jab sport17の日記

パートナーBianchi JAB SPORT 2017(進化中)を駆って楽しい週末ライド! お気に入りのイエロー ITM ステム で気分はマルコ・パンターニ(^o^)v

メンテのあと、石神井川下りのおさんぽ試走をしたぜい。

2018.7.16(月)

今日も変わらずに激暑。

三連休最後なので、無理なライドは控え、

いい機会だから、自転車の整備をしに中板橋へ出かけま~す!

ネットでスポーツバイクを買ってしまうと、

なかなかメンテナンスをどこでやるか悩むところです。

ハンドルまわりでブレーキの応急調整をする程度で、

つい一年以上も経ってしまいました。

中根橋のところにある「サイクルショップ・アベ」さん。

コミ通りの、ブレーキとシフトの調整を丁寧に

作業していただきました。

おかげさまで、買ったばかりの頃のバシバシ効くディスクブレーキと、

切れのある変速によみがえり、大いに満足です。

これからちょっと試走してみようと、

目の前の石神井川ふらっとおさんぽすることにしてみました。


 

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中山道にかかる、板橋

「距日本橋二里二五町三三間」

日本橋から十粁六百四十三米」(1k643m)

板橋は、仲宿付近の石神井川に架けられ、地名「板橋」の由来とされる橋。

その名は義経記等の文献の中で、

平安時代の昔より既にあったものとして登場しています。

古代から近代にかけてのものは文字どおり板張りの木橋で、

江戸時代のものは、長さ9間(約16.4m)、幅3間(約5.5m)の緩やかな太鼓橋となり、

歌川広重の浮世絵や長谷川雪旦の『江戸名所図会』にも描かれています。

昭和7年(1932年 )以後は平坦なコンクリートになりましたが、

 

欄干に木目模様を施して雰囲気を演出しています。

現在は板橋十景の一つとなっています。

 

 

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賀学園橋

宿場に隣接した地には、

加賀藩前田家の広大な江戸下屋敷が広がり、

明治時代にその一部が陸軍の板橋火薬製造所となりました。

また、宿場内には北豊島郡役所が設置されるなど、

東京北西部の政治・経済・交通・文化の中心的な地域でした。


 

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賀橋

加賀一丁目あたりにかかる橋。

すぐ横にある加賀橋公園には、説明の碑と共に「南極の石」が置かれています。

1973年から2009年にわたり、極地に関する総合研究活動を続けてきた

国立極地研究所がここ加賀にあったことの証として

加賀まちづくり協議会へ送られたそうです。

 


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種別:縞状黒雲母片麻岩(しまじょうくろうんもへんまがん)

観測隊次:第25次南極地域観測隊(初代「しらせ」が就航した最初の南極観測隊

採取場所:南極・プライド湾にて1984年2月に採取

 

その先、両岸木が生い茂って木陰が続く中、

加賀緑橋を渡って左岸へ。

埼京線の橋梁をくぐると、間もなく北区に入ります。

 

 

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気なく進んでいると、一般道が交差するところで工事をしていました。

振り向くと、なんと観音様が鎮座されています

こんなところに???

 

谷津大観音 YATSU-DAIKANNON

南照山観音院寿徳寺の参道を下りた寺域に、

同院 新井慧誉和尚の発願により2008年2月に建立されたものです。

谷津というのは、この辺りの小字(こあざ)名で

現在でもその名で親しまれていることから谷津大観音と名付けられたそうです。

 

 

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神井川は現在の板橋区加賀付近から谷の底が深く なり、

王子へ続く蛇行した渓流となっていました。

この渓谷は石神井渓谷」「滝野川渓谷」「音無渓谷」

などとよばれていました。

滝野川の町境の北側が石神井川上から一部半円状に外れる部分はかつての流路で、

現在「音無さくら緑地公園」になっており、

江戸名所図会『松橋弁財天窟 石神井川に描かれる江戸の名所でした。

 

 

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野川あたりは護岸がコンクリートで固められて、

川の水辺にはいくことができませんが、

音無もみじ緑地は入り江のような場所が残っていて、

水辺まで降りていくことができます。

 

 

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無もみじ緑地

金剛寺の裏手で、かつての滝野川城跡にあたります。

入り江では、数人の子どもたちが網をもって小魚をとっていました。

桜の頃には、素敵な風景になること間違いなし!


 

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河山 松橋院 金剛寺 Ryuukasan-shoukyouin-kongouji

源頼朝 布陣伝承の地とされており、

境内にある説明文によると以下のようになります。

 

治承4(1180)年8月、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝

配流先の伊豆で挙兵し、石橋山の合戦で敗れて安房に逃れましたが、

上総・下総を経て墨田川を渡り、滝野川・板橋から府中六所明神に向かい、

ここから鎌倉に入って政権を樹立します。

この途次の10月、頼朝は軍勢を率いて

滝野川の松橋に陣をとったといわれてます。

松橋とは、当時の金剛山の寺域を中心とする地名で、

ここから見る石神井川の流域は、両岸の岩が切り立って松や楓があり、

深山幽谷の趣をもっていました。

崖下の洞窟には、弘法大師の作と伝えられる石の弁財天が祀られていましたが、

頼朝は、弁財天の祈願して金剛寺の寺域の弁天堂を建立し

所領の田地を寄進したと伝えられます。

金剛寺紅葉寺とも称されますが、

これは、この地域が弁天の滝や紅葉の名所として

知られていたことに由来するからです。

 

 

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無親水公園 Otonashi-shinsuikouen

日本の都市公園100選に選ばれています。

なみに、このあたりの流れが 「音無川」 と呼ばれたのは、

徳川8代将軍・吉宗が紀州の音無川から命名したことによるそうです。


 

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つては音無渓谷は、王子駅付近は飛鳥山(上野台地)と

北側の王子稲荷のある高台との狭い間を通って東へ流れていました。

 

旧流路は、音無親水公園となり、現在は汲み上げた地下水が流されています。

ちびっこたちには、もってこいの水遊び場となっていて、

激アツのこの日も、多くのはしゃぐ声でにぎわっていました。

 

 

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路の狭さのため、戦後には板橋大谷口付近でたびたび洪水があり、

1958年の狩野川台風では、ここ王子駅の改札口が冠水するなど

北区だけで5000世帯が被害にあったそうです。

そこで、石堰を廃止するとともに1966年から1968年 にかけて

飛鳥山の下をトンネルで通す飛鳥山分水路(バイパス)が建設され、

1969年の3月に完成しました。


 

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よいよ、川沿いの散歩もここまで。

この先、石神井川王子駅の直下を通り東側の豊島の低地へ抜けて

隅田川へ注いでいきます。

 

ここからUターンをして、紅葉橋からは反対側を進んでみます。


 

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んぱくアスレチック

まだ出来たばかりのような新しい遊具がならんでいますが、

この暑さのせいか遊んでいる子どもは一人もいません。

 

 

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橋区役所前駅近くの、なごみで昼そばを食べて帰宅しました。

トータル約14㎞のおさんぽライドでしたが、

普段、中板橋のあたりしか通っていないので、

今回は、また新しい発見が多くあり、

ゆったりまった楽しいライドでした。

 

現UP時点、STRAVAでは、この時のライドの反応がTOPになっています。

 

Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1705810862/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1531732198
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キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!