骨
イヌ(埋葬されたと考えられている)、ガン、カモ
青物横丁から旧道に入って往路を戻りま~す。
本日の東京タワー
青空に映える赤白のコントラスト。
今日も盛りだくさんのライドでした。
中華そば、美味しかったな・・・。
また行こう!
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1826592779/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1536390234&utm_source=jp.ne.hatena.blog&utm_medium=referral
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
トトロくんに引かれて深大寺参り。〈そばを食べ忘れるの巻〉
2018.8.26(日)
激暑もすっかり戻ってきて、
外出はなるべく避け、涼しい室内に移動してください。
運動は原則中止し水分を補給しましょう・・・。
自分のスタイルとしては、
原則天気の良い日は、ライドしましょう。
雨天、夜間は、ライドを控えましょう。
もちろん、水分補給や栄養補給、休憩はこまめに 取るようにして、
自己管理を怠らないようにしています。
今日は、ライド・コンダクターにトトロくんを迎え、
ワクワクツアー開始です!
井の頭公園 Inogashira kouen
西側には井の頭自然文化園、御殿山の雑木林、
玉川上水、西園の運動場などの名所が点在する都内有数の公園となっています。
花見の名所であり、また、井の頭弁財天などの史跡などもあり、
子供から大人まで幅広い年代の人が楽しめるスポットとして、
四季通じて多くの人が散策に訪れています。
ボート乗り場
今日は日曜日ですが、さすがにこの暑さなので人出も少なく、
ボートもたくさん余っています。
井の頭弁財天
弁財天(弁才天)はもともとは
このサラスヴァティーとは聖なる(豊かなる)河といった意味で、
水の神様とされてきました。
井の頭弁財天も井の頭池の中におまつりされています。
このあと、自然文化園にある彫刻園に行きたかったのですが、
有料なのであきらめます。
※基本、自分のライドで寄る場所は、無料のエリアのみ。
三鷹の森ジブリ美術館 Mitakanomori jiburi bijutsukan
吉祥寺通り沿いに三鷹の森を進んで行くと、
ヨーロッパの地方にあるような建物が見えてきました。
「三鷹の森ジブリ美術館」の看板が立っています。
看板の前に到着すると、おっきなトトロが受付でお出迎え。
穴をのぞけば、まっくろくろすけもいます。
ここは、ニセの受付になっていて、
トトロが本当の受付の場所を教えてくれます。
知っていそうで知らないトトロのことー!
トトロ(大トトロ)
名前の由来はメイに名前を聞かれた時、
トトロが「ドゥオ、ドゥオ、ヴォロー(眠いよー)」という声を上げ、
これをメイが名前だと思い込んだことによる。
初期の設定での名前は「ミミンズク」。年齢は1302歳。
トトロ(中トトロ)
名前は「ズク」。年齢は679歳。
トトロ(小トトロ)
名前は「ミン」。年齢は109歳。
ジブリ美術館は、日時指定の予約制となっています。
但し、入れ替え制ではありません。
チケット(入場引換券)は、全国のローソンだけで購入できます。
まっくろくろすけ(ススワタリ)
草壁家に住んでいた、イガ栗のような形をした黒い生き物。
おばあちゃんはススワタリと呼んでいる。
ネコバス
実際のバスのように行先表示窓(方向幕)があり、
迷子になったメイの元に向く際は「めい」、
サツキとメイがこっそりお母さんを見舞いに訪ねる際には
「七国山病院」(本編では、「院」が上下逆になっている)、
巣に戻るときは「す」など、状況に応じて行先が表示される。
昔はカゴ屋に化けていたが、
人間のバスを見てからバスの姿に化けるようになったという。
駐輪場のかわいいサイン
屋上に配置されているロボット兵
劇中では「ロボットの兵隊」「ロボット」と呼ばれている。
外観は、丸みを帯びた三角形の頭、歪んだメガネの様な大小の目
(目の様に見える部分はビーム砲であり、
中心の赤く点滅する二つの点が恐らくセンサー)
長く蛇腹状の平たい腕と大きな手、同じく蛇腹状の脚、
甲冑の様な胴体、等が印象的であり、胸にはラピュタ帝国の紋章がある。
全高3.5m。
劇中では材質が何なのか解明されていないとムスカが語っているが、
設定では形状記憶弾性セラミック製の躯体であるとされる。
青渭神社 Aoi jinja
第六十代醍醐天皇の延長五年(九二七年)に編纂された
『延喜式(えんぎしき)神明帳』所載、
武蔵國多摩郡八座の内にて官祭の社で、
重き御社であったと伝えられている。
御祭神は水神様で、青渭大神(あおいのおおかみ)
・水波能売大神(みずはのめのおおかみ)
・青沼押比売命(あおぬまおしひめのみこと)である。
往古は、社前に凡そ五町歩余の境内地があり、
大池に滾々と湧き水あり、青波を湛えていた所から青波天神社とも称された。
青渭・青波共に水の意であり、
『渭』とは広遠に波立つ様を云い水面に打ち寄せる意で、
水神様を祀った古社である。
大ケヤキ
鳥居に向かって左側にあり、
幹囲いは目通り凡そ5.5メートル・高さ34メートル、
樹齢600年から700年の老樹であるが、
現在もなお樹勢旺盛である。
ケヤキは古名を槻(ツキ)と云い、
『新編武蔵風土記稿』に「社ノ傍二囲一丈五尺アマリノ槻ノ老樹アリ」、
また『江戸名所図絵』にも
「社前槻の老樹あり、数百余霜を経たるものなり」などと見えて
文化文政期(1804~30年)から既に目立つ巨木であった。
調布市内現存最古の樹木で、昭和47年4月市天然記念物に指定された。
深大寺東参道 Jindaiji higashisandou
深大寺は、東京都調布市にある約1,300年の長い歴史を持つ天台宗の仏教寺院。
本名「浮岳山・深沙大王寺」
浮岳山は当時、多摩川から北の方を見ると、
葦原の河原の向こうに城山が浮いたように見えたので
「浮岳山」の名が付いたそうです。
また、「深沙大王寺」の1文字づつを取り、深大寺。
水の神様です。
東京都では浅草の浅草寺に次ぐ古刹です。
多聞院坂 Tamonin no saka
当の多聞院は、深大寺の子院で、現在同場所になく、
明治6年、深大寺小学校が多聞院の建物を借用し
開校したという経緯があるそうです。
不動之瀧 Fudou no taki
東京都の名湧水57選にも入る「不動の滝」は、
不動堂 Fudoudou
山門より東、約80メートルほど離れたところに不動堂があります。
幕末の深大寺炎上の際にその難を逃れ、
『不動堂再建願』なる文書の記載から判明しています。
山門 Sanmon
参道より一段高い寺の敷地の入口に立つ正門で、
正面には「浮岳山」の山号額を掲げています。
慶応元年(1865)の火災の際にも常香楼とともに被災をまぬがれた建物で、
現在、山内で一番古い建物です。
屋根裏にあった棟札には、元禄8年(1695)に1,000人の寄進者・人足によって、
このあたりの地形と山門の普請が行われた。と記されています。
鐘楼 Syourou
文政12年(1829)に建てられた旧鐘楼は、今の大師堂裏の高台にありましたが、
幕末の大火で消失し、その後、明治3年(1870)に、
山門を入った右手に位置を移して再建されたのが今の鐘楼です。
基壇の上に、内転びの四本柱を立て、入母屋茅葺きの屋根を載せていましたが、
昭和29年(1954)の銅板葺きに改められました。
境内 Keidai
梁の木鼻には獅子・象の彫りもの正面の三段の虹梁の間には龍、
破風板の下には鳳凰の彫り物があって、江戸時代らしさが表現されています。
本堂 Hondou
江戸時代の本堂が幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は仮に、
再建した庫裡に安置されていましたが、大正8年に今の本堂が完成しました。
旧本堂は寄棟造りの茅葺き屋根でしたが、
再建本堂は入母屋造りの棧瓦葺きに変わりました。
正面十間、側面八間(一間は1.8m)という規模は、
昔より少し大きくなっているようです。
外側を雨戸付きの硝子窓とし、
腰を下見板張りとするやり方は昔から変わっていませんが、
正面中央の上り口だけは、禅宗様の棧唐戸の引き戸になっています。
元三大師堂 Gensandaishidou
慈恵大師(元三大師)像を安置しているのが、この大師堂です。
江戸時代の大師堂は、本堂の西南(新しい手水屋の在る辺り)に
東向きに建っていましたが、幕末の火災で類焼したので、
本堂西の崖地を削って造成した敷地に位置を移して再建されました。
鬼太郎茶屋 Kitarou jaya
門前には、趣のあるたくさんの蕎麦屋、食事処があります。
その中で、ひときわ異彩を放つ店構えが鬼太郎茶屋です。
壁にはキャラクターの絵、
屋根瓦の上には大きな鬼太郎の下駄が乗っています。
鬼太郎茶屋
屋根にも妖怪!
