世界の切手に紅葉の美しい庭園、空から見える大十字架のカテドラル。すべてプライスレス!
2018.11.23(金)
勤労感謝の日ですが、
月いちの いいふみの日でもあります。
(出発時には、わかっていませんでした。)
そんなこんなで、出発も午後になってしまい、
近場の名所めぐりに出かけます。
先日の長崎神社方面から山手通り、目白通りを経由して、
鬼子母神堂参道
古いもので樹齢400年。
東京都指定の天然記念物ですが、
現在では若木を補いながら江戸の旧観維持がなされています。
お祀りする鬼子母神(きしもじん)のご尊像は
室町時代の永禄4年(西暦1561年)1月16日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、
山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の地の辺りより掘りだし、
星の井(清土鬼子母神〈別称、お穴鬼子母神〉境内にある三角井戸)
あたりでお像を清め、
東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたものです。
東陽坊の一僧侶が、その霊験顕著なことを知って、
ひそかにご尊像を自身の故郷に持ち帰ったところ、
意に反してたちまち病気になったので、その地の人々が大いに畏れ、
再び東陽坊に戻したとされています。
境内南東には、倉稲魂命(うけみたまのみこと)を祀った
古社武芳稲荷があり、
今は新築遷座されていますが、
古来この地が稲荷の森と称されていた頃の幾百年の名残を伝えています。
石畳を進むと左右に石の仁王像がお堂を護っています。
この二像は丈と幅が同寸といわれる珍しいお姿で、
もと、盛南山という寺の観音堂にあったものが寄進されたと伝えられています。
大黒堂
おせん団子の名前は、鬼子母神に千人の子供がいたことにあやかり、
たくさんの子宝に恵まれるようにという願いに由来しています。
江戸時代には参詣の人々が境内で休むとき、
また鬼子母神詣での土産として親しまれました。
ここ雑司ヶ谷の鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、
吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しいお姿をしているので、
とくに角(つの)のつかない鬼の字を用い
と尊称しています。
鬼子母神境内にある日本最古の駄菓子屋「上川口屋」。
創業は江戸時代中期の1781年(天明元年)でおよそ237年間、
13代により引き継がれています。
明治維新の頃に建てられたという現在の建物は、
関東大震災や戦争の被害からも免れ今も変わらない佇まいを残しています。
また、スタジオジブリのアニメ作品「おもひでぽろぽろ」に出てくる
駄菓子屋のモデルになったお店でも有名です。
東京都指定天然記念物。
高さ約33m、幹の周囲は約11m、樹齢700年という神木、
雄株の公孫樹(いちょう)です。
約700年の時を経た今も、樹勢は止まることを知りません。
二宮金次郎(尊徳)像
この像は、学童減少のために廃校となった
豊島区立雑司ヶ谷小学校の校庭にあったものとされています。
來島良亮君 (1885 -1933)
関東大震災後の帝都復興事業を計画実行した東京府の土木部長だった人。
ミスターポストマン
切手の博物館の入口はこちらです・・・。
まことちゃんポスト
ぐわっし!
入口にド派手なストライプのポスト。
キッテツリー
クリスマスツリーと切手のコラボ。
フクロウ切手を「シンボル」「種類別」「生態」というテーマに分け、
それに「ワシやタカ」を加えた4部構成で展開します。
2名のフクロウ切手収集家による、
「フクロウ切手ベスト7」のコーナーもあります。
■ 展覧会名: 「フクロウと仲間たち」展
■ 会 期: 2018年10月3日(水)~12月27日(木)
■ 休館日: 月曜日(祝日の場合も)※ただし12月24日(月)は臨時開館
■ 開館時間: 午前10時30分~午後5時
■ 会 場: 切手の博物館1階 企画展示室
■ 観覧料: 大人 200円、小中学生 100円、障害者無料
*毎月23日の「ふみの日」は無料
■主な展示品: 約100ヵ国(地域を含む)、800点余り
都電荒川線
どこでみかけても絵になる都電。
肥後細川庭園 Higo Hosokawa teien
目白台の台地(関口台地)の自然景観を活かした池泉回遊式庭園です。
この公園周辺は、江戸中期以降は旗本の邸地になり、
江戸末期には清水家や一橋家の下屋敷となりました。
そして幕末には熊本54万石の細川侯の下屋敷に、
明治15年には細川家の本邸となりました。
その後は東京都が買収し昭和36年に「新江戸川公園」として開園し、
昭和50年に文京区に移管されました。
熊本県とコラボした竹あかり。
肥後菊(松聲閣内)
素晴らしい紅葉の庭園が無料で満喫できました!
