やはり谷中諏訪台通りから上野公園は、美しいスポットの宝庫。
2018.10.8(月)
三連休最終日、今日も乗るぞ!と意気込むが、
出発が遅くなりどこへ向かうか迷う・・・
こういう時は、谷中、上野界隈に限る。
決まったところで、早速出かけましょう!
中里の高台から、新幹線がよく見える場所を探しにやって来ました。
向かいの家屋の壁面を彩る
紫の朝顔、草の緑、下に赤やピンクの葉の
コントラストがとてもきれい。
花びらがとても大きく、存在感があります。
秋田新幹線こまちE6系が通過。
高架の下に目をやると、
いろいろな新幹線が入線しています。
東北、山形、秋田、上越、北陸、北海道、
鉄道ファンならたまらないスポットです。
西日暮里駅前の坂を上りきったところに、
諏方神社がありました。
「諏訪神社(諏訪大社を本社とする諏訪信仰の神社)」のひとつ。
創建は元久2年(1202年)で、鎌倉時代の武将・豊島佐衛門尉泰経によって
諏訪大社より勧請されたのが、その始まりとされています。
御利益は、「武運長久」「交通安全」「盛業繁栄」「国土安寧」「五穀豊穣」です。
全国におよそ25,000社あるといわれます。
手水舎
手水鉢には、天保2年(1831年)3月吉日銘が読み取れます。
地域の人々から、“おすわさま”として親しまれる「諏方神社(すわじんじゃ)」は、
線路を見下ろす眺めのいい高台(諏訪台)に鎮座する神社です。
Chalet Swiss Mini
諏訪台通りから路地を一歩入ると、周りとは違った風景が広がります。
「シャレー」とはchalet(フランス語)で山小屋のこと。
入り口の門をくぐると、ハーブガーデンが眼前に広がります。
中もスイスの雰囲気そのままに、コーヒーやケーキ、
チーズフォンデュやオイルフォンデュ。(要予約らしいです。)
他にもサンドイッチなどの軽食があるそうです。
養福寺仁王門
この仁王門は、宝永年間(1704~1711)の建築と伝えられています。
表側に安置されている仁王像の胎内から宝永4年(1707)の銘札が発見されており、
門柱の上部等の木鼻・蟇股などにほどこされた渦文の絵様から、
銘札とほぼ同年代のものと推定されます。
裏側には四天王のうちの、広月天・多聞天の像を安置。
旧本堂など江戸期の建造物は戦火で失ったが、この仁王門は焼失を免れ、
近世建造物として現在にその姿をとどめています。
朝倉彫塑館 Asakura chousokan
平成25年10月29日にリニューアルオープンしました。
日本近代彫塑界の最高峰であり、
文化勲章受章者である
朝倉文夫が住宅兼アトリエとして使用していた建物です。
敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国名勝に指定されており、
建物は国有形文化財に登録されています。
「墓守」「大隈重信候像」「仔猫の群」「時の流れ」など、
朝倉文夫の彫塑作品を展示しています。
香隣舎 Kourinsya
明治時代の商家(酒屋)の趣を残す、谷中らしい建物のひとつです。
個人のご所有ですが、ご厚意により地域のイベント等に貸し出しされています。
観音寺 築地塀 Kannonji Tsuijibei
慶長十六年(1611)に創建された、
奈良県桜井市初瀬にある長谷寺を総本山とした真言宗豊山派の寺院です。
江戸時代の区画整理によって延宝八年(1680)に神田から現在地に移転し、
以来谷中寺町の一角を形成しています。
現存する 築地塀は幕末の頃に作られたもので、
国の登録有形文化財に指定されており、
谷中のシンボルの一つとして多くの方に親しまれています。
絵馬堂
どう見ても、絵馬屋かおみやげ屋のようですが、
玄関は狭く閉まっていて観光用の飾りだけなのか・・・。
調べてみると、割烹・小料理屋さんで、絵馬も作ってくれるそうです。
これだけ立派な錠前の入口。
飲食店としては入りずらい感じなので、
知る人ぞ知るお店といったところでしょうか。
ぎゃらりい81(やいち)
兵庫県姫路に本店を構えるギャラリーの東京店。
北欧ヴィンテージ家具、デザイナー作品、陶磁器、ガラス器、
テキスタイル、家具などを得意としているようです。
カフェ猫衛門
古い町並み谷中にある、築90年以上の古民家を改装した
招き猫の絵付けができるハンズカフェです。
お茶を飲みながら、自分だけの招き猫作りが楽しめます。
「招き猫谷中堂」の姉妹店としてオープン。
どんな絵付けをするかはお客様次第、どうしたら良いか分からない方には、
店内に沢山ある招き猫を参考にお手軽簡単に体験できます。
もちろんカフェですので、
コーヒーやケーキ、クッキーなども一緒に楽しめます。
さんさき坂上 谷中堂
デザイナーが始めた、手作り手描きのオリジナル招き猫の店。
