アポさん入魂の限定黄泉の柚子切りと、絶品へそまんじゅう。
2018.8.19(日)
一気に秋の気配のような快適な気候になりました。
ロング再開するしかないでしょ!
昨晩、ツイッターで以前から気になっていた
青梅のニウギニさんから、情報がはいってきました。
黄泉の柚子切り ¥1200
8月19日限定
石臼挽き粉に柚子を練り込み十割切り
精進出汁の梅酢つゆ
薬味に
黄金おろし(大根おろし柚子和え)
アガスティアの葉(大葉)
数はあえて申しませんが数皿です
繋がるか繋がらないかは私次第!
柑橘類とそば好きな自分には、なんと興味深いことか。
開店時間は、12:00とのことです。
なにがなんでも着かねば!
8:25にライド開始。
新青梅街道をひた走る。走る。走る。
米軍横田基地 誘導灯
箱根ヶ崎の交差点の手前に一直線に続く誘導灯。
JR青梅線の踏切を渡り、細い道を行くと
玉川上水に突き当たりました。
玉川上水は、かつて江戸市中へ飲料水を供給していた
上水(上水道として利用される溝渠)であり、江戸の六上水の一つです。
玉川上水 羽村橋より上流方向
多摩川 下流方向
羽村取水堰 Hamura shusuizeki
浅瀬では、子どもから大人まで水遊びをしたり、
釣り人がいたりとにぎわっていました。
玉川兄弟の像 (昭和33年建立)
玉川カルテットの前身ではありません。
徳川四代将軍家綱時代の承応2年(1653)、
日ごとに人口の膨張を続ける江戸住民の飲料水を確保するために、
幕府は庄右衛門、清右衛門兄弟を工事担当として
羽村より四谷大木戸までの52㎞の大開削工事を命じました。
兄弟は困難を克服して
同年の4月4日から着手、11月15日には工事を完了。
現代の技術や工法を駆使したとしても、
とてつもなく早い完成です。
玉川兄弟は、もともとは江戸の町人だったとも、
多摩川沿いに住む農民だったとも伝えられていますが、
少なくとも武士ではありませんでした。
「玉川姓」を名乗るようになったのは、玉川上水の工事が完成した後。
幕府から、褒美として苗字帯刀を許されたということです。
牛枠 Ushiwaku
牛及び枠類とは、伝統的河川工法の一つであり、
川の水流の衝突部に設置して減勢、導流を行う設備。
奈良時代からあったそうですが戦国時代の甲斐の侍大将武田信玄が
急流の富士川水系の水防、制水工法として考案したと伝えられます。
1本の合掌木にむね木を斜めに載せ、
合掌木の脚をはり木で連結して四面体の枠をくつったもので、
重りの蛇籠を載せて沈めます。
その形が牛に似ており、杭打ちのできない玉石や砂利の河川で
水制や根固めに適した工法です。
羽村取水堰からS字を描く約500m上流のあたりに、
数機の牛枠が今も現存しています。
玉川上水 第二水門
羽村水上公園わきを流れる多摩川から分水された小川。
根がらみ前水田
ここは羽村市で唯一の水田になるそうです。
稲刈りが終わって翌年の田植えまでの期間は休耕地となってしまうので、
その期間を利用してチューリップの栽培が行われています。
約59,000㎡・東京ドームの1.26倍で関東最大級。
約60品種・40万球ものチューリップが咲き誇ります。
初夏から秋はお米を作り、
秋から春はチューリップを栽培し観光スポットになります。
4月には、チューリップまつりが開催されます。
阿蘇神社へ続く道
多摩川の左岸、海から55kのポストがあります。
武蔵阿蘇神社は、古くは阿蘇宮・阿蘇大明神などと称された羽村の鎮守。
武蔵阿蘇神社 拝殿
社伝によれば、推古天皇9年(601)神託により清地を築き、
神武天皇の孫にあたる
健磐龍命(タケイワタツノミコトは阿蘇山を制する神様)より賜った
霊物(玉)を鎮め祀ったことに始まります。
承平年間(931~38)平将門によって初めて社殿が造営されました。
その後、将門を討った藤原秀郷も神託を受けて社殿を造営寄進、
御神木のシイの木はこの時秀郷が手植えしたものと伝えられています。
小作取水堰 Ozaku-shusuizeki
ここを渡って対岸を進みます。
釜の淵公園 Kamanofuchi kouen
青梅市街中心部の南方に、
多摩川が大きく北側へ半円を描くように蛇行するするところがあります。
ここの形状を地図で見ると
まるでギリシャ文字のオメガ(Ω)のよう。
多摩川の流れが岩盤に阻まれて、このような形になったそうです。
