なぜかシンゴジラの聖地巡りをしながら、かぁまたたたたーっ駅。
2018.9.8(土)
9月に入っての初ライド。
また、2週間ぶりになってしまいました。
週末になって、暑さがぶり返し、
最高32℃くらいになるようです。
午前中は比較的心地よく走りやすいかな?
17号を皇居めざしてLet's Go!
皇居前広場(西側)
多くの観光客、ランナーたちでいっぱい。
皇居前広場(東側)
ここから、第一京浜に突き当たるまで直進。
その後、品川方面へと向かいます。
東海道八ツ山口 Toukaidou yatsuyamaguti
これより品川宿を走っていきます。
品川浦船溜まり Shinagawaura Funadomari
品川浦はかつて漁港として豊富な水揚げを誇り、
海苔の主要な産地でもありました。
現在ではつり船や屋形船が舳先へさきを並べる船溜まりとなっています。
ここの地点は、シンゴジラ撮影のワンシーンに使われています。
アトリエ パレット
町並みの一角に、着ぐるみ?
見たことがあるご当地キャラだなぁ。
愛される幼児体型二頭身型着ぐるみ
一番主流なタイプらしいです。
頭を大きく見せて可愛らしさを表現。
制作費用は、38万円~
※造形の難易度、サイズ、仕様やパーツの数によって料金が変わります。
リピートの場合でも価格に影響しません。とあります。
ふなっしーは、自腹で38万出したのかな??
溜屋横丁 Tameya yokochou
法禅寺の前から海岸へ出る横丁で、
利田新地へ渡る鳥海橋(後の品海橋)に海岸線で通じる横丁です。
古いままの土壁と錆びた鉄の扉が、
何とも言えない風情を醸し出しています。
浜川砲台 Hamakawa houdai
この砲台は「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」を
原寸大(全長 3メートル、車輪の直径 1.8メートル)で再現したものです。
現在の浜川中学校を中心とした地域は、
立会川河口左岸には、ペリー再来航後の安政初年に砲台が設置されました。
たくさんのお年寄りが、ウォーキングツアーよろしく
散策をしています。
一足早く訪れていた方に、カメラの記念撮影を頼まれました。
若き日の坂本龍馬は、警護のために立会川河口まで往来していたとも言われ、
北浜川児童遊園には「二十歳の龍馬像」が建てられており、
このあと見に行きましたが、公園内の木々伐採中で、
龍馬像には、シートがかぶせられていて拝顔できませんでした。
旧道を進んで行くと、鈴ヶ森刑場跡から再び第一京浜に合流します。
京急蒲田駅までは、ひたすら車と競争?状態。
左折するわけでもないのに、幅寄せしてくる車。
自転車の横をすれすれで追い越していく車。
自転車を乗らない人がとる行動です。
今日のお楽しみの一つに近づいてきました。
京急蒲田駅に着いたはいいけど、西口、東口ともに正規の駅名標。
くまなく一周するが、見当たりません。
まさか、駅中の二階の改札の前なのか??
西口ロータリーは、二階建て構造になっていて、
見上げてみたら、それらしきものがありそう。
駅周辺は、放置自転車を徹底して取り締まっているようで、
駐輪場を探すと、ビルの地下にありました。
これで安心をしてロータリーの階段を昇れます。
2018.9.17まで限定駅名標
かぁまたたたたーっ!
ついに見つけた!
これを求めて蒲田までやってきたのだから、
見つけずには帰れないところでした。
無事に記念撮影後、駐輪場(時間が短かったので、無料)から出庫して、
駅のすぐ脇を流れる呑川沿いに進みます。
呑川新橋
ここも、シンゴジラの撮影地。
庵野家の猫ちゃんたちをそれとなくアピールした
『ジャック&サリー ねこ病院』のピンクの看板が
印象的なあのロケ地です。
看板はCGによって加工されていたようです。
ここからは、産業道路を南下して環8大鳥居を通り、
羽田2丁目の交差点へ。
左折をして、首都高速1号羽田線をくぐります。
中華そば さとう
羽田穴守稲荷の隠れた名店というには、
ラーメン好きな方々には結構有名なようです。
穴入口を開けると、麦茶がセルフサービスで置いてあります。
料金は先払いで、中華そば中盛600円をたのみました。
中華そば以外には、トッピングとカレーライスしかありません。
待っている間に麦茶を一口飲んだら、とてもうまい!