オーダーメイドの一点もの「マイ招き猫」や「定番商品」から
「季節商品」まで豊富な招き猫たちが待っています。
谷中岡埜榮泉
岡埜栄泉の屋号は江戸時代から続くもので、暖簾分けの形になっています。
戦争当時、空襲の噂が絶えなかった谷中町は、
警察署に被害が少ないようにと周辺を更地にしました。
その際、シンボルとなる看板をお寺に預けて守ったそうです。
そして現在の建物は戦後すぐに建築したものです。
浅尾拂雲堂 Asao futsuundou
完全なオーダーメイドの手作り額縁を製作、修理するお店です。
作品を見て、作者の要望を取り入れ、
作品からインスピレーションを得たイメージをもとにスケッチを行い,
イメージがまとまったところで、ベースとなる木地を製作して、
ここに作品にあった意匠を施していきます。
桃林堂 Tourindou
上野の東京芸大近くにある老舗和菓子屋さん。
縁起の良い鯛の形をした名物の”小鯛焼”は丹波大納言粒餡がぎっしり入っており、
手土産や引き出物として人気があります。
店内の喫茶スペースでは和菓子と抹茶のセットをいただけます。
東京藝術大学 1号館
設計:林忠恕
教育博物館は1877年(明治10年)1月に上野公園に創設され、
1881年(明治14年)7月に東京教育博物館に改称しました。
1号館は明治9年に教育博物館の書庫として建てられたもので、
書籍庫として耐火を重視し、
すべての開口部に鉄扉を付設するなどの不燃性を重視したつくりが幸いし、
127年を経た今も現存しています。
東京藝術大学 鬼瓦
正木記念館と陳列館の間には鬼瓦屋根をいただく
旧東京美術学校の玄関があります。
京成電鉄 博物館動物園前駅
博物館動物園駅は1933年、京成本線・上野―日暮里駅間の開通とともに開業し、
東京国立博物館・恩賜上野動物園・東京藝術大学の最寄りの駅として
長年親しまれてきたが、近年の利用者の減少により1997年に営業休止、
2004年には廃止となった駅舎です。
周辺に建ち並ぶ重厚な建造物に引けを取らないのに、
交差点の景色に埋もれてしまい
気づく人があまりいないような気がします。
単なる駅階段入口の屋根とはいえ、
細かく細工を施された飾りにはつい目が行ってしまいました。
黒田記念館 Kuroda kinenkan
日本美術の近代化に尽くした
洋画家黒田清輝(くろだせいき)。
その遺言をもとに建てられた黒田記念館は、
昭和3年(1928)の竣工時の姿を尊重しつつ、耐震性強化や温湿度等の環境を調え、
現代のニーズを 満たした展示施設となりました。
シロナガスクジラ
この実物大の模型は、体長30m、体重約150tの
メスの大人のシロナガスクジラが、
海面での深呼吸を終えて急速に深く潜ろうとしているところを現しています。
1994年に製作され、現在3代目にあたる同シロナガスクジラは
地球上に生息する最大の動物で、
英語ではブルーホエールと呼ばれています。
尻尾の部分だけを下から撮影すると、
空を飛ぶ謎の物体のように見えます。
寛永寺旧本坊表門 (かんえいじきゅうほんぼうおもてもん)
慶応4年(1868)5月の上野戦争のため、ことごとく焼失し、
表門のみ戦火を免れました。
これはその焼け残った表門です。
明治11年、帝国博物館(現、東京国立博物館)が開館すると正門として使われ、
関東大震災後、現在の本館を改築するのにともない現在地に移建しました。
門の構造は、切妻造り本瓦葺の潜門のつく薬医門です。
薬医門とは、木柱が門の中心線上から前方にずれ、
木柱と控柱を結ぶ梁の中間上部に束をのせ、
その上に切妻屋根を乗せた門をいいます。
なお、門扉には、上野戦争時の弾痕が残されていて、
当時の戦闘の激しさが伺えます。
両大師橋 Ryoudaishibashi
東京国立博物館前の通りから北上野にぬける、
JR上野駅の最も北側の線路上に架かっている長い橋です。
寛永寺を創建した慈眼大師と崇拝していた慈恵大師が祀られている
両大師堂があることから名付けられています。
今日は、谷中から上野を満喫しましたが、
まだまだ、見どころはたくさんあります。
近くて気軽に歴史を感じることが出来て、
大好きなエリアの1つです。
この後は荒サイに出て、
いつものとれたてキッチンで休憩をはさんでから、
帰宅しました。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1891475640/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1539017086&utm_source=jp.ne.hatena.blog&utm_medium=referral
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!