その蛇行する多摩川の描く半円の内側に当たる右岸側が、
青梅市立の公園として整備されていています。
入口にかんぽの宿 青梅があり、
公園内は思い思いに遊ぶことが出来ます。
重要文化財 旧宮崎家住宅
公園内に建つ「旧宮崎家住宅」は国の重要文化財の指定を受けています。
もちろん移築されたもので、本来は青梅市街の北方の山間、
かつての北小曾木村、現在の青梅市成木八丁目辺りにありました。
1977年(昭和52年)に元々の持ち主だった宮崎氏から青梅市に寄贈され、
現在地に移築復元されています。
建てられたのは、おおよそ19世紀初頭の頃。
建物は当時の一般的な農家の造りで、
囲炉裏と広間が一体化した“広間型”と呼ばれる構造が特徴的です。
地域の生活様式を残す、醤油樽と材木を乗せる台車。
柳淵橋の上流側、右岸の崖下では多摩川の流れが速くなっています。
川岸では、BBQを楽しんでいる人、
浅瀬で水遊びをする子供たち、
左の淵で急流を利用して遊ぶ人たちと様々ですが、
この急流は非常に危険で水難事故が起こりやすいということです。
柳淵橋 Ryuen-bashi
公園西側からこの橋を渡り、
市民プールなどのある西側対岸へ繋いでいます。
目指すニウギニまでは、もうすぐ。
真言宗 成田山 清宝院 Shingonsyu Naritasan Seihouin
古くは、青柳山清宝蜜院と称し、寺伝では往昔宇多天皇の御代、
寛朝僧正金剛寺登山の砌立ち寄り開創されたと言い伝えられています。
趣のある山門は、
江戸末期に埼玉県入間市下谷ヶ貫の「軍茶利明王地蔵院光円寺」より
移築したもので、18世紀末頃の建築と考えられています。
山伏修験の行者衆が大地に炉をつくり、薪を組み上げ、
柴をたいて修をする護摩方であります。
護摩法の火は、世の中の穢れや罪を焼き付くし、
火炎に包まれた不動明王と一体となり
「火渡り」をすることで自分自身の災厄を祓う功徳を得られると言われています。
もし、この日に来ていたらAPOさんと一緒に「火渡り」に強制参加・・・と、
ツイートされていました。
嗚呼、おそろし・・・。
その敷地内に、今日のお目当てのニウギニがあります。
お寺の正面入口は、写真のように急な階段なので、
裏からまわっておじゃましました。
12時25分の到着。
開店して25分過ぎてしまったが、
限定そばは何食残っているのか?
そして、はるばる50km走ってきて、
食べることが出きるのか?
かわいらしいニウギニ専用車。
ニューギニアマニアなのに、
ワーゲンバス仕様の日本の軽です。
ニウギニ NIUGINI
日本で唯一、
本場ニューギニア料理の食べられる、
世界唯一の石臼挽き蕎麦処であります。
※お店の宣伝
正直、勢いで来てしまいましたが、
初めて一人で入店するには、少々勇気が必要です。
先客がお一人いました。
その方も、来たばかりのようで柚子切りを目当てのようです。
6畳(テーブル4卓)+3畳(カウンター)くらいの
パプアニューギニア感が凝縮された店内。
現地の太鼓のリズムのBGMかと思いきや、
あれ???
ハワイアンぽい南国の曲がかかっていました。
そして自分が入店してから、気合いが入ってきたのか、
おもむろに頭に羽飾りを着け、
鼻に棒を通して鼻輪をつけ始め、
正装の出来上がりです。
怪しさたっぷりの店内ですが、
パプアニューギニア大使館が認めた国際的なカフェ
ということです。
酋長のような出で立ちの店長のアポ・ホリグチさんは
青梅出身の日本人。
その破天荒?なアポさんを影で支えている
素敵な奥様。
とても気さくで青梅の事などを話してくれる楽しい人です。
パプアニューギニアには自分の村があり、
そこの一員として村長から「アポ」の名前をもらったそうです。
青梅=OMEにお面のNをつけた、オリジナルTシャツ
本日のメインランチ
石臼挽き粉に柚子を練り込み十割切り
精進出汁の梅酢つゆ
薬味に
黄金おろし(大根おろし柚子和え)
アガスティアの葉(大葉)
前日のツイートには、数皿とありましたが、
アポさん曰く、限定4食だそうです。
薬味まで、ひとつひとつ丁寧に説明をしていただきましたが、
たいへんな凝りようで、どんな味なのか想像できませんでした。
食べた感想ですが、そばは柚子の香りがたっぷり。
そばつゆは、精進出汁というだけあって複雑で高貴な味でした。
ごちそうさまでした!