大黒天と恵比寿尊
深沙堂参道に七福神の恵比寿尊と大黒天の、
まさに丈六仏を思わす大石像があります。
この尊像は当山篤信総代であった故御林清一氏の
邸宅の入り口に祀られていたものですが、
平成18年に縁あって当地に遷座されました。
福徳尊の扁額
家内安全、商売繁盛
笑顔振りまき、幸福に導いていただけるお顔立ちの石像です。
龍と虎の石像
深大寺巡りも終え、野川沿いに少し上って行きましょう。
野川 Nogawa
その名の通り、野に流れる川といった雰囲気は懐かしさを感じます。
調布飛行場門柱 Choufu hikoujou monchuu
調布飛行場は、昭和14年(1939年)、当時の東京府が三鷹村・調布町・多磨村に
またが調布飛行場る広大な畑や山林を半ば強制的に買い上げ、
多くの農家を移転させて建設に着手した。
この門柱は、東亰調布飛行場竣工時、正門として左右に設置され、
戦時中は、「東部第百八部隊」等と厚い大きな板に
墨書きされた表札が掛けられていた。
昭和16年(1941年)4月30日に竣工式が行われ、
公共用飛行場として「東亰調布飛行場」として開設された。
調布飛行場は、2001年(平成13年)3月31日、
正式な飛行場(都営コミューター空港)として開港。
東京都営空港の一つ。
正式名称は「東京都調布飛行場」で「調布空港」と呼ばれることもある。
都営空港とは、ここ調布飛行場、大島、新島、神津島、三宅島 と
全日空輸株式会社が羽田からフライトをしている八丈島の6ヶ所になります。
空港敷地内にある、子どもが遊べる公園
飛行機の遊具がかわいらしい。
調布飛行場をホームとする、
新中央航空株式会社で使用されている機種
Dornier 228-212 NG
乗員2名 乗客19名
全長16.56 m 全幅16.97 m 全高4.86 mm
エンジンHoneywell製 715 馬力 ×2
巡航速度355 km/h 最大航続距離2.485 km
就航路線は、大島(所要時間約25分)、新島(所要時間約35分)、
神津島(所要時間約40分)、三宅島(所要時間約45分)へ
4路線1日に各島へ往復2~3便を運航しています。
飛橋の水車
ほたるの里と呼ばれるこの地域は、野川の相曽浦橋と飛橋の間に広がり、
豊かな自然環境に恵まれています。
はけと呼ばれる国分寺崖線からは多くの湧水が流れ出し
野川に注ぎ込んでいます。
その水を利用して湿性花園、田んぼ、わさび田などが広がり、
年間を通して田植え・稲刈り・収穫祭などが開催されています。
5月には田圃の上にたくさんの鯉のぼりがひるがえり、
夏の終わりになると水田には稲が実り、
懐かしい里山風景を作り出しています。
水車の流れは、野川に注ぎます。
掩体壕 大沢1号 Entaigou Oosawa1
日本全国に残る有蓋掩体壕(ゆうがいえんたいごう:コンクリート製屋根付の格納庫)
は約100基といわれていますが、
調布飛行場横にある調布アヴィショナルパークに2基現存します。
旧陸軍飛行場であった調布飛行場。
数少ない戦闘機を米軍の空襲から守るために掩体壕の中に隠しました。
コンクリート製で、
少ない資材で大きな強度が得られるかまぼこ型をしています。
更に竹製の屋根だけを乗せた無蓋掩体壕が
30基の合計60基が短期間に作られました。
現存するものはわずか4基で、
そのうち2基がこの公園内に残っています。
この掩体壕は戦争の記憶を残す証拠とし、平和への語り部として保存されています。
公園周辺には掩体壕の他にも、
高射砲台座・弾薬庫・玉石水路などがあります。
掩体壕に格納されている飛燕
三式戦闘機「飛燕」Hien
外地では稼働率の低さに泣かされ、目立った戦果を上げられなかった三式戦闘機だが、
1944(昭和19〉年12月以降の本土防空戦では、
東京・調布飛行場を本拠にした飛行第244戦隊が、
B29爆撃機を160機撃破(うち撃墜は70機)し、
三式戦闘機の高性能を実証しました。
掩体壕全体の模型
244戦隊では、川崎航空機から技術者を呼び寄せて隊付き整備員の技術を向上させ、
ハ40エンジンの高い稼働率を実現。
機体から防弾鋼板や無線機、武装の一部などを取り外して軽量化し、
上昇力をカタログスペックよりも上げて
超高空を飛来するB29に立ち向かった・・・。
今日は、トトロくんと共にライドしました。
激暑の中、いつもにも増していろいろな情報を得られました。
50kmの距離もキープ。
・・・そういえば、深大寺そばを食べ忘れていた!!!
来週末は、少し涼しくなるのかなぁ??
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1797723692/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1535290314
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
アポさん入魂の限定黄泉の柚子切りと、絶品へそまんじゅう。
2018.8.19(日)
一気に秋の気配のような快適な気候になりました。
ロング再開するしかないでしょ!
昨晩、ツイッターで以前から気になっていた
青梅のニウギニさんから、情報がはいってきました。
黄泉の柚子切り ¥1200
8月19日限定
石臼挽き粉に柚子を練り込み十割切り
精進出汁の梅酢つゆ
薬味に
黄金おろし(大根おろし柚子和え)
アガスティアの葉(大葉)
数はあえて申しませんが数皿です
繋がるか繋がらないかは私次第!
柑橘類とそば好きな自分には、なんと興味深いことか。
開店時間は、12:00とのことです。
なにがなんでも着かねば!
8:25にライド開始。
新青梅街道をひた走る。走る。走る。
米軍横田基地 誘導灯
箱根ヶ崎の交差点の手前に一直線に続く誘導灯。
JR青梅線の踏切を渡り、細い道を行くと
玉川上水に突き当たりました。
玉川上水は、かつて江戸市中へ飲料水を供給していた
上水(上水道として利用される溝渠)であり、江戸の六上水の一つです。
玉川上水 羽村橋より上流方向
多摩川 下流方向
羽村取水堰 Hamura shusuizeki
浅瀬では、子どもから大人まで水遊びをしたり、
釣り人がいたりとにぎわっていました。
玉川兄弟の像 (昭和33年建立)
玉川カルテットの前身ではありません。
徳川四代将軍家綱時代の承応2年(1653)、
日ごとに人口の膨張を続ける江戸住民の飲料水を確保するために、
幕府は庄右衛門、清右衛門兄弟を工事担当として
羽村より四谷大木戸までの52㎞の大開削工事を命じました。
兄弟は困難を克服して
同年の4月4日から着手、11月15日には工事を完了。
現代の技術や工法を駆使したとしても、
とてつもなく早い完成です。
玉川兄弟は、もともとは江戸の町人だったとも、
多摩川沿いに住む農民だったとも伝えられていますが、
少なくとも武士ではありませんでした。
「玉川姓」を名乗るようになったのは、玉川上水の工事が完成した後。
幕府から、褒美として苗字帯刀を許されたということです。
牛枠 Ushiwaku
牛及び枠類とは、伝統的河川工法の一つであり、
川の水流の衝突部に設置して減勢、導流を行う設備。
奈良時代からあったそうですが戦国時代の甲斐の侍大将武田信玄が
急流の富士川水系の水防、制水工法として考案したと伝えられます。
1本の合掌木にむね木を斜めに載せ、
合掌木の脚をはり木で連結して四面体の枠をくつったもので、
重りの蛇籠を載せて沈めます。
その形が牛に似ており、杭打ちのできない玉石や砂利の河川で
水制や根固めに適した工法です。
羽村取水堰からS字を描く約500m上流のあたりに、
数機の牛枠が今も現存しています。
玉川上水 第二水門
羽村水上公園わきを流れる多摩川から分水された小川。
根がらみ前水田
ここは羽村市で唯一の水田になるそうです。
稲刈りが終わって翌年の田植えまでの期間は休耕地となってしまうので、
その期間を利用してチューリップの栽培が行われています。
約59,000㎡・東京ドームの1.26倍で関東最大級。
約60品種・40万球ものチューリップが咲き誇ります。
初夏から秋はお米を作り、
秋から春はチューリップを栽培し観光スポットになります。
4月には、チューリップまつりが開催されます。
阿蘇神社へ続く道
多摩川の左岸、海から55kのポストがあります。
武蔵阿蘇神社は、古くは阿蘇宮・阿蘇大明神などと称された羽村の鎮守。
武蔵阿蘇神社 拝殿
社伝によれば、推古天皇9年(601)神託により清地を築き、
神武天皇の孫にあたる
健磐龍命(タケイワタツノミコトは阿蘇山を制する神様)より賜った
霊物(玉)を鎮め祀ったことに始まります。
承平年間(931~38)平将門によって初めて社殿が造営されました。
その後、将門を討った藤原秀郷も神託を受けて社殿を造営寄進、
御神木のシイの木はこの時秀郷が手植えしたものと伝えられています。
小作取水堰 Ozaku-shusuizeki
ここを渡って対岸を進みます。
釜の淵公園 Kamanofuchi kouen
青梅市街中心部の南方に、
多摩川が大きく北側へ半円を描くように蛇行するするところがあります。
ここの形状を地図で見ると
まるでギリシャ文字のオメガ(Ω)のよう。
多摩川の流れが岩盤に阻まれて、このような形になったそうです。
その蛇行する多摩川の描く半円の内側に当たる右岸側が、
青梅市立の公園として整備されていています。
入口にかんぽの宿 青梅があり、
公園内は思い思いに遊ぶことが出来ます。
重要文化財 旧宮崎家住宅
公園内に建つ「旧宮崎家住宅」は国の重要文化財の指定を受けています。
もちろん移築されたもので、本来は青梅市街の北方の山間、
かつての北小曾木村、現在の青梅市成木八丁目辺りにありました。
1977年(昭和52年)に元々の持ち主だった宮崎氏から青梅市に寄贈され、
現在地に移築復元されています。
建てられたのは、おおよそ19世紀初頭の頃。
建物は当時の一般的な農家の造りで、
囲炉裏と広間が一体化した“広間型”と呼ばれる構造が特徴的です。
地域の生活様式を残す、醤油樽と材木を乗せる台車。
柳淵橋の上流側、右岸の崖下では多摩川の流れが速くなっています。
川岸では、BBQを楽しんでいる人、
浅瀬で水遊びをする子供たち、
左の淵で急流を利用して遊ぶ人たちと様々ですが、
この急流は非常に危険で水難事故が起こりやすいということです。
柳淵橋 Ryuen-bashi
公園西側からこの橋を渡り、
市民プールなどのある西側対岸へ繋いでいます。
目指すニウギニまでは、もうすぐ。
真言宗 成田山 清宝院 Shingonsyu Naritasan Seihouin
古くは、青柳山清宝蜜院と称し、寺伝では往昔宇多天皇の御代、
寛朝僧正金剛寺登山の砌立ち寄り開創されたと言い伝えられています。
趣のある山門は、
江戸末期に埼玉県入間市下谷ヶ貫の「軍茶利明王地蔵院光円寺」より
移築したもので、18世紀末頃の建築と考えられています。
山伏修験の行者衆が大地に炉をつくり、薪を組み上げ、
柴をたいて修をする護摩方であります。
護摩法の火は、世の中の穢れや罪を焼き付くし、
火炎に包まれた不動明王と一体となり
「火渡り」をすることで自分自身の災厄を祓う功徳を得られると言われています。
もし、この日に来ていたらAPOさんと一緒に「火渡り」に強制参加・・・と、
ツイートされていました。
嗚呼、おそろし・・・。
その敷地内に、今日のお目当てのニウギニがあります。
お寺の正面入口は、写真のように急な階段なので、
裏からまわっておじゃましました。
12時25分の到着。
開店して25分過ぎてしまったが、
限定そばは何食残っているのか?
そして、はるばる50km走ってきて、
食べることが出きるのか?
かわいらしいニウギニ専用車。
ニューギニアマニアなのに、
ワーゲンバス仕様の日本の軽です。
ニウギニ NIUGINI
日本で唯一、
本場ニューギニア料理の食べられる、
世界唯一の石臼挽き蕎麦処であります。
※お店の宣伝
正直、勢いで来てしまいましたが、
初めて一人で入店するには、少々勇気が必要です。
先客がお一人いました。
その方も、来たばかりのようで柚子切りを目当てのようです。
6畳(テーブル4卓)+3畳(カウンター)くらいの
パプアニューギニア感が凝縮された店内。
現地の太鼓のリズムのBGMかと思いきや、
あれ???
