トトロくんに引かれて深大寺参り。〈そばを食べ忘れるの巻〉
2018.8.26(日)
激暑もすっかり戻ってきて、
外出はなるべく避け、涼しい室内に移動してください。
運動は原則中止し水分を補給しましょう・・・。
自分のスタイルとしては、
原則天気の良い日は、ライドしましょう。
雨天、夜間は、ライドを控えましょう。
もちろん、水分補給や栄養補給、休憩はこまめに 取るようにして、
自己管理を怠らないようにしています。
今日は、ライド・コンダクターにトトロくんを迎え、
ワクワクツアー開始です!
井の頭公園 Inogashira kouen
西側には井の頭自然文化園、御殿山の雑木林、
玉川上水、西園の運動場などの名所が点在する都内有数の公園となっています。
花見の名所であり、また、井の頭弁財天などの史跡などもあり、
子供から大人まで幅広い年代の人が楽しめるスポットとして、
四季通じて多くの人が散策に訪れています。
ボート乗り場
今日は日曜日ですが、さすがにこの暑さなので人出も少なく、
ボートもたくさん余っています。
井の頭弁財天
弁財天(弁才天)はもともとは
このサラスヴァティーとは聖なる(豊かなる)河といった意味で、
水の神様とされてきました。
井の頭弁財天も井の頭池の中におまつりされています。
このあと、自然文化園にある彫刻園に行きたかったのですが、
有料なのであきらめます。
※基本、自分のライドで寄る場所は、無料のエリアのみ。
三鷹の森ジブリ美術館 Mitakanomori jiburi bijutsukan
吉祥寺通り沿いに三鷹の森を進んで行くと、
ヨーロッパの地方にあるような建物が見えてきました。
「三鷹の森ジブリ美術館」の看板が立っています。
看板の前に到着すると、おっきなトトロが受付でお出迎え。
穴をのぞけば、まっくろくろすけもいます。
ここは、ニセの受付になっていて、
トトロが本当の受付の場所を教えてくれます。
知っていそうで知らないトトロのことー!
トトロ(大トトロ)
名前の由来はメイに名前を聞かれた時、
トトロが「ドゥオ、ドゥオ、ヴォロー(眠いよー)」という声を上げ、
これをメイが名前だと思い込んだことによる。
初期の設定での名前は「ミミンズク」。年齢は1302歳。
トトロ(中トトロ)
名前は「ズク」。年齢は679歳。
トトロ(小トトロ)
名前は「ミン」。年齢は109歳。
ジブリ美術館は、日時指定の予約制となっています。
但し、入れ替え制ではありません。
チケット(入場引換券)は、全国のローソンだけで購入できます。
まっくろくろすけ(ススワタリ)
草壁家に住んでいた、イガ栗のような形をした黒い生き物。
おばあちゃんはススワタリと呼んでいる。
ネコバス
実際のバスのように行先表示窓(方向幕)があり、
迷子になったメイの元に向く際は「めい」、
サツキとメイがこっそりお母さんを見舞いに訪ねる際には
「七国山病院」(本編では、「院」が上下逆になっている)、
巣に戻るときは「す」など、状況に応じて行先が表示される。
昔はカゴ屋に化けていたが、
人間のバスを見てからバスの姿に化けるようになったという。
駐輪場のかわいいサイン
屋上に配置されているロボット兵
劇中では「ロボットの兵隊」「ロボット」と呼ばれている。
外観は、丸みを帯びた三角形の頭、歪んだメガネの様な大小の目
(目の様に見える部分はビーム砲であり、
中心の赤く点滅する二つの点が恐らくセンサー)
長く蛇腹状の平たい腕と大きな手、同じく蛇腹状の脚、
甲冑の様な胴体、等が印象的であり、胸にはラピュタ帝国の紋章がある。
全高3.5m。
劇中では材質が何なのか解明されていないとムスカが語っているが、
設定では形状記憶弾性セラミック製の躯体であるとされる。
青渭神社 Aoi jinja
第六十代醍醐天皇の延長五年(九二七年)に編纂された
『延喜式(えんぎしき)神明帳』所載、
武蔵國多摩郡八座の内にて官祭の社で、
重き御社であったと伝えられている。
御祭神は水神様で、青渭大神(あおいのおおかみ)
・水波能売大神(みずはのめのおおかみ)
・青沼押比売命(あおぬまおしひめのみこと)である。