いつまでも、のんびりしていられる居心地のよい店ですが、帰りのこともあるので。
食後の運動に、さらに2駅分 奥に行ってみましょう。
青梅街道を進み、日向和田駅を過ぎたところに、
ドライブインのような店構えのへそまんじゅう総本舗。
8個入りをひとつ買ったら、
一つ出来立てのまんじゅうをサービスしてくれました。
塩加減も抜群でとても美味しい!
自分が買ったあとに、
大勢の人が車でやって来て列が出来ていました。
左横では、立ち食いのそばと、うどんを食べられます。
次回来たら食べてみたいが、
ニウギニのカレーも食べてみたいし。
へそまんじうの由来。
その昔永禄6年、当地より程近き辛垣城に構える三田弾正綱秀を
小田原の北条左京太夫氏康と其の子滝山城主北条陸奥守氏照父子が
昼夜を分たず攻め立てしが、中々落城せず偶々折柄の大雷雨中を
隣峰その名寄しらむ雷電山口より攻め込んだ豪勇無双の十勇士により、
さすが難攻不落の辛垣城も陥落したる。
この十勇士が当時この附近の茶店で購った兵糧の饅頭を腹巻に包んでおいた所、
不思議や全部この饅頭の型に変り大雷雨にへそも取られず、
然も勇猛果敢な働きに澤山の恩賞を授けられしとか。
依ってこの"へそまんじ"を常に賞味し、
臍下丹田に力を入れて世に處するなら必ずその成功疑ふ可からず。
(へそまんじう本舗・店主)
お店のとなりにある、へそのを観音。
ここから引き返し、
青梅駅のメインストリートに戻ってきました。
力屋 Chikaraya
現役のお店で、一番レトロ感を出しているかもしれません。
ネットにあるお店のメッセージには、このように書いてあります。
80年の歴史を積み重ねたマジメな店、チカラヤ。
・祭用品:江戸一を中心に商品豊富。出し、御輿、何でも相談に応じます。
・作業着:富士姿の乗馬・半乗馬
すべての商品について、ご相談いただければ、長が対応いたします・・
・マンシングウェア:メンズ、レディースともにゴルフ、タウンに人気あり
赤塚不二夫会館 Akatsukafujio-kaikan
バカボンのパパが、逆立ちしてお出迎えです。
昭和を代表する漫画家であり、
青年時代(新潟市在住時代)に映画看板の仕事に従事した事がある
赤塚不二夫(尚、親族を含め赤塚不二夫と青梅市に縁は特にない。)に
白羽の矢を立てて、2003年10月18日に開館しました。
建物は、もともと土蔵造りの医院だったそうです。
入口には、もーれつア太郎だ!
リアルタイムで夢中で見ていたマンガ。
八百屋を切り盛りする少年のア太郎と
それを助ける子分のデコッ八。
そこにゆうれいのとうちゃん、
ブタ松親分とその子分たち、
ココロのボスなどの豊かな人間関係が繰り広げる人情劇は、
新鮮でドラマチックでした。
また、人間のコトバを話すネコのニャロメと
その仲間のケムンパスやべしなど、
当初は予定していなかった動物キャラが爆発的な人気を得て、
子どもたちに大人気でした。
バス停留所 Bus stop
青梅駅周辺商店街は、
アートフェスティバルで映画看板を掲示したのが好評となり、
映画看板のある街として、
全国的に知られるようになるきっかけとなりました。
協力によるものだそうです。
住吉神社 Sumiyoshi jinja
先ほどのバス停留所の横から、正面の長い階段を上っていく青梅の鎮守。
応安二年(1369年)住吉大社を勧請奉祀した事により始まります。
多くの彫刻に囲まれた拝殿天井には
境内には筆塚等青梅ゆかりの文人達の作品が多く残されています。
青梅宿 津雲邸 Oumejuku Tsugumotei
津雲邸の建物は津雲國利が昭和6年から昭和9年にかけ建造した邸宅で、
京都の宮大工を招き青梅の大工、石工、畳職など諸職との協働により
建築された瓦葺入母屋造、押縁下見板張、一部漆喰塗の建物です。
純和風建築でありながら縁側との仕切りにガラス戸を用いるなど
近代的な要素を持ち、
また欄間や天井など随所に職人が技巧を凝らした
装飾を持つ贅を尽くした建築物として評価されております。
さてと、青梅を十分満喫したところで、
帰ることにしましょう。
今日は、8月に入って初めての100kmオーバー。
August Gran Fondを達成しました。
8/20(月)アポさんがツィートしてきました。
激レアさん今日放送???
ん?
番組表を見ると、23:45からテレビ朝日で
激レアさんを連れてきた。っていう番組がある。
そうか、店の入口に書いてあった激レアさんとは、この事か!!!
アポさん、惜しくも第2位!
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1782181339/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1534670158
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!