ハワイアンぽい南国の曲がかかっていました。
そして自分が入店してから、気合いが入ってきたのか、
おもむろに頭に羽飾りを着け、
鼻に棒を通して鼻輪をつけ始め、
正装の出来上がりです。
怪しさたっぷりの店内ですが、
パプアニューギニア大使館が認めた国際的なカフェ
ということです。
酋長のような出で立ちの店長のアポ・ホリグチさんは
青梅出身の日本人。
その破天荒?なアポさんを影で支えている
素敵な奥様。
とても気さくで青梅の事などを話してくれる楽しい人です。
パプアニューギニアには自分の村があり、
そこの一員として村長から「アポ」の名前をもらったそうです。
青梅=OMEにお面のNをつけた、オリジナルTシャツ
本日のメインランチ
石臼挽き粉に柚子を練り込み十割切り
精進出汁の梅酢つゆ
薬味に
黄金おろし(大根おろし柚子和え)
アガスティアの葉(大葉)
前日のツイートには、数皿とありましたが、
アポさん曰く、限定4食だそうです。
薬味まで、ひとつひとつ丁寧に説明をしていただきましたが、
たいへんな凝りようで、どんな味なのか想像できませんでした。
食べた感想ですが、そばは柚子の香りがたっぷり。
そばつゆは、精進出汁というだけあって複雑で高貴な味でした。
ごちそうさまでした!
いつまでも、のんびりしていられる居心地のよい店ですが、帰りのこともあるので。
食後の運動に、さらに2駅分 奥に行ってみましょう。
青梅街道を進み、日向和田駅を過ぎたところに、
ドライブインのような店構えのへそまんじゅう総本舗。
8個入りをひとつ買ったら、
一つ出来立てのまんじゅうをサービスしてくれました。
塩加減も抜群でとても美味しい!
自分が買ったあとに、
大勢の人が車でやって来て列が出来ていました。
左横では、立ち食いのそばと、うどんを食べられます。
次回来たら食べてみたいが、
ニウギニのカレーも食べてみたいし。
へそまんじうの由来。
その昔永禄6年、当地より程近き辛垣城に構える三田弾正綱秀を
小田原の北条左京太夫氏康と其の子滝山城主北条陸奥守氏照父子が
昼夜を分たず攻め立てしが、中々落城せず偶々折柄の大雷雨中を
隣峰その名寄しらむ雷電山口より攻め込んだ豪勇無双の十勇士により、
さすが難攻不落の辛垣城も陥落したる。
この十勇士が当時この附近の茶店で購った兵糧の饅頭を腹巻に包んでおいた所、
不思議や全部この饅頭の型に変り大雷雨にへそも取られず、
然も勇猛果敢な働きに澤山の恩賞を授けられしとか。
依ってこの"へそまんじ"を常に賞味し、
臍下丹田に力を入れて世に處するなら必ずその成功疑ふ可からず。
(へそまんじう本舗・店主)
お店のとなりにある、へそのを観音。
ここから引き返し、
青梅駅のメインストリートに戻ってきました。
力屋 Chikaraya
現役のお店で、一番レトロ感を出しているかもしれません。
ネットにあるお店のメッセージには、このように書いてあります。
80年の歴史を積み重ねたマジメな店、チカラヤ。
・祭用品:江戸一を中心に商品豊富。出し、御輿、何でも相談に応じます。
・作業着:富士姿の乗馬・半乗馬
すべての商品について、ご相談いただければ、長が対応いたします・・
・マンシングウェア:メンズ、レディースともにゴルフ、タウンに人気あり
赤塚不二夫会館 Akatsukafujio-kaikan
バカボンのパパが、逆立ちしてお出迎えです。
昭和を代表する漫画家であり、
青年時代(新潟市在住時代)に映画看板の仕事に従事した事がある
赤塚不二夫(尚、親族を含め赤塚不二夫と青梅市に縁は特にない。)に
白羽の矢を立てて、2003年10月18日に開館しました。
建物は、もともと土蔵造りの医院だったそうです。
入口には、もーれつア太郎だ!
リアルタイムで夢中で見ていたマンガ。
八百屋を切り盛りする少年のア太郎と
それを助ける子分のデコッ八。
そこにゆうれいのとうちゃん、
ブタ松親分とその子分たち、
ココロのボスなどの豊かな人間関係が繰り広げる人情劇は、
新鮮でドラマチックでした。
また、人間のコトバを話すネコのニャロメと
その仲間のケムンパスやべしなど、
当初は予定していなかった動物キャラが爆発的な人気を得て、
子どもたちに大人気でした。
バス停留所 Bus stop
青梅駅周辺商店街は、
アートフェスティバルで映画看板を掲示したのが好評となり、
映画看板のある街として、
全国的に知られるようになるきっかけとなりました。
協力によるものだそうです。
住吉神社 Sumiyoshi jinja
先ほどのバス停留所の横から、正面の長い階段を上っていく青梅の鎮守。
応安二年(1369年)住吉大社を勧請奉祀した事により始まります。
多くの彫刻に囲まれた拝殿天井には
境内には筆塚等青梅ゆかりの文人達の作品が多く残されています。
青梅宿 津雲邸 Oumejuku Tsugumotei
津雲邸の建物は津雲國利が昭和6年から昭和9年にかけ建造した邸宅で、
京都の宮大工を招き青梅の大工、石工、畳職など諸職との協働により
建築された瓦葺入母屋造、押縁下見板張、一部漆喰塗の建物です。
純和風建築でありながら縁側との仕切りにガラス戸を用いるなど
近代的な要素を持ち、
また欄間や天井など随所に職人が技巧を凝らした
装飾を持つ贅を尽くした建築物として評価されております。
さてと、青梅を十分満喫したところで、
帰ることにしましょう。
今日は、8月に入って初めての100kmオーバー。
August Gran Fondを達成しました。
8/20(月)アポさんがツィートしてきました。
激レアさん今日放送???
ん?
番組表を見ると、23:45からテレビ朝日で
激レアさんを連れてきた。っていう番組がある。
そうか、店の入口に書いてあった激レアさんとは、この事か!!!
アポさん、惜しくも第2位!
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1782181339/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1534670158
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
いきなり現れたGOMBESSAと、築山池泉回遊式に癒される。
2018.8.15(土)
お盆休みもとうとう最終日になってしまいました。
5日もあったのに初日しか乗れてないので 、
今日は、何が何でも乗りたい気分。
でも連日のゲリラ豪雨がちょっと不安なので、
長距離はまだやめておきましょう。
国道17号線を南下することにします。
日本サッカーミュージアム
文京区本郷にある金花商店会のメインストリート、
通称“サッカー通り”に
日本サッカーの中枢であるJFAハウスがあります。
その1階、B1、B2の3フロアに設けられているのが
「日本サッカーミュージアム」。
2002FIFAワールドカップや日本サッカーの歴史を
次世代の人々へ伝え、サッカー文化を普及させるため
2003年12月22日にオープンしました。
鳥越神社 Torigoe jinja
創設1350年余前の古社で、日本武尊を御祭神としています。
主な行事として、1月8日のとんど焼、
千貫御輿渡御で有名な6月上旬の「鳥越の夜祭」などがあります。
蔵前橋を渡り、南下するために適当に右折。
進んで行くと、この前に訪れたすみだ北斎美術館の通りでした。
さらに南下を続けると小名木川にかかる西深川橋にやって来ました。
西深川橋 Nishi fukagawa-bashi
なんと、突如として現れた
巨大なシーラカンスのモニュメント???
橋の森下側のたもとに鎮座する
GOMBESSA(シーラカンス)。
1990年3月に橋梁景観整備工事をした際に設置された、
造形作家の松本哲哉氏によるモニュメントです。
地域との関連はないものの、
迫力とユニークさで十分に街のシンボルになっていると思います。
仙台堀川公園
今日が3度目の通過。
人工的に造られてはいますが、
水辺と木々をキレイに配置し、鳥たちも気軽にやって来ます。
ゆったりと走れ、
景色を楽しめる
お気に入りの親水公園です。
とても素敵な写真が撮れました。
葛西橋 Kasai-bashi
左が荒川、右が中川です。
その中央を首都高速中央環状線が通ります。
行船公園 Gyousen-kouen
平成庭園や自然動物園などで構成され、
庭園内には数寄屋造りの茶室「源心庵」があります。
都市にありながら静けさの漂う公園。
昭和8年地元の田中源氏が、区民福祉の増進と生活文化向上のための公園用地として、
東京市へ寄付したもので、昭和25年東京都から江戸川区へ委譲されたのを機に、
公園本来の姿として計画整備されたものです。
「行船(ぎょうせん)公園」の名称は、
寄付者の田中源氏の屋号「行船(ぎょうせん)」にちなんで
つけられました。
昭和58年に自然動物園を開園。
平成元年3月、公園北側部分を全面改修し、平成庭園を開園しました。
徳川家光公献上灯篭
慶安5年(1652)、陸奥磐城の城主・内藤帯刀忠興が、
平成庭園
平成元年3月に開園しました。
池を中心にその周囲を巡る築山池泉廻遊式(つきやまちせんかいゆうしき)の
日本庭園。
池の畔には源心庵(げんしんあん)
・林泉亭(りんせんてい)・つつじ亭があります。
四季折々に移り変わる自然の美しさを身近に感じられます。
源心庵は、平成元年4月に完成した純日本建築の数寄屋造りです。
水との関わりをテーマに、月見台を大きく池へ張り出した
浮御堂(うきみどう)の形式で建てられています。
内部も、床柱は松材の四方柾目、
ふすまは鳥の子紙に本漆仕上げと豊かな伝統が生かされています。
行船公園をあとに、新川にかかる新渡橋をわたると、
道はそのまま一之江境川親水公園に入っていきます。
一之江境川親水公園 Ichinoe sakaigawa shinnsui kouen
江戸川区一之江1丁目、5丁目、6丁目、
一之江町、二之江町、船堀7丁目付近を流れる
一之江境川を利用した親水公園です。
「野川の再生」をテーマとした公園で
全長は3.2kmに及んでいます。
城東電気軌道 江戸川線 跡
当時の本所区錦糸町と瑞江村大字紙今井の間に敷設の許可がおり、
大正10年1月には水神森-大島間が開通しました。
そして、大正14年12月に東荒川-今井橋間が開通し、
翌大正15年3月には小松川から西荒川までが延長されて、
東荒川との間には連絡バスがはしりました。
翌年の都制施行によって都電とよばれましたが、
昭和27年に東荒川-今井橋間は廃止され、
上野公園-今井間を走った都内初のトロリーバスにかわりました。
この路線は、昭和43年から都バス路線として今も運行されています。
一之江境川親水公園を進んで行くと、
京葉道路と環七通りが交差する一之江ランプがある交差点の少し手前に
車の騒音など感じさせない空間がありました。
一之江抹香亭 Ichinoe-makkoutei
抹香屋田澤家は、旧東一之江村の旧家です。
抹香屋の家号の通り、江戸時代から抹香作りをしていました。
一之江抹香亭の庭には樹齢750年以上のタブノキがあり、
その葉を乾燥させて石臼で挽き、抹香に加えたと伝えられています。
地域に親しまれ伝承されてきた「抹香屋」を、
一之江の歴史とともに後世に伝えていく為、一之江抹香亭と名付けられました。
※抹香(まっこう)は、香のひとつで粉末状の香をいう。
一之江抹香亭をあとに、
新小岩駅を抜けて、中川を渡ると右斜めに進みます。
前から気になっていた四ツ木製麺所に寄ってみようと思いましたが、
わりと路地を入ったところにあり、
行き過ぎてしまいました。
そして、しっかりお盆休み。
残念!!!