関口芭蕉庵 Sekiguchi Bashouan
2度目の江戸入りの後、1677年から3年間この地に住みました。
当時、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、
芭蕉はこれにたずさわり、工事現場か水番屋に住んだといわれています。
後に芭蕉を慕う人々により「龍隠庵」という家を建てたましたが、
これが現在の芭蕉庵につながっています。
その後焼失し、現在のものは第2次大戦後の建築になります。
蕉雨園 Shouu en
椿山荘、野間記念館に隣接する6000坪の敷地に建つ元田中光顕邸(1897年築)。
1919年、田中光顕はこの邸宅を渡辺治右衛門(渡辺銀行総裁)に譲り、
現在は講談社が所有しています。
非公開ですが、茶会やドラマ(華麗なる一族、鹿男あをによし、どんど晴れ、
富豪刑事など多数)の撮影などに使用されています。
「芭蕉葉上孤村の雨 蟋蟀聲中驛路の塵」から「蕉」と「雨」の二文字をとり
芭蕉庵と五月雨庵にちなみ、蕉雨園と名づけられました。
東京カテドラル聖マリア大聖堂
意匠:丹下健三 都市・建築設計研究所
構造:東京大学 坪井研究室
音響:東京大学 石井研究室
施工:大成建設株式会社
工期:昭和38年4月~39年12月(実際工期18ヶ月)
敷地面積:15,098㎡
構造:鉄筋コンクリート造HPシエル(双曲抛物面)
階数:地下1階 地上1階(中2階、中3階)
高さ:G.Lより建物最後部迄 39m419 / 付属建物の鐘塔G.Lより 61m680
床面積:3,649.9㎡
長さ:55.5m
幅:40.7m
地階:1,005.5㎡
1階:2,541.4㎡
中2階:71.0㎡
中3階:32.0㎡
仕上:外装ステンレス・スチール及びアルミニュームサッシ
鐘塔
高さ61.68メートルHPシエル構造の鐘塔で、
∮500mm×9mm×40mの鋼管パイルを支持杭として使用するというように
基礎工事に苦心がはらわれました。
4つの面は一見平らに見えますが、
双曲抛物面をしており、すべてねじれています。
4つの綾線は直線をなして、空に向かって伸びています。
4つの鐘は西ドイツから輸入されたものですが、
制作者は日本各地の鐘の音色を研究し、日本的な音色を出す苦心をしました。
現在は、鐘を留めております。
ルルドの洞窟
1858年2月11日、フランスのルルド近郊のマッサビエールの洞窟で、
無原罪の聖母がベルナデッタに初めて現れた。
ベルナデッタへの一連のマリア出現は、
教会当局によって神聖なものとして承認され、
ルルドは国際的な巡礼地になりました。
そしてマリアに対する信心から、1911年5月21日、フランス人の宣教師によって、
その洞窟そっくりに作られたルルドです。
ジョセフィーヌの鐘
明治44年(1911年)にはルルドの洞窟が
仏宣教師ドマンジエル神父により建てられました。
第2次世界大戦で全焼したものの、
ドイツのケルン教区の支援によって大司教座聖堂の再建設が決定しました。
昭和39年(1964年)12月8日落成、献堂式を挙行。
8面の双曲抛物面(そうきょくほうぶつめん)をほぼ垂直に建て掛けた構造は、
一大十字架形をかたどっています。
ユニークな教会建築として世界的に知られ、外国からの見学者も多く見られます。
高さ 39.4m。鉄筋コンクリート造。
結構古くからあるのに知らなかったとは・・・。
ハローキティ切手
キティラーの奥さんのおみやげに買ってしまいました。
シートを曲げないように持って帰るのが一苦労でした!
Stravaでアクティビティをしました: https://strava.app.link/mJFfewyqbS
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!