立石バーガーが気になって、お昼過ぎてから出かけてみた。
2018.9.9(日)
昨日と同様、今日もそこそこ暑いです。
出だしが大変遅くなってお昼を過ぎてしまいました。
夕方まで戻ってくれば、
40~50㎞ぐらいはライド可能なので、
情報にあった、立石バーガーを食べに行きたいと思います。
久々に赤羽から荒サイに入っていきましょう。
おなじみの旧岩淵水門
バーベキュー広場は、やや少なめのにぎわい。
サイクリストは、多くもなく少なくもなくといったところでしょう。
しかし、向かい風が強い~!
虹の広場
今の時期、花はほとんどないが、
地域の方々が次の準備のための手入れをされています。
コンクリート部分は、レインボーカラーのペイントが施されていました。
小休憩を終えて、次はもう堀切橋。
京成本線の鉄橋を、スカイライナーが颯爽と通り過ぎる。
そうだ、土手を上がったら次の通過車両を撮影しよう!
信号を渡ると、線路間際まで近づける場所があった。
スカイライナーは、今の時間帯だと20分おきに運行されているので、
10分前後待てば通過するはず・・・。
スカイライナー45号(下り)
上りを狙っていたら、下りが先に来た!
スカイライナー18号(上り)
キターーー!
スカイライナー18号(上り)
超~至近距離!
すっかり撮り鉄になっている。
若干興奮気味になりながら、満足をして橋を渡ります。
モッチーピザと立石バーガー(店名)
謎の自販機、立石バーガー。
住所は堀切なのに、立石バーガー。
300円の立石バーガーを注文するとその場でハンバーグを焼いて作ってくれました。
持ち帰りできます。美味しかったです。
というコメントを勘違いして行ったので、
自販機を見て、100円なんだ!
と喜んだが・・・。
100円を右上に入れる。
4種類(チキンバーガー、ベーコンバーガー、ハムカツバーガー、立石バーガー)
どれにしようか?
ベーコンバーガーに月例報告人気急上昇⤴とある。
おすすめにのってみるか?と木の丸いボタンを押すと、
下からラップにつつまれたパンがゴロンと落ちてきた。
支えになっていたプレートに
ありがとうございました。の文字とイラストが描かれている。
なんとも駄菓子屋感覚でおもしろい!
早速、食べてみることに。
見た目は、ややショボい感じがする。
具はベーコンというよりチキンのようだが
(置き場所をまちがえたか?)
パンは噛み応えがあり、具材の味も美味しい。
今度は、違うのを食べてみよう。
100円分を堪能して、堀切菖蒲園でもいってみましょうか。
しょうぶ七福神
ここには元々「毛無池」と呼ばれる池があり、
大正15年にその池を埋め立てた際「弁天社」が建立されたことが始まりで、
当時はその名の通り弁天様のみがまつられていました。
そして時代は流れ平成6年、堀切のより一層の繁栄を願う意味で、
七福神がこの地に大集合となったのだそうです。
堀切菖蒲園 Horikiri syoubuen
200種6000株と希少な品種も含まれる
数多くの江戸菖蒲を楽しめる菖蒲園です。
大好物の入園無料とはいえ、
完全に時期外れで暑い時間帯なので、
まったく人がいません。
年間を通して四季折々の樹木や花を楽しむことができます。
花菖蒲の観賞は、約800年前から始まっていたと言われてますが、
栽培が行われた記録は江戸時代の1660年代で、
尾張藩主・徳川光友が植えて観賞したというのが初めのようです。
最も花菖蒲の改良に貢献したのは幕府の旗本・松平菖翁で、
各地から野生の花菖蒲の変り咲きを集め、苦心して交配を続け、
今日に残る多くの名花を作出しました。
武士階級の園芸趣味の流行が一般庶民にまで移り、
江戸を中心に発達した花菖蒲を江戸花菖蒲と呼んでいます。
松平菖翁より花菖蒲を分与された肥後藩主細川斉護侯が国もとの熊本に送ったものが、
明治時代の愛好者たちによって改良され今日に至ったものが
肥後花菖蒲と言われています。
一方、伊勢松阪の紀州藩士・吉井定五郎によって、
三弁咲きで垂れ咲きになる品種などが作出され、
伊勢花菖蒲と呼ばれる品種群が出来上がりました。
また、明治初年に始まった花菖蒲の米国輸出により、
江戸、肥後系をもとにアメリカで品種改良されたものを
アメリカ系花菖蒲と呼ばれています。
園内休憩所には、堀切菖蒲園の写真や浮世絵が展示されています。
ガラスが反射して、きれいに撮れませんでした。
堀切菖蒲園をあとにして川沿いに出ると、
変わった形状の大きな水門が見えてきました。
水門方面へ上れるスロープがあるので、行ってみましょう。
堀切菖蒲水門 Horikiri syoubu suimon
堀切菖蒲園のすぐそばにあることから命名された堀切菖蒲水門は
東京の水門としては多摩川の六郷水門と双璧といえる
ユニークな形状の水門です。
これは「二段式ローラーゲート(シェルタイプ)」
というそうで、
ゲートは一見すると円筒状のようですが、
じつはカマボコ形のゲートが2枚合わさった形で、
水門閉鎖時には2枚のゲートがそれぞれ別々に下降して
2段(つまり円筒の倍の高さ)のゲートで水路をふさぐ形式なのです
(門扉の高さは9.5メートル)。
なぜこのような形式を採用したかというと、
通常の1枚のローラーゲートでは
ゲート開放時に高さ制限にひっかかるためだそうです。
そもそもこの水門設置のきっかけは
平成3(1991)年9月の台風18号による綾瀬川の氾濫です。
流域で降った大量の雨により綾瀬川が増水する一方で、
この川は合流する中川を通じて
東京湾の潮の干満の影響を受ける感潮河川でもあり、
満潮時には水が海や中川から逆流してくるため、
効率的な排水ができずに被害が大