程なく出てきた中華そばは、
煮干しと鶏で出汁をとっていてスープは黄金色。
とてもシンプルながら美味しい中華そばです。
珍しくスープを1滴残らず飲み干してしまいました!
穴守稲荷神社 Anamoriinari jinja
空港近くとあって、多くの外国人観光客と地元の方々が参拝に来ています。
なかなか撮影のタイミングがむずかしい・・・。
社伝によれば、1804(文化元)年頃、
現在の羽田空港敷地内にて羽田猟師町(現羽田2丁目・6丁目付近)の
名主、鈴木弥五右衛門が中心となり新田の開発(鈴木新田)を行った際、
激しい波のため沿岸の堤防に大穴が開くなどして決壊し、
甚大な被害が発生した。
そこで村民らは堤防の上に稲荷大神を勧請し祀ったのが
当社の創建とされる。
以降は波の害も落ち着き、豊かな田園となった。
「穴守」の冠号は「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う」
という御神徳を称えている。
江戸時代には、この「穴守」という名から転じ「(性病から)守る」に通ずるとされ、
遊女達の信仰も集めた。
鳥居の連なる参道の先に奥之宮が坐す。
一番手前にある鳥居に大きく書かれている大丸屋さん。
住所が上板橋と西池袋となっていて、
何でここに奉納をしているのだろうと思ったら、
大丸屋さんは質屋で、商売繁盛の穴守稲荷神社に寄進したようです。
奥之宮の社殿右脇には築山稲荷、反対左側にも小祠が鎮まる。
社地の北側には環八が通っていますが、
幹線道路の喧騒を忘れさせる神域となっています。
御神砂がいただけるのはこちら。
足元に置かれた金属製の箱に砂が収められており、
用意されている封筒に詰めて持ち帰ることができるそうです。
南参道脇には狐塚社、
その後方には神楽殿。
穴守稲荷神社の敷地内は鳥居だらけでした。
辨天橋から大鳥居を望む
辨天橋東詰にある鳥居は穴守稲荷の旧大鳥居です。
平和と掲げられた大鳥居
1929(昭和4)年、京浜電気鉄道により奉納された大鳥居は、
GHQによる旧社地の強制接収後も残されてました。
撤去しようとすると負傷者や死者が出た
というのは事実ではないそうですが、
周囲が空港駐車場となった後も解体されることはありませんでした。
その後新B滑走路拡張に伴い撤去が検討もされましたが、
元住民などによる保存運動の結果、移転保存の運びとなり、
1999(平成11)年2月4日、旧地から800m離れた現在地へ移設され、
羽田平和の大鳥居と改称されました。
横を流れる多摩川は、釣り人でにぎわっていました。
旅客機が数機見えます。
本当はB滑走路から飛び立つ機影を下から撮りたかった!
のですが、遭遇できませんでした。
天空橋駅へと地下に入るモノレール
羽田空港が終着地なので、
これから帰路に入ります。
JRの線路を目指します。
東海道線のアンダーパス桐畑地下道は縄文の道と呼ばれ、
通路中ほどに、大森貝塚復元模型(出土した貝を使用)があります。
池上通りに出て左折すると、まもなく大森貝塚遺跡公園が見えてきました。
大森貝塚遺跡公園
モース博士が発掘した大森貝塚は
現在、大森貝塚遺跡庭園として整備されています。
貝塚とは大昔のゴミ捨て場で、
貝以外にも動物の骨・土器・石器など様々なものが見つかっています。
モース博士像
明治10年(1877)6月横浜から新橋へ向う車窓で、
大森貝塚を発見しました。
そこで土器、石器、人骨など多数の資料を発掘し、
その成果を『SHELL MOUNDS OF OMORI』として刊行しました。
この発掘が日本の考古学、人類学などの発展に大きく貢献するとともに
日本の先史文化を海外にも広めました。
貝層
この貝塚から出土した海の生物の骨
スズキ、クロダイ、マアジ、サバ、ヒガンフグ、ウナギ、トビエイ、ウミガメ
陸の生物の骨、鳥の骨
イヌ(埋葬されたと考えられている)、ガン、カモ
青物横丁から旧道に入って往路を戻りま~す。
本日の東京タワー
青空に映える赤白のコントラスト。
今日も盛りだくさんのライドでした。
中華そば、美味しかったな・・・。
また行こう!
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1826592779/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1536390234&utm_source=jp.ne.hatena.blog&utm_medium=referral
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!