このまま北上しても荒サイから離れていくので、
南西方向へ軌道修正します。
東四つ木避難橋 Higashiyotsugi-hinanbashi
黄色く塗られた人道橋を渡ると、
正面にスカイツリーが見えます。
木根川橋 Kinegawa-bashi
欄干から等間隔に設置された街灯がきれいに並んでいます。
ここを渡って荒サイに入り、
とれたてキッチンでソフトクリームと行きたいところでしたが、
あいにく、水曜日は定休日でおあずけ・・・。
芝サイ方面に進み、ファミマを探し
ベリーベリーベリーフラッペでひと休み。
荒川大橋を渡って帰るのでした!
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1773174098/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1534318666
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
鳩森八幡神社で富士登山をしてみました。
2018.8.11(土)
いよいよ待ちに待ったお盆休みに突入です。
今日は、初日なのにノープラン。
とりあえず家を出たけど、
ストラバをスタートしてから
どうしようか?しばし固まった。
午後は早目に雨予報なので、遠出は無理。
となると、ひとまず都心ですな・・・
神楽坂 毘沙門天 善國寺 kagurazaka Bishamon Zenkokuji
安土桃山時代の文禄4年(1595年)、
池上本門寺第12代貫主である日惺上人により創建された、日蓮宗の寺院です。
本尊の毘沙門天は江戸時代より
「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、
芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれました。
現在は新宿山ノ手七福神の一つに数えられております。
市ヶ谷駅から四谷駅へ向かう途中、通りかかった雙葉中学校・高等学校。
エントランスが素敵だったので、
撮ってみました。
中高一貫校で、ここの出身者には、
かたせ梨乃(俳優)、王理恵(スポーツキャスター)など・・・。
「聖イグナチオ教会」という名で親しまれ、
様々な国籍の人々が集い、日曜日には各国の言葉でミサも行われ、
国際色豊かな教会として知られています。
外壁のすきまを飾るステンドグラス
聖イグナチオの名は、カトリック修道会イエズス会の創立者で初代総長であった
聖イグナチオ・デ・ロヨラからいただき、教会の保護聖人としています。
1549年キリスト教を、はじめて日本に伝えた
聖フランシスコ・ザビエルは、
聖イグナチオから派遣されたということです。
上智大学沿いの土手の桜並木
江戸城の喰違見附(くいちがいみつけ)
江戸時代に江戸城の外堀に作られた外郭門のひとつです。
見附とは敵の侵入を発見するための見張所という意味で、
江戸城では俗に三十六見附と言われる多くの見附がありました。
他の見附の多くは枡形の城門が築かれていましたが、
この喰違見附は周囲が高くなっている
地形を生かして土塁を築く形となっており、
城門は存在しませんでした。
喰違(くいちがい)とは、敵の勢いを弱めるために
通路がクランク状をしているため、こう名付けられています。
現在も当時の土塁が残されており、碑も立っています。
喰違見附から弁慶堀方面の眺め。
明治末期に移築改修され現在は迎賓館の門として使用されています。
喰違見附を進み、信号を右折した紀伊国坂を登りきった場所にあります。
迎賓館 赤坂離宮
日本では唯一のネオ・バロック様式による宮殿建築物です。
当時の日本の建築、美術、工芸界の総力を結集した建築物であり、
明治期の本格的な近代洋風建築の到達点を示しています。
第2次世界大戦の後、10数年を経て日本が国際社会へ復帰し、
外国からの賓客を迎えることが多くなったため、
国の迎賓施設へと大規模な改修を施し、
和風別館の新設と合わせて昭和49年に現在の迎賓館として
新たな歩みを始め、現在に至っています。
その後、平成21年に行われた大規模改修工事の後には、
日本の建築を代表するものの一つして、国宝に指定されました。
これまで多くの国王、大統領、首相などをお迎えしたほか、
主要国首脳会議などの国際会議の場としても使用されています。
神宮外周道路
この日は、車が進入禁止になっていて、ラッキーと思っていたら、
絵画館前広場側にも入れないようになっていて、
コンサートでもあるのかと思いきや、
神宮花火大会の日でした。
新国立競技場
東京1964大会のオリンピックスタジアムであった国立競技場が、
2020年までに新しい競技場に生まれ変わります。
国立霞ヶ丘陸上競技場の全面建替工事により
2020年の東京オリンピックに向けて建設される競技場。
設計:隈 研吾
2019年11月末には、完成予定です。
東京2020大会では、開・閉会式のほか、陸上競技やサッカーが行われます。
大会後は各種スポーツ・文化関連イベントに使用される予定です。
東京体育館
現在、東京2020大会に向けた改修工事を実施中で休館です。
大規模な競技大会に対応できる国内でも中枢的な存在で、
メインアリーナは最大で1万人の観客が入場できる大規模な体育館です。
世界選手権大会や国際大会、全国大会が開催されています。
トップアスリートたちの熱戦を間近で観る貴重な体験ができる数少ない施設です。
鳩森八幡神社 Hatonomori Hchiman Jinja
千駄ヶ谷一帯の総鎮守として村民の崇敬を受けた神社です。
境内には都の有形民俗文化財指定の築山富士があり、
樹木は区の保存林に指定されています。
また、サイクリストに人気のあるお守りもありますよ。
江戸名所図会によると大昔、
此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、
ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、
突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。
この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み
鳩森『はとのもり』と名付けた。
貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、
鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、
山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、
正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。
富士塚全景説明図
寛政元年(1789)の築造と言われ、円墳形に土を盛り上げ、
富士山の溶岩は頂上近くのみ配されています。
登頂するよう勧められます。
富士塚 登山口
頂上に至る登山道は自然岩を用いた階段となっており、
山腹にはクマザサも植えられています。
山裾の御影石の里宮(浅間社)をはじめ、7合目には身祿様が安置されている洞窟、
烏帽子岩、釈迦の割れ石、
山頂にボク石で覆われている奥宮等富士山を再現しています。
また富士塚の前にある池にみたてた場所には
毎年開山式(6月3日)の頃菖蒲が咲き、
訪れる人の目を楽しませています。
将棋堂 Shougi-dou
1986年(昭和61年)1月、
社団法人日本将棋連盟(当時の会長 大山康晴十五世名人)より、
高さ一米二十糎の欅製の大駒が奉納されました。
この縁により、同1986年(昭和61年)11月将棋の技術向上を目指す人々の守護神とし、
更に将棋界の繁栄を願って、日本将棋連盟と神社が協力し、
この大駒を納める六角の御堂を建立しました。
御堂の六角は天地四方を表わし、屋根の上の飾り金物は将棋盤の足の形、
つまりくちなし(梔子)の実の形をしています。
くちなしは口無しに通じ、
助言無用の戒めからきていると古くから言い伝えられています。
室内に安置された大駒は、御影石の将棋盤の上に立ち、
外苑西通りに出て、南青山三丁目の交差点を過ぎていくと、
8月いっぱいで閉店を迎えるビアンキストア青山に着きました。
ビアンキ青山 FINALE SALE開催中!
お店の形態を変えるために、在庫一掃のセールをやっています。
自転車からウエア、部品、小物に至るまで、
30~40%OFFとお値打ち価格です。
とは言え、ロードを買うのは もう少し我慢。
30%OFFの LOTTO JUMBOタオルを買いました。
六本木ヒルズに向かうのに、青山墓地の真ん中を通る道へ出るため
階段を上りました。
六本木トンネルを抜けると、またまた階段が出現。
自転車を担ぎあげて上りきると、
目の前に六本木ヒルズがドーン!
少し進むと、見慣れた面々のポスターが、
ガラスの建物の壁面に貼られていました。
ここテレビ朝日アスクは、
アナウンサー、リポーター、声優等の
育成および教育事業などを行っているそうです。
テレビ朝日では、
六本木ヒルズ夏祭り SUMMER STATION 2018 を
開催していました。
かき氷が目に入りましたが、
来場者が多く並んでいたのでパス。
芝公園、新橋を抜けて銀座にやって来ました。
銀座4丁目交差点
暑い中、多くの人たちでにぎわっています。
元ソニービルの跡地に出来た公園?には、
その中でFMのライブをしていて、
観客が大いに盛り上がっていました。
常盤橋ゴジラギャラリー
JXビル建設地仮囲いの外壁で、ゴジラの映画の紹介をしていました。
工事のための高さ3メートル、
幅140メートルという仮囲いの壁一面に、
今年の2月20日から約1年間の予定で、
東宝の特撮映画『ゴジラ』の歴代29作品のポスターが展示されています。
初代ゴジラ(1954年封切り)から2018年5月に公開予定の
アニメーション映画『GODZILLA 決戦機動増殖都市』の予告まで、
ずらりと並んだ光景はファンなら必見です!
西河岸橋より見る日本橋
日本橋船着場は、現在の日本橋(20代目)が架橋百周年を迎えた2011年、
橋のたもとに完成しました。
日本橋が木橋だった頃の“擬宝珠(ぎぼし)”も再現されています。
現在はさまざまな船がツアーを実施し、年間5~6万人が利用。
2016年3月には利用者が30万人を突破し、
多くの人が水上散歩を楽しんでいます。
日本橋 Nihon-bashi
1911年(明治44年)に架けられた20代目の橋になります。
石造二連アーチ橋で、橋の長さ49m、幅27m、
設計は米本晋一。
日本国道路元標複製
明治時代に入ると橋の中央が全国の国道の起点と定められました。
橋の車道中央には、当時の総理大臣・佐藤栄作による文字が刻まれた
ブロンズ製の元標が埋め込まれています。
北西の橋詰め「元標の広場」には、そのレプリカ(複製)があります。
万世橋 Mansei-bashi
かつて、中央線の神田~御茶ノ水間に、
1912年(明治45年)に開業した「万世橋駅」がありました。
昭和18年に休止になりましたが、赤レンガの万世橋高架橋の中に、
ホームや階段など、駅の施設が一部残っていました。
この場所は「交通博物館」を経て、現在は商業施設に。
明治時代に開業した駅の遺構があり、
東京の「過去」と「現代」を体感できるスポットに
なっています。
秋葉原
いつもにぎやかな秋葉原の交差点。
今や、銀座を凌ぐ人出であらゆる人種がごった返しています。
その中を、宣伝トラックが何台も連なって大音響でアピールしていきます。
歩行者はこの時とばかりに、皆シャッターを切ります。
自分もその中の1人でした。
上野不忍池
秋葉原の喧騒を過ぎて、
何だか落ち着けるところにやって来ました。
今日のライドは、ここまで。
あとは、雲行きも怪しいので、
さっさと帰路につきます・・・。
案の定、板橋区役所を過ぎたあたりから降り始め、
20分早ければなあ・・・と後悔したのでありました。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1763862965/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1533969409
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
天空に広がる庭園から、マグロ丼を食べに行ってみっか。
2018.8.5(日)
いまだに暑さ衰えず。
35℃を越える日々。
いつになったら、落ち着くのでしょうか?
