お化け煙突ってどんなものだったんだろう?・・・時代を遡る荒川区めぐり。
2019.7.15(月)
本日も曇天なり。
いつ降り出すのか?
雨が降っていないので出かけるには、
今でしょう!
石神井川のカモクンたち。
都電荒川線 荒川車庫前
レトロ感のある建物。
いつまでも残しておきたい建築物です。
1両づつ異なるデザインの車両が連なっています。
ぬりえ美術館
ここは小さいころに遊んだぬりえの世界を満喫できる美術館です。
昭和20年代から30年代、
蔦谷喜一が描いた塗り絵の原画に思い思いの色を塗って、
それぞれの作品を仕上げた文化などを紹介。
展示ギャラリーでは数多くのぬりえが展示されています。
海外のぬりえも研究、紹介されています。
実際にぬりえを楽しめるスペースもありますので、
子供も大人も夢中になってぬりえの世界に入り込むことができます。
ムラマツ製菓
創業120年という古い飴屋さんで、
現在は3代目の方になるそうです。
ここで作られる『ウィスキーボンボン』は、
飴の中にアルコール分をとばしたウィスキーを入れて型でかためたもので、
他にも、ブランデーを入れた『ブランデーボンボン』や、
日本酒を入れた『酒ボンボン』なども売っています。
初代から、変わらぬ製法で、懐かしい味が守られています。
お化け煙突モニュメント
お化け煙突は千住火力発電所の4本の煙突で、
上から見ると、ひし形に配置されていたために見る場所により1本にも2本にも、
さらに3本にも見えました。
1本に見えるのは千住の旧区役所(現あだち産業芸術プラザ)方向と
本木一丁目27番南側の荒川左岸(北側)の2方向でした。
発電所は、現在の千住桜木一丁目13番北側のMIYAZAKI
荒川(現隅田川)右岸に大正15(1926)年1月に建設され、
煙突の高さは83.82mあり、レンガでできていました。
その後、昭和30年代に周囲を鋼板で補強しました。
しかし、老朽化と効率化のため昭和38(1963)年に発電所が解散され、
翌年秋から解体工事を実施、11月末には完全に姿を消してしまいました。
その後は、足立区立元宿小学校にその地を譲り、
シンボルであったお化け煙突も解体されましたが、
一部は校庭の滑り台として姿を変えて歴史を物語ってきました。
小学校が廃校となったあと、帝京科学大学の千住キャンパスが竣工。
小学校解体時に残った巨大煙突製の滑り台を別の形で残すため、
『お化け煙突モニュメント』として再生されたのです。
発電所の写真やプレートを飾り、
4本あったという巨大煙突をミニチュアで再現したことで、
当時の様子が偲ばれます。
隅田川沿いから千住龍田町に出てきました。
これから旧日光街道の散策に向かいます。
千住四丁目の元地漉紙問屋横山家
宿場町として賑わった千住には、日光街道沿いに多くの商家が建ち並んでいました。
大正期にバス路線が通じた本木新道などにも商店が多くできました。
中でも、漉返紙の問屋であった横山家住宅(足立区登録有形民俗文化財)は
江戸時代の代表的な商家建築です。
商家の店先は街道に面し、土間と帳場(ミセ)が商売の場所となります。
八古屋 Yakoya
純和風の黒い瓦屋根に、
外壁の色鮮やかな鳥と、木戸に描かれた猫のイラストが
強烈なインパクトを与えてきます。
長年はんこ屋の店舗兼住居だった建物は戦前のもの。
「木や古いものが好き」というオーナーのMAHさんが、
古着屋から居酒屋としてオープンしました。
毎日通り飲食店街
宿場通りの外れの路地にこの呑み屋街はあって、
バックには駅直結のタワーマンションがに聳え立っています。
一歩足を踏み入れると狭い道の両側にはバーやスナック、
ちょっと不可思議な感じの画廊なんかもあります。
千住宿場町おこし
千住大橋に近い南側のやっちゃ場があった辺りは、
当時の位置関係が分かるように
看板や説明板を設置して訪れる人達に説明をしています。
現在は、南側の端に足立市場があります。
足立市場
東京で市場といえば、豊洲に移転した築地市場や築地場外市場が有名で、
新鮮な魚を買ったり、食堂では魚を使った朝食やランチが楽しめることが魅力。
その築地市場と肩を並べるのが、
あまり知られていない東京都足立区千住橋戸町にある、
東京都卸売市場「足立市場」です。
東京で唯一の水産専門の市場で、新鮮でおいしい魚はもちろん、
野菜や玉子焼きなど幅広い商品が購入できます。
さらに築地と同様に複数の食堂で、
朝食やランチで美味しいグルメが楽しめます。
鹿浜橋
荒川に架かる環七通りの橋。
荒サイを走るサイクリストにはおなじみです。
橋を渡って首都高速川口線が大きくカーブをするところに
サイクリストのオアシスでもある
とれたてキッチン(都市農業公園)があります。
都市農業公園
ここのとれたてキッチンでは、
横の畑で取れた野菜を使った料理を食べることが出来ます。
はるかのひまわり
1995年1月17日朝5時46分、阪神淡路大震災がおこり、
神戸の当時小学6年生のはるかちゃんが亡くなりました。
震災から半年後、かつて彼女の家があった場所には、
なんとたくさんのひまわりが…
はるかちゃんのお母さんは力強く咲くひまわりを見て
「娘がひまわりとなって帰ってきた」と涙しました。
その花を「はるかのひまわり」と呼び、
その種を取って有志の方々の手によって全国各地で植え続けられています。
古民家のタマネギ干し
赤ポストとあじさい
ヤブカンゾウ
鮮やかな橙赤色の八重の花が特徴。
花は朝に開き、夕方にはしぼんでしまう一日花と言われています。
園内を流れる用水路
再び鹿浜橋を渡り、
岩淵水門のほうへ向かいました。
赤水門と呼ばれる、朱塗りが映える旧岩淵水門へ。
月を射る Tsuki wo iru
水門を渡った緑地にある
青野 正による無数の鉄棒を溶接したオブジェです。
作者の言葉
"私は、形あるものの消えゆく時間、造られたものが風化され
「風になる」という遥かなことに、思いを巡らせています。
「月を射る」では、古代の人々が憧れたであろう、天・月・川面に
映った世界、果てのない世界観を、想像してみました。
満月のときの明るい夜空に、水の上に、何か見えるとよいのですが"
岩淵水門方向
旧岩淵水門(赤水門)
近くで見るとまだまだ現役にも見えますが・・・。
台風水位モニュメント
赤水門近くのポールには、これまで台風などで上昇した水位が示され、
その高さに水害の恐ろしさが一目でわかります。
最高位は、昭和22年9月16日のカスリーン台風で、
8.60m。
次位は昭和16年7月23日の台風で、8.07m。
昭和33年9月27日の狩野川台風の7.48mと続きます。
荒川岩淵関緑地
小さな黄色い花が池を彩っています。
今日は、比較的近場を巡ったのですが、
戻ってくると41㎞も走っていました。
早く晴天の中を気持ちよく走りたいものです。
Stravaでアクティビティをしました: https://strava.app.link/wcUrZrPmqY
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!