往古は、社前に凡そ五町歩余の境内地があり、
大池に滾々と湧き水あり、青波を湛えていた所から青波天神社とも称された。
青渭・青波共に水の意であり、
『渭』とは広遠に波立つ様を云い水面に打ち寄せる意で、
水神様を祀った古社である。
大ケヤキ
鳥居に向かって左側にあり、
幹囲いは目通り凡そ5.5メートル・高さ34メートル、
樹齢600年から700年の老樹であるが、
現在もなお樹勢旺盛である。
ケヤキは古名を槻(ツキ)と云い、
『新編武蔵風土記稿』に「社ノ傍二囲一丈五尺アマリノ槻ノ老樹アリ」、
また『江戸名所図絵』にも
「社前槻の老樹あり、数百余霜を経たるものなり」などと見えて
文化文政期(1804~30年)から既に目立つ巨木であった。
調布市内現存最古の樹木で、昭和47年4月市天然記念物に指定された。
深大寺東参道 Jindaiji higashisandou
深大寺は、東京都調布市にある約1,300年の長い歴史を持つ天台宗の仏教寺院。
本名「浮岳山・深沙大王寺」
浮岳山は当時、多摩川から北の方を見ると、
葦原の河原の向こうに城山が浮いたように見えたので
「浮岳山」の名が付いたそうです。
また、「深沙大王寺」の1文字づつを取り、深大寺。
水の神様です。
東京都では浅草の浅草寺に次ぐ古刹です。
多聞院坂 Tamonin no saka
当の多聞院は、深大寺の子院で、現在同場所になく、
明治6年、深大寺小学校が多聞院の建物を借用し
開校したという経緯があるそうです。
不動之瀧 Fudou no taki
東京都の名湧水57選にも入る「不動の滝」は、
不動堂 Fudoudou
山門より東、約80メートルほど離れたところに不動堂があります。
幕末の深大寺炎上の際にその難を逃れ、
『不動堂再建願』なる文書の記載から判明しています。
山門 Sanmon
参道より一段高い寺の敷地の入口に立つ正門で、
正面には「浮岳山」の山号額を掲げています。
慶応元年(1865)の火災の際にも常香楼とともに被災をまぬがれた建物で、
現在、山内で一番古い建物です。
屋根裏にあった棟札には、元禄8年(1695)に1,000人の寄進者・人足によって、
このあたりの地形と山門の普請が行われた。と記されています。
鐘楼 Syourou
文政12年(1829)に建てられた旧鐘楼は、今の大師堂裏の高台にありましたが、
幕末の大火で消失し、その後、明治3年(1870)に、
山門を入った右手に位置を移して再建されたのが今の鐘楼です。
基壇の上に、内転びの四本柱を立て、入母屋茅葺きの屋根を載せていましたが、
昭和29年(1954)の銅板葺きに改められました。
境内 Keidai
梁の木鼻には獅子・象の彫りもの正面の三段の虹梁の間には龍、
破風板の下には鳳凰の彫り物があって、江戸時代らしさが表現されています。
本堂 Hondou
江戸時代の本堂が幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は仮に、
再建した庫裡に安置されていましたが、大正8年に今の本堂が完成しました。
旧本堂は寄棟造りの茅葺き屋根でしたが、
再建本堂は入母屋造りの棧瓦葺きに変わりました。
正面十間、側面八間(一間は1.8m)という規模は、
昔より少し大きくなっているようです。
外側を雨戸付きの硝子窓とし、
腰を下見板張りとするやり方は昔から変わっていませんが、
正面中央の上り口だけは、禅宗様の棧唐戸の引き戸になっています。
元三大師堂 Gensandaishidou
慈恵大師(元三大師)像を安置しているのが、この大師堂です。
江戸時代の大師堂は、本堂の西南(新しい手水屋の在る辺り)に
東向きに建っていましたが、幕末の火災で類焼したので、
本堂西の崖地を削って造成した敷地に位置を移して再建されました。
鬼太郎茶屋 Kitarou jaya
門前には、趣のあるたくさんの蕎麦屋、食事処があります。
その中で、ひときわ異彩を放つ店構えが鬼太郎茶屋です。
壁にはキャラクターの絵、
屋根瓦の上には大きな鬼太郎の下駄が乗っています。
鬼太郎茶屋
屋根にも妖怪!