だんだんと猛暑のライドにもなれてきた今日この頃。
何やら秘密がある
みたいなので、まずそこを目指してみたいと思います。
大山、日大病院方面から千川通りに出て、
要町から山手通りを南下していきます。
山手通りは地下に首都高速中央環状線を通す際に、
キレイに整備された広い片側2車線の道路になり快適です。
ちょっと代々木八幡宮に寄っていきましょう。
代々木八幡宮 Yoyogihachimanguu
代々木八幡宮社伝によると、
源頼家の家臣、近藤三郎是茂の家人荒井外記智明は、
頼家が修善寺で殺害された後に名を「宗友」と改めて代々木に引きこもり、
建暦2(1212)年8月15日、鎌倉の八幡大神から
宝珠のような鏡を授かり、託宣を受ける夢を見ました。
源氏の守り神である鶴岡八幡宮の分霊をまつり、
小祠を営んだのが代々木八幡宮の創建といわれています。
代々木八幡宮がお祀りしている神さまは
応神(おうじん)天皇=八幡=さまです。
八幡さまは古くは朝廷や武家からの崇敬をあつめ、
国家鎮護、破邪顕正の神と仰がれました。
その強いご神徳から「厄除開運」の神さまとして
全国で鎮守の神として祀られました。
応神天皇さまの時代は、大陸文化が多く渡来したことから
「産業・文化の発展と守護」の神、
またお母上である神功(じんぐう)皇后さまとの神話から
「安産」「子育て」「家内安全」の神として、
さらには、「怨霊退散」「渡航安全(交通安全)」の神としても
あがめられています。
境内敷地内に竪穴式住居がありました。
昭和25年の発掘調査で縄文中期とみられる
多数の遺物や住居跡などが発見され、
その際に土器などが出土したことから、
この住居には約4500年前に人が住んでいたと推定されています。
住居跡には竪穴住居模造家屋が復元されていて、
渋谷区の史跡に指定されています。
富ヶ谷を過ぎてから、右のほうの裏道へ入っていきます。
ここら辺は、東海大学代々木キャンパスや、
東京大学駒場キャンパスなどがあり、
文教地区になっています。
隣接して目黒区立駒場公園があり、一角の住宅街の中に日本民藝館があります。
日本民藝館 Nihon-mingeikan
日本はもとよりアジアや欧米の陶磁器、染織、木漆などの工芸品
約17000点を収蔵。
「民藝」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す
民藝運動の本拠として、1926年に思想家の柳宗悦(1889-1961)らにより企画され、
実業家で社会事業家の大原孫三郎をはじめとする多くの賛同者の援助を得て、
1936年に開設されました。
現在の経営母体は公益財団法人で、登録博物館として運営しています。
「民藝品の蒐集や保管」「民藝に関する調査研究」
「民藝思想の普及」「展覧会」を主たる仕事として活動。
全国の工芸品を販売するショップも併設しています。
日本民藝館 西館(旧柳宗悦邸)
本館道路向いに建つ西館は、
栃木県から移築した石屋根の長屋門と、
それに付設した母屋からなっている。
日本民藝館開館1年前の1935年に完成、母屋の設計は旧館と同じく柳宗悦。
72歳で没するまで、宗悦が生活の拠点とした建物です。
ケンネル田圃 Kenneru-tanbo
明治14年ドイツ人ケルネルが、
後身である東京農林学校、東京帝国大学農科大学を通じて、
明治25年に帰国するまで、
近代日本における農学の基礎づくりに大きな影響を与えました。
とくに水田土壤の研究とイネ作肥料の研究に多くの業績を残し、
この水田が試験田として利用されたことからこう呼ばれています。
駒場野公園の横を通る井の頭線
目黒区とは思えないほど緑に包まれています。
駒場野公園内は自転車通行禁止なので、
周りをまわるようにして大橋へ向かいます。
首都高速大橋ジャンクション 外壁
都会の無機質な構造物の印象を和らげるように、
緑の草木を多用しています。
オーパス夢ひろば
目黒川側に入口があります。
周囲を壁に囲まれた空間には、
子どもたちが遊べる水場や、
夜間貸切利用も可能な人工芝コートがあります。
開園時間4月から10月までは午前7時から午後7時まで、
11月から3月までは午前7時から午後5時まで
オーパス夢ひろばから見上げてみる。
エレベーターで屋上まで上がると、
目黒天空庭園の入口です。
開園時間午前7時から午後9時まで
休園日はありませんが、荒天など気象条件によっては閉園する場合があります。
天空庭園
立派な松がいくつも置かれています。
天空庭園
様々な草木が配置されていて、
都心の構造物のてっぺんにあるとは思えません。
天空庭園から内側を望む。
ちょっと、ダムのような景色にも見えます。
大橋ジャンクションから首都高速3号線へつながる部分
左が横浜方面。右が渋谷方面。
こういった景色もなかなか見ることはないでしょう。
隣接するクロスエアタワー側から天空庭園を望む。
天空庭園とクロスエアタワーを結ぶ架橋からのぞき込む。
結構な高さがあります。
渡った先には、目黒区立大橋図書館があります。
ユリの花がきれいに開花してました。
天空庭園から、オーパス夢ひろばを見下ろす。
オーパス夢ひろばから、天空庭園を見上げる。
すごい構造物を造るものですね。
しばし、都会の喧騒を忘れて楽しみましたが、
そろそろライドを再開しましょう。
ここからは、目黒川に沿って進むことにします。
目黒川 中の橋
目黒川と蛇崩川が合流する場所で、河川敷を活用した広場です。
目黒川船入場
ここは、昭和初期に船を導きいれるために川を切り開いて築かれた船入場の跡です。
現在では、当時の土地を利用し、下部を目黒川調節池、
上部は区民のふれあいの場として整備され
すっかり変わってしまいましたが、
当時の名残を船入場という愛称名にとどめています。
船入場のサルスベリの木
さらに、目黒川沿いをポタリング。
この先は、川幅もあり水量も多いのですが、
浮遊するゴミも多くなってきました。
目黒通りに出て、目黒雅叙園方面へ向かいます。
これが間違いでした。
目黒駅へ続く行人坂は、
とんでもない斜度で、
上り切ったときには山の峠に着いたような息遣いでした。
行人坂という名称は、湯殿山の行者(法印大海)が
大日如来堂(現大円寺)を建て修行を始めたところ、
次第に多くの行者が集まり住むようになったので
つけられたと言われています。
目黒駅を過ぎて少し行くと、サイクルカルチャーセンターがあります。
ここは、自転車に関する書籍約9,000冊をはじめ、
希少な歴史的自転車、
部品やポスターなど自転車に関する資料を所蔵しています。
国内外の自転車専門誌や新刊図書など、
自転車に関するたくさんの書籍が閲覧できます。
また、自転車の魅力を感じることができる展示も行っています。
目黒通り白金を抜けて、麻布通り麻布十番から、金杉橋へ。
JRのガードをくぐると、竹芝桟橋側に出てきました。
浜離宮恩賜庭園を囲む流路
浜離宮恩賜庭園 中の御門
東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、
潮入りの回遊式築山泉水庭。
江戸時代に庭園として造成されました。
浜離宮恩賜庭園 正門
園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑やボタン園などがあります。
元は甲府藩下屋敷の庭園だったものが、徳川将軍家の別邸浜御殿や、
都立公園として開放されました。
浜離宮前踏切跡
この信号機は、昭和6年(1931年)から
昭和62年(1987年)1月31日までの56年間、
貨物引込線の踏切用として使用されました。
最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過
しましたが、貨物輸送の変化に伴い、
汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。
しかしながら、地元民の要望により、
銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、
保存されることになりました。
築地場外市場
大正時代からの歴史を持つ卸売を中心とした商店街。
市場の中には400店を超す商店が並び、新鮮な食材や調理具など、
食に関するあらゆるものが揃います。
築地場外市場
今年、2018年10月11日には豊洲に完全移転となります。
それに合わせて、「場外市場」も豊洲に移ると思われていますが、
築地場外市場は私設市場であり、
場外市場はそのまま営業を続けるということです。
波除神社 Namiyoke-jinja
築地市場の海幸橋門(かいこうばしもん)に隣接している神社。
埋立地の別称である築地の地名からもわかる通り、
この付近一帯は埋立地です。
江戸時代初期、万治元年(1658年)に築地本願寺からこの付近にかけて
埋め立てが開始されたが、次々と波に洗われて工事は難航していました。
しかし海中から発見された稲荷神の像を祀ったところ、
風波が和らぎ工事が完了したとされています。
これが「波除」の由来で、
厄除けや航海安全の神として信仰されています。
また、築地市場に隣接していることから
「海老塚」「すし塚」「玉子塚」などの
水産物や食品に関わる霊を祀る塚があります。
東京港修築計画に基づいて架けられた勝鬨橋は、
当時国家的イベントとして予定されていた
万国博覧会へのメインゲートとしても利用するために、
当時の最先端技術の粋を集めて建造されました。
万博自体は戦争の激化により中止となりましたが、
中央が開閉する勝鬨橋は、
完成当時は跳開橋として東洋一の規模を誇っていましたが、
隅田川を航行する船の減少、交通量の増加などによって、
昭和45年11月29日の開閉を最後に、現在では開かずの橋となっています。
※ちょうど、提灯の立っているところから跳ね上がっていました。
近未来的な水上バスが通っていきました。
形状からホタルナと思われます。
漫画・アニメ界の巨匠・松本零士氏がデザイン。
「ホタルナ」は、宇宙船をイメージしたシルバー・メタリックの流線形ボディに
ガルウィングの扉、船体屋上には遊歩甲板を設置し
船外で景観が楽しめます。
月が輝く夜に神秘な輝きを放つ蛍が隅田川を舞う
ホタルとルナ(月の女神/LUNA <ラテン語> )
「ホタル月」という、新たなる旅立ちとして思いが込められた船名です。
他にヒミコとエメラルダスの2艇があります。
勝どき駅前の交差点を右折して、清澄通りを豊海埠頭方面へ進んで行きます。
今日のごちそう。
倉庫街にあるマグロ卸のマグロ丼の店
ここへ来たのは2回目。
サイクルラックはガラガラでしたが、
店内は休日の昼過ぎとあってそこそこ来店者があります。
今日は、たくさん食べられないと思い、
マグロ丼と本日の味噌汁にしておきます。
東京消防庁おおえど&マグロ丼
タープが日差しを遮ってくれて、風が心地よく通り抜けます。
マグロの切り身が7~8枚ものっていて、600円は安い!
本日の味噌汁は、なす。
なんてことはない、ぺろりと食べてしまいました。
オーナーがSNSで毎日のようにおすすめ情報を発信しています。
休業日でも少しづつリゾート風の雰囲気のある店づくりを
されていて、
かなりいい感じになって来ました。
ごちそうさまでした!
店を出て少し足を延ばせば、そこは 豊海埠頭の突端。
レインボーブリッジがすぐそこです。
さてさて、ここから帰路につくことにしましょう。
清澄通りを進んで行くと、
今日も57.7㎞と、
ほどよいおさんぽとなりました。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1750556577/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1533457731
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
ジョンダリが迷走して、ゴジラを連れてきた!
2018.7.29(日)
前代未聞の逆走台風、
迷惑極まりないですね。
もう一周するのかと思いました。
心配していた雨風もほとんどなく、
暑い日差しが戻ってきました。
今日は、この前と反対に環七を南下していきます。
やっぱり環七の車道は怖いなぁ・・・
高円寺陸橋から堀ノ内斎場方面へ。
通称は荒玉水道道路と呼ばれています。
善福寺川にかかる済美橋
このあたりは、杉並区の和田堀公園の一角で、
橋を渡ると、両側に樹木が生い茂って涼しい道をつくってくれています。
京王線 桜上水駅
駅横にある踏切は、一度捕まるとなかなか開かない。
駅名の由来は、
京王電気軌道の電車庫を笹塚駅から当地に移転する際に開設されたため、
駅開設当時は「北沢車庫前」→「京王車庫前」と称され、
桜並木があったことに由来しています。
この「桜上水」という名は、当時の京王電気軌道が駅名として考案したもので、
後に駅周辺の地名になったということです。
この荒玉水道道路、走っていくと
一方通行だったり、両方向だったりの比較的狭い
世田谷区喜多見までほぼ一直線の道路で
車が通らなければ快適なのだが・・・
仙川までやって来ました。
おっと、ここを右折しなくては。
ダ・ダ・ダン、
ダ・ダ・ダン、
ダダダダダダダダ・ダン!
という独特のリズムが迫ってくる。
作曲者は、伊福部昭(いふくべ あきら)。
GODZILLA出現!
東宝スタジオ ゴジラ壁面
場所:東京都世田谷区成城一丁目4番1号
東宝スタジオ No.5ステージの西壁面(壁面は、高さ14×横17メートル)
ゴジラのサイズ:高さ約11メートル、幅約11メートル
モデル場面:『ゴジラVSスペースゴジラ』(1994年)より
総工費:約8,000,000円
制作年月:3ヶ月(2014年3月~5月31日)2014年6月完成
制作者:塙 雅夫(はなわ まさお)
画家・壁画家。イタリア ジェノバで教会壁画の制作や修復に携わり、
東京ディズニーシー建設時は壁画部門のディレクターを務めた。
2007年、東宝スタジオ入口に『七人の侍』の壁画を制作し、話題となる。
会議の舞台となる大広間の障壁画を担当。
現在公開中の映画『万能鑑定士Q─モナ・リザの瞳─』(綾瀬はるか主演)では、
精巧なモナ・リザのレプリカを制作した。
2003年から2010年の8年をかけて、
スタジオ施設の大改造の総仕上げとして
「ゴジラの壁画を描く」という構想。
2011年の完成を目指して製作準備に取りかかっていたのですが、
その矢先に発生したのが東日本大震災です。多くの混乱の中、
壁画制作は中断されたのです。
それから3年。
ゴジラ生誕60周年、ハリウッド版『GODZILLA』の公開を機に、再び計画は始動。
半年の準備期間、3ヵ月の制作期間を経て、遂にゴジラ壁画が完成しました。
訪れた人たちが自由に見上げられ、
記念撮影もできるロケーションになっています。
東宝スタジオ 七人の侍壁面
2007年8月9日、オフィスセンターの完成に伴い、
メインゲートの側面には、東宝スタジオで製作された数多の作品の中でも
最高傑作とも言うべき「七人の侍」の巨大な壁画が完成しました。
絵柄は草原に七人が集まる有名なスチール・ショットで、
前面に立つ菊千代=三船敏郎が
12.4メートルという大きさは圧倒的な迫力です。
ゴジラ ブロンズ像
※以上、東宝スタジオHPより抜粋しました。
次大夫堀公園(じだゆうぼりこうえん)Jidayuubori-park
世田谷の農村風景の典型的なイメージと昔ながらの小川を復元したのが次大夫掘公園。
公園名は小泉次大夫が昔この地域の用水を確保するために作った
堀の名にちなんでつけられました。
面積は約36,000平方メートルで650メートルの水路を有し、
その水路に沿って、当時の古民家や
水田(1,400平方メートル)が配置されています。
水路や池には、コイ・メダカ・アメンボもたくさん生息しており、
コサギがきてドジョウをついばむ姿も見られます。
水田では、毎年稲作が行われ、
近隣の保育園や小学生達による田植えや稲刈りが、
東京中央農協の協力のもと行われています。
また、多摩堤通りをトンネルで横断できるようになっており、
パズルトンネル(卵から鳥が生まれてくるパズルです)と呼ばれています。
次大夫堀公園民家園 正門
次大夫堀公園民家園 入口全景
道祖神
消防小屋と火の見櫓
消防小屋内部
旧城田家住宅主屋
旧城田家住宅主屋内部
旧城田家住宅主屋裏
旧秋山家住宅土蔵
旧加藤家住宅主屋内部
道祖神から旧谷岡家住宅表門を望む。
加治屋
数人の方が実際に作業をされているところを見学できます。
藍染小屋
サルスベリの樹の間に夏空が広がります。
次大夫堀公園から都道11&428号線が交差するアンダーパス
パズルトンネルを抜けたあたり、右側に竹林が広がってきます。
その先は、野川沿いに道が続きます。
野川のシロサギ
水田でよく見かける、シロサギは肉眼では同じように見えますが、
ダイサギ、チュウサギ、コサギ、アマサギの4種類がいるそうです。
ちょっと遠いので判別が難しいが、コサギのようです。
東名高速道路をくぐり、最初の橋の手前を右に入り、2本目を左に曲がると、
住宅地の中にヒマワリ畑が開けてきました。
多くの人たちが撮影してにぎわっています。
野菜農家さんが、この時期に種をまいて、
楽しんでもらおうと始めたそうで、
約20,000本のヒマワリが植えられています。
若干、下を向き始め見頃のピークのようです。
北側の区画には、これから楽しめる
まだ開花してないヒマワリがあります。
ふたたび、野川沿いに戻って多摩川まで行ってみることに。
仙川と合流してから少し下ると橋の下あたりに
10数匹の大きなコイが群がっていました。
野川 二子玉川あたり
多摩川に注ぐ野川
野川もいよいよ終着点。
ここを折り返し地点にして、来た道を戻ることにします。
今日も約50㎞のライドでした。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1734728841/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1532848695
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
メタセコイヤの森とカワセミに癒されたい人は、ぜひ。
2018.7.22(日)
今日も、暑さに変わりはありません。
先週の「石神井川おさんぽ13.9㎞」がSTRAVAで大反響
だったので、
目標の設定に少しプレッシャーがかかります。
とは言え、それはそれ。
自分が楽しむことが出来れば、
それが一番!なので、
お気楽に出かけることにします。
今日の目的地は水元公園です。
平日はビュンビュン怖いが、
今日は空いている環七を東へ走ります。
月見橋 Tukimi-bashi
足立区花畑川にかかる橋。
ここから花畑川に沿って中川を目指します。
中川に出ると、左折し上流の潮止橋を渡り対岸へ。
大場川マリーナ
潮止橋は、すでに埼玉県八潮市に入っています。
戻るような形で大場川沿いに進んで行くと、
プライベートクルーザーがたくさん並んでいます。
巨大なガソリン補給スタンド?のようなものがあり、
電動の台車に乗ったクルーザーが、手際よく運ばれていきます。
この先、川が大きく湾曲していて曲がるところを間違えてしまい、
遠回りをしましたが、埼玉県道67号線に出てきました。
間違えた辺りはいつの間にか、いったん埼玉県三郷市に入っており、
やっと東京都へ再突入です。
閘門橋 Koumon-bashi
近づいてくると、欄干に大きく「こうもんばし」と彫られていて、
水戸黄門にゆかり?があるのかと思いました。
独特の木の葉なのか炎なのかをデザインしたマークは、
ちょっと引いてしまうような雰囲気があります。
三郷側から見る閘門橋
東京都葛飾区と埼玉県三郷市を繋ぐ葛三橋と並行して架かっている歩道専用の橋で、
正式名称は、
「弐郷半領猿又閘門」(にごうはんりょう さるがまた こうもん)
です。
弐郷半領用悪水路普通水利組合によって
1910年(明治43年)に建造されたものだそうです。
水を塞ぎ止める板を昇降させるみぞがあり、
上流側には、塞ぎ止め作業を示すとび職風のブロンズが置かれています。
レンガ造りのアーチ橋としては都内唯一のものとありますが、
実際は、日光橋(福生市)、禊橋(青梅市)、牟礼橋(三鷹市)、
野火止用水(東村山市)、JR中央線、JR東海道線の高架橋、等が現存しています。
かわせみの里
水辺のふれあいルームわきに置いてあった、
イラスト入りでナイスな情報です。
かわせみの里
残念ながらかわせみを見つけることは出来ませんでした。
かわせみは、全長17cm。
くちばしは体の割りに長く、魚取りにすぐれた鳥です。
日本では全国にすんでいます。巣は土崖に横穴を掘ってつくります。
渓流や池沼などを見下ろす木の枝に静かにとまっていて、
水中の獲物をとったり、水面をかすめて一直線に速く飛んだりしています。
羽色が鮮やかで、翡翠(ひすい)のような体色から、
飛ぶ宝石ともいわれ、
その美しさは古代から注目されていました。
かわせみの里にかかる橋から見る大場川
睡蓮でほぼ埋め尽くされています。
ひまわり 1
ひまわりにはたくさんの別名があります。
ひまわり 2
ひまわりのたくさんの品種もあります。
・イタリアンホワイト
・ゴッホのひまわり
・コング
・サンゴールド
・F1サンリッチ系
・F1サマーサンリッチ系
・大雪山
・ビンセント系
・プラドレッド
・F1ムーランルージュ
・モネのひまわり
・F1グッドスマイル
・ソリータ
・テディーベア etc.