大黒天と恵比寿尊
深沙堂参道に七福神の恵比寿尊と大黒天の、
まさに丈六仏を思わす大石像があります。
この尊像は当山篤信総代であった故御林清一氏の
邸宅の入り口に祀られていたものですが、
平成18年に縁あって当地に遷座されました。
福徳尊の扁額
家内安全、商売繁盛
笑顔振りまき、幸福に導いていただけるお顔立ちの石像です。
龍と虎の石像
深大寺巡りも終え、野川沿いに少し上って行きましょう。
野川 Nogawa
その名の通り、野に流れる川といった雰囲気は懐かしさを感じます。
調布飛行場門柱 Choufu hikoujou monchuu
調布飛行場は、昭和14年(1939年)、当時の東京府が三鷹村・調布町・多磨村に
またが調布飛行場る広大な畑や山林を半ば強制的に買い上げ、
多くの農家を移転させて建設に着手した。
この門柱は、東亰調布飛行場竣工時、正門として左右に設置され、
戦時中は、「東部第百八部隊」等と厚い大きな板に
墨書きされた表札が掛けられていた。
昭和16年(1941年)4月30日に竣工式が行われ、
公共用飛行場として「東亰調布飛行場」として開設された。
調布飛行場は、2001年(平成13年)3月31日、
正式な飛行場(都営コミューター空港)として開港。
東京都営空港の一つ。
正式名称は「東京都調布飛行場」で「調布空港」と呼ばれることもある。
都営空港とは、ここ調布飛行場、大島、新島、神津島、三宅島 と
全日空輸株式会社が羽田からフライトをしている八丈島の6ヶ所になります。
空港敷地内にある、子どもが遊べる公園
飛行機の遊具がかわいらしい。
調布飛行場をホームとする、
新中央航空株式会社で使用されている機種
Dornier 228-212 NG
乗員2名 乗客19名
全長16.56 m 全幅16.97 m 全高4.86 mm
エンジンHoneywell製 715 馬力 ×2
巡航速度355 km/h 最大航続距離2.485 km
就航路線は、大島(所要時間約25分)、新島(所要時間約35分)、
神津島(所要時間約40分)、三宅島(所要時間約45分)へ
4路線1日に各島へ往復2~3便を運航しています。
飛橋の水車
ほたるの里と呼ばれるこの地域は、野川の相曽浦橋と飛橋の間に広がり、
豊かな自然環境に恵まれています。
はけと呼ばれる国分寺崖線からは多くの湧水が流れ出し
野川に注ぎ込んでいます。
その水を利用して湿性花園、田んぼ、わさび田などが広がり、
年間を通して田植え・稲刈り・収穫祭などが開催されています。
5月には田圃の上にたくさんの鯉のぼりがひるがえり、
夏の終わりになると水田には稲が実り、
懐かしい里山風景を作り出しています。
水車の流れは、野川に注ぎます。
掩体壕 大沢1号 Entaigou Oosawa1
日本全国に残る有蓋掩体壕(ゆうがいえんたいごう:コンクリート製屋根付の格納庫)
は約100基といわれていますが、
調布飛行場横にある調布アヴィショナルパークに2基現存します。
旧陸軍飛行場であった調布飛行場。
数少ない戦闘機を米軍の空襲から守るために掩体壕の中に隠しました。
コンクリート製で、
少ない資材で大きな強度が得られるかまぼこ型をしています。
更に竹製の屋根だけを乗せた無蓋掩体壕が
30基の合計60基が短期間に作られました。
現存するものはわずか4基で、
そのうち2基がこの公園内に残っています。
この掩体壕は戦争の記憶を残す証拠とし、平和への語り部として保存されています。
公園周辺には掩体壕の他にも、
高射砲台座・弾薬庫・玉石水路などがあります。
掩体壕に格納されている飛燕
三式戦闘機「飛燕」Hien
外地では稼働率の低さに泣かされ、目立った戦果を上げられなかった三式戦闘機だが、
1944(昭和19〉年12月以降の本土防空戦では、
東京・調布飛行場を本拠にした飛行第244戦隊が、
B29爆撃機を160機撃破(うち撃墜は70機)し、
三式戦闘機の高性能を実証しました。
掩体壕全体の模型
244戦隊では、川崎航空機から技術者を呼び寄せて隊付き整備員の技術を向上させ、
ハ40エンジンの高い稼働率を実現。
機体から防弾鋼板や無線機、武装の一部などを取り外して軽量化し、
上昇力をカタログスペックよりも上げて
超高空を飛来するB29に立ち向かった・・・。
今日は、トトロくんと共にライドしました。
激暑の中、いつもにも増していろいろな情報を得られました。
50kmの距離もキープ。
・・・そういえば、深大寺そばを食べ忘れていた!!!
来週末は、少し涼しくなるのかなぁ??
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1797723692/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1535290314
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!