中央広場 1
どこかの外国にあるPARKと呼びたい景色が広がってきました。
中央広場 2
右手奥に東京スカイツリーが見えます。
中央広場 3
真ん中がゆるやかな丘になっていて、北海道のような広さを感じます。
小合溜井 Koaidamei
水元公園の東側に広がる木々に囲まれた水域。
東京都葛飾区と埼玉県三郷市との県境に位置する池になっています。
小合溜(こあいだめ)とも呼ばれています。
水面に浮かぶ葉
小合溜井は、江戸時代に作られた溜井のひとつで、
「溜井」とは、用水を確保するために
河川を堰き止めて作った用水池になります。
古利根川(中川)の一部で1729年(享保14年)徳川吉宗指示の元、
紀州藩出身の井沢弥惣兵衛が水害防止、
及び灌漑用水を調整する遊水地として設けたとされています。
井沢弥惣兵衛(いざわ やそべい)の主な事業には、
武蔵国の見沼干拓、見沼代用水開削、多摩川改修、下総国の手賀沼の新田開発、
小合溜井によって、東葛西領の50あまりの町村を潤す水源となったため、
ここを「水元」と呼ぶようになりました。
概ね東京都と埼玉県の県境とされていますが、
厳密には、未確定区域が存在するそうです。
水害防止として小合溜井に沿って同時期に築かれた
桜土手(櫻堤、若しくは水元さくら堤)は、東京都側に設けられており、
現在、桜の開花期は花見の名所となっています。
しかしながら、前回ライドの際、渡良瀬遊水地の近くにあった
決壊の石碑からはるか下流のこの場所。
昭和22(1947)年9月に関東地方を襲ったカスリーン台風の時は、
埼玉県内で利根川の右岸堤防が決壊し、
氾濫した濁流が利根川旧流路である中川の低地を南下した時、
この土手まで水が押し寄せました。
当局は江戸川の堤防をダイナマイトで爆破して
氾濫水を放流しようと試みましたが、破壊しきれず中断していたところ、
桜土手も持ちこたえられずに決壊して、
東京の下町に戦後最大の洪水被害をもたらしたということです。
メタセコイアの森 1
スギ科の落葉高木。高さ30メートル以上にもなります。
幹はまっすぐ伸び、樹形は円錐形で、
樹皮は赤褐色で縦に裂けます。
葉は羽状複葉で柔らかく細い小枝に対生し、
秋に紅葉して小枝とともに落ちます。
1949年日本にも伝えられ、現在各地に植えられています。
全体にセコイアに似ているけど、
葉が対生(葉が茎の一つの節に2枚向かい合ってつくこと。)
する点で異なり、別属とされています。
メタセコイア属は日本でも数種が化石として発見され、
本種は〈生きた化石〉の一つとされています。
メタセコイアの森 2
ここは、約1,800本の樹の間に、
木製のテーブル付きのイスが配置されていて、
多くの人たちが、ピクニックを楽しんでいました。
高木のおかげで暑い直射日光を適度に遮り、
かと言って、葉枝はまばらなので暗くなりすぎずに
周囲よりも一段涼しさを感じます。
近ければ毎日来たい気持ちのいい場所です。
蓮が広がる水路 1
一直線に蓮が水路を埋め尽くしています。
蓮が広がる水路 2
つぼみもあるので、まだしばらく鑑賞できるでしょう。
ここから、江戸川へ出てサイクリングロードを下ります。
以前、手賀沼へ行ったときに通った2つの取水塔を通り、
このまま進んで江戸川区を回ろうかと思っていましたが、
すでにトータル50㎞を越えるペースになっていたので、
前回のルート通りに柴又から 亀有を通って、
千住新橋から荒サイに入ります。
暑さにも負けずとれたてキッチンまで帰ってきました!
いつもは、多くのサイクリストでにぎわっていますが、
今日は、ガラガラです。
かき氷でも食べて帰りますか???
いつものように赤羽桜堤緑地を抜けて、志村坂上から帰宅。
今日も、感動だらけのライドになり満足でした!!!
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1719117302/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1532238882
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
メンテのあと、石神井川下りのおさんぽ試走をしたぜい。
2018.7.16(月)
今日も変わらずに激暑。
三連休最後なので、無理なライドは控え、
いい機会だから、自転車の整備をしに中板橋へ出かけま~す!
ネットでスポーツバイクを買ってしまうと、
なかなかメンテナンスをどこでやるか悩むところです。
ハンドルまわりでブレーキの応急調整をする程度で、
つい一年以上も経ってしまいました。
中根橋のところにある「サイクルショップ・アベ」さん。
口コミ通りの、ブレーキとシフトの調整を丁寧に
作業していただきました。
おかげさまで、買ったばかりの頃のバシバシ効くディスクブレーキと、
切れのある変速によみがえり、大いに満足です。
これからちょっと試走してみようと、
目の前の石神井川をふらっとおさんぽすることにしてみました。
旧中山道にかかる、板橋
「距日本橋二里二五町三三間」
「日本橋から十粁六百四十三米」(1k643m)
板橋は、仲宿付近の石神井川に架けられ、地名「板橋」の由来とされる橋。
その名は『義経記』等の文献の中で、
平安時代の昔より既にあったものとして登場しています。
古代から近代にかけてのものは文字どおり板張りの木橋で、
江戸時代のものは、長さ9間(約16.4m)、幅3間(約5.5m)の緩やかな太鼓橋となり、
歌川広重の浮世絵や長谷川雪旦の『江戸名所図会』にも描かれています。
昭和7年(1932年 )以後は平坦なコンクリート橋になりましたが、
欄干に木目模様を施して雰囲気を演出しています。
現在は板橋十景の一つとなっています。
加賀学園橋
宿場に隣接した地には、
明治時代にその一部が陸軍の板橋火薬製造所となりました。
また、宿場内には北豊島郡役所が設置されるなど、
東京北西部の政治・経済・交通・文化の中心的な地域でした。
加賀橋
加賀一丁目あたりにかかる橋。
すぐ横にある加賀橋公園には、説明の碑と共に「南極の石」が置かれています。
1973年から2009年にわたり、極地に関する総合研究活動を続けてきた
国立極地研究所がここ加賀にあったことの証として
加賀まちづくり協議会へ送られたそうです。
種別:縞状黒雲母片麻岩(しまじょうくろうんもへんまがん)
観測隊次:第25次南極地域観測隊(初代「しらせ」が就航した最初の南極観測隊)
採取場所:南極・プライド湾にて1984年2月に採取
その先、両岸木が生い茂って木陰が続く中、
加賀緑橋を渡って左岸へ。
埼京線の橋梁をくぐると、間もなく北区に入ります。
何気なく進んでいると、一般道が交差するところで工事をしていました。
振り向くと、なんと観音様が鎮座されています。
こんなところに???
谷津大観音 YATSU-DAIKANNON
南照山観音院寿徳寺の参道を下りた寺域に、
同院 新井慧誉和尚の発願により2008年2月に建立されたものです。
谷津というのは、この辺りの小字(こあざ)名で
現在でもその名で親しまれていることから谷津大観音と名付けられたそうです。
石神井川は現在の板橋区加賀付近から谷の底が深く なり、
王子へ続く蛇行した渓流となっていました。
などとよばれていました。
滝野川の町境の北側が石神井川上から一部半円状に外れる部分はかつての流路で、
現在「音無さくら緑地公園」になっており、
江戸名所図会『松橋弁財天窟 石神井川』に描かれる江戸の名所でした。
滝野川あたりは護岸がコンクリートで固められて、
川の水辺にはいくことができませんが、
音無もみじ緑地は入り江のような場所が残っていて、
水辺まで降りていくことができます。
音無もみじ緑地
入り江では、数人の子どもたちが網をもって小魚をとっていました。
桜の頃には、素敵な風景になること間違いなし!
瀧河山 松橋院 金剛寺 Ryuukasan-shoukyouin-kongouji
源頼朝 布陣伝承の地とされており、
境内にある説明文によると以下のようになります。
配流先の伊豆で挙兵し、石橋山の合戦で敗れて安房に逃れましたが、
上総・下総を経て墨田川を渡り、滝野川・板橋から府中六所明神に向かい、
ここから鎌倉に入って政権を樹立します。
この途次の10月、頼朝は軍勢を率いて
滝野川の松橋に陣をとったといわれてます。
松橋とは、当時の金剛山の寺域を中心とする地名で、
ここから見る石神井川の流域は、両岸の岩が切り立って松や楓があり、
深山幽谷の趣をもっていました。
崖下の洞窟には、弘法大師の作と伝えられる石の弁財天が祀られていましたが、
頼朝は、弁財天の祈願して金剛寺の寺域の弁天堂を建立し、
所領の田地を寄進したと伝えられます。
金剛寺は紅葉寺とも称されますが、
これは、この地域が弁天の滝や紅葉の名所として
知られていたことに由来するからです。
音無親水公園 Otonashi-shinsuikouen
「日本の都市公園100選」に選ばれています。
ちなみに、このあたりの流れが 「音無川」 と呼ばれたのは、
徳川8代将軍・吉宗が紀州の音無川から命名したことによるそうです。
北側の王子稲荷のある高台との狭い間を通って東へ流れていました。
旧流路は、音無親水公園となり、現在は汲み上げた地下水が流されています。
ちびっこたちには、もってこいの水遊び場となっていて、
激アツのこの日も、多くのはしゃぐ声でにぎわっていました。
流路の狭さのため、戦後には板橋大谷口付近でたびたび洪水があり、
1958年の狩野川台風では、ここ王子駅の改札口が冠水するなど
北区だけで5000世帯が被害にあったそうです。
そこで、石堰を廃止するとともに1966年から1968年 にかけて
飛鳥山の下をトンネルで通す飛鳥山分水路(バイパス)が建設され、
1969年の3月に完成しました。
いよいよ、川沿いの散歩もここまで。
この先、石神井川は王子駅の直下を通り東側の豊島の低地へ抜けて
隅田川へ注いでいきます。
ここからUターンをして、紅葉橋からは反対側を進んでみます。
わんぱくアスレチック
まだ出来たばかりのような新しい遊具がならんでいますが、
この暑さのせいか遊んでいる子どもは一人もいません。
板橋区役所前駅近くの、なごみで昼そばを食べて帰宅しました。
トータル約14㎞のおさんぽライドでしたが、
普段、中板橋のあたりしか通っていないので、
今回は、また新しい発見が多くあり、
ゆったりまった楽しいライドでした。
現UP時点、STRAVAでは、この時のライドの反応がTOPになっています。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1705810862/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1531732198
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
急遽決定!救邪苦(くじゃく)風鈴は、どんな音色?
2018.7.15(日)
昨日のライドは、念入りに計画を立てましたが、
今日の分は正直考えていませんでした。
しかーし!
昨日、STRAVAの荒サイ倶楽部でみなさんのライドをチェックしていたところ、
風鈴ライドとタイトルにしたS.Sさんの画像に
目がとまりました。
これは、川越氷川神社ではないみたいたぞ。
ログ(軌跡)を確認してみると、岩槻?
添付画像にHISAIZU JINJAと書かれたサイクルラック。
今日は、ここ一本に絞って行きましょう!
武州岩槻総鎮守 久伊豆神社 HISAIZU-JINJA
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昭和13年(1938)
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう)殿下が岩槻にご来臨の折、
当神社へ孔雀を三羽下賜されてより大切に育て、
現在その子孫は十六羽を数えます。
朝香宮殿下孔雀奉納八十年記念として
今年は孔雀にちなんで929個の風鈴を設置、
「救邪苦(くじゃく)風鈴トンネル」
(8月末まで)が皆様をお迎えいたします。
心身の穢れを祓うとされる鈴の音、
また風を音で感じることで暑さも和らぎます。
願い事を風鈴に吊るす「夢短冊」もございます。
どうぞ涼を求めて久伊豆神社へお参り下さい。
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岩槻 時の鐘入口
通りから入るところに案内はありますが、あまり目立たないので、
反対側から来た自分は通り過ごしてしまうところでした。
時の鐘
ひっそりと佇み、見に来る人はほとんどいません。
川越と違って住宅地に中にあり、鐘の突き手も確保できないようで、
いまでは、ほとんど飾り状態になっているようです。
北に向かい、東武アーバンパークラインの線路を越えると、
目的地はすぐ目の前です。
少し長い参道に入ると高い木が生い茂り、
一気に神聖な雰囲気になって来ました。
久伊豆神社のサイクルラック
鳥居手前にあるサイクルラックに最初とめようとしたら、
高さが低くて、自転車を後ろから横倒しにしてサドルをかけるという状態。
しかし、高さが足らずにかかるまでいかない。
しかたないので、端によせてロック!しましたが、
二の鳥居をくぐると、先に高さのあるサイクルラックがあったので
そちらへ移動。
でもこれがまた、今度は高すぎ!
(前輪も浮いてしまう・・・笑)
久伊豆神社 二の鳥居
久伊豆神社の由来
お祀りされているご祭神は、
大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命(おおくにぬしのみこと)です。
約1400年前、出雲族の土師(はじ)氏が東国移動の際、
出雲国からご分霊し建立されたのが始まりとされています。
のちに、1457年(長禄元年)、太田道灌が岩槻城を築城した際、
当社を岩槻城の鎮守としました。
手水舎横手の風鈴の小路
記念撮影用に、カメラ台も用意されています。
手水場
何年かぶりに、きちんと作法通り(手順が書いてあります)に
やった気がします。
救邪苦(くじゃく)風鈴トンネル
微風がそよぐ中、ビデオを回しながらくぐり抜けてみました。
激暑なのを忘れて、なんと心地よい場所なのでしょうか。
色とりどりの風鈴
川越氷川神社でも、同じような飾り付けをしているようですが、
ここはまだあまり広く知られていないようです。
外国人の観光客が知ったら、
あっという間に広がってにぎわってしまうことでしょう。
一年安鯛みくじ
鯛を型どったかわいらしい入れ物に入ったおみくじ。
横にある釣竿で引っかけて釣り上げます🎣
挑戦したかったが、300円の小銭がなかった・・・残念。
北野天満宮(左)と神札所(右)
「久伊豆」が「くいず」とも読めることから「クイズ神社」とも呼ばれ、
「史上最大!第11回アメリカ横断ウルトラクイズ」(1987年)の
国内第二次予選会場として選ばれました。
帰路は、また時間短縮のために最短距離を選びます。
県道65号線を走り、北浦和方面へ向かいます。
浦和へ出ると、なにやら前方で交通規制中。
「浦和まつり」の真っ只中に入ってしまいました。
車道を踊り手が道いっぱいに広がり、
両側の狭い歩道から、抜け出すことが出来ません。
なんとか隙を見て横断し、17号線を南下。
戸田橋を渡り、いつものファミマ舟戸で最後の一服とおもったら、
先客ロード2台が停まっていたので、坂下3丁目店で休みました。
ファミマに駐輪した時、ブロックにセミの脱け殻。
いきなり夏が来て、大人になりきれずに脱皮したでもあるかのように、
小さな脱け殻です。
今日も、50kmを軽く越えてしまいました。
岩槻、結構遠かったなぁ・・・
距離感がおかしくなっているかな?
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1703472190/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1531652313
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
レインボーブリッジの真ん中で、ドローン目線からのお台場を楽しむ!
2018.7.14(土)
今日から三連休ですが、
同時に3日間猛暑日予報です。
またまた激暑ライドの対処が必要ですね。
本当は、熱海の仲間の別荘に誘われたのですが、
さすがに35度越えで行くのは、
渡良瀬の二の舞になりそうだったのでお断りしました。
せいぜい50km前後がいいところでしょう。
今日のメインディッシュは、
あのレインボーブリッジを渡ってみたい
と思います。
亜ガリコ餃子楼
POPな看板につい目が行ってしまった。
この坂はその昔、幽霊坂という名前でした。
(ノД`)
突然ですが、今はなんという名前がついているでしょう?
その答えは、次の写真の石碑に刻んであります。
大正元年(1912)9月に乃木将軍の殉職と同時に幽霊坂という名は廃され、
●●坂に改められた。とあります。
そう、答えは乃木坂。
いま、飛ぶAKBを落とす勢いの46!
六本木ロアビル手前を右に入ると、
ハードロックカフェが見えてきました。
1983年7月、日本第1号店(世界第4号店)としてオープン。
東京・六本木という場所柄から、最も来日ミュージシャンが訪れる店として、
数多くのエピソードがあります。
その中でも1995年に行われたThe Rolling Stonesの
深夜プライベートパーティーと、
Bon Joviのシークレットライブは
今では伝説として語られているそうです。
スヌーピーミュージアム東京
言葉「ともだちは、みんな、ここにいる」とともに開館した
スヌーピーミュージアムは、2018年9月、ついに2年半の期限を迎え閉館します。
最後の展覧会では、みずみずしい筆遣いの貴重な原画約80点と
新作アニメーション映像などを通じて、
ユーモラスで哀愁漂う、ともだち同士のやりとりを楽しめます。
入口から写真だけ撮っている間にも、次から次へと人がやってきます。
残りあと1ヶ月半。ファンの人は急いで行きましょう!
結構な急坂の鳥居坂を下り、
麻布十番の商店街へ突入!
麻布十番から、芝公園、金杉橋と西へ移動します。
新日の出橋
東京湾が見えてきました。
お台場方面、観覧車も見えます。
待ってろよ!おだいばーーー。
レインボーブリッジのループ部分
芝浦アンカレイジという、橋脚に接する施設からスタートです。
※アンカレイジは、つり橋の翼となるメインケーブルをつなぎ留めるための
巨大なブロックです。
自転車で渡るには、この台車を後輪に着けて押して下さい。
と、警察からのお達しです。
ちょっとマヌケですが、安全第一。
ルールは守りましょう。
エレベーターで一気に7階へ。
扉が開くと、目の前には進行方向のお台場が。
基本、金網フェンスが張られ、
横の車道は車がビュンビュン走りすぎ、真ん中をゆりかもめが通ります。
ここは、下層階。
上層階は、首都高速11号台場線。
主塔の所は、外側にまわるようになっていて、
絶好の撮影スポット。
そこから撮影した、普通には撮れない景色。
この第6台場は植物や野鳥の宝庫になっており、
学術的にも貴重な場所として保全のため立入禁止となっています。
南ルートの全長は1,523m
台場公園は国指定史跡である第3台場を公園として開放したものであり、
海岸沿いの高台には、砲台跡、園内中央には、陣屋跡や火薬庫跡、かまど跡があり
歴史を感じることができます。
この第3台場は隣接する第6台場とともに「品川台場」として、
2017年4月に続日本100名城に選定されました。
20~30分で、お台場側へ降りて来ました。
ここを無料で通れるなんて、
貴重な体験をしました。
※お台場側から自転車で渡るときは、北側ルート(晴海側)指定となります。
歩行の場合はどちらでも可。
ここお台場海浜公園には、
そこかしこに船のイカリとクサリがちりばめられています。
最初は、引き揚げられたものをそのままディスプレイしているのかと
思っていましたが、
あまりにもたくさん出てくるので、???
アウトドア・アート作品として展示されているようです。
自由の女神像
高さ11m、重量約9t
ブロンズ製のこの像は、フランスから『自由の女神像レプリカ』の作成が認められ、
臨海副都心まちづくり協議会が製作、東京都へ寄付し設置されました。
フランスのクーベルタン鋳造所で複製されたものです。
散策路に咲く花
サルスベリ(百日紅=ヒャクジツコウ、Lagerstroemia indica)は、
ミソハギ科の落葉中高木。
和名は、幹の肥大成長に伴って古い樹皮のコルク層が剥がれ落ち、
新しいすべすべした感触の樹皮が表面に現れて更新していくことによる。
(ナツツバキやリョウブをサルスベリと呼ぶ地方もある)
つまり、サルが登ろうとしても、滑ってしまうということで、
猿滑と表記することもある。
実際には猿は滑ることなく
簡単に上ってしまう!
ちょうどお台場に着いたスカイダックが揚がって来ました。
すぐに海水漬けになった車体を洗車しています。
東京港トンネル(お台場側入口)
潮風公園のBBQ広場は団体でいっぱいでした。
水辺の道沿いは工事中で先に進めないので、
フェスティバル広場へ向かうことにします。
斜面いっぱいに咲く緑のあじさい。
その上に、金色の物体がひょっこりはん!
なんかEXILEの文字と、巨大ディスプレイでイベントをやっていると思ったら、
「居酒屋えぐさいるPARK」でした。
グッズ販売や縁日をやっているようです。
自由の炎像
ひょっこりはんの正体は、
シンボルプロムナード公園内にある高さ約27mのオブジェでした。
平成10年に開催された「日本におけるフランス年」を記念してフランスから寄贈され、
自由の女神と並ぶ臨海部のシンボル的存在です。
フェスティバル広場にそびえ立つ、
出ました!ガンダム。
自分は、ガンダム世代ではないのでよくわかりません。
海外の人たちに混じって撮影をしてきました。
すっかり観光客の一人です。
ヴィーナスフォートあたりからプロムナード沿いに、
たくさんの花が植えられていて、とてもきれいです。
ホテルトラスティ東京ベイサイド
臨海エリアには、建築技術を結集した多くの建造物が林立しています。
東京ビッグサイトを初めて正面から見る。
ビッグサイト横の道路を直進していくと、
ここまで来る人は、めったにいないと思います。
Uターンをしてまっすぐ北上すると、
豊洲市場が見えて来ました。
豊洲のアーバンゲートブリッジ
運河沿いに進むと、しぶい橋が視界に入ってきました。
晴海橋梁
晴海線が1989年(平成元年)2月10日に廃止となり、
東京都港湾局専用線が全廃となりました。
同時に本橋梁も供用廃止となったが、
撤去されずに当時の姿のままの遺構として現存しています。
時間も押してきたので、北上開始。
すみだ北斎美術館
その生涯のほとんどを区内で過ごしたとされています。
墨田区はこの偉人をたたえて、地域振興の一環
として美術館を建設することにしました。
超近未来的な建物は、妹島和世(せじまかずよ)による建築設計。
日本の伝統である浮世絵など、圧倒的な画業で人々を魅了した北斎作品と、
近未来ともいえるアルミの外観を持つ妹島の設計は、
一見相反する事と感じがちですが、
どちらも世界から注目を浴びているという共通点が見えてきます。
当初の激暑予報に反して、
午後は雲もあり、風も少しあって思ったより過ごしやすい。
あちこち欲張ってのんびりしていたら、すでに3時前。
駒形橋へ抜けて上野の山を通り、
いつもの道を帰りましょう。
また、50kmを越えてしまった。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1701117996/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1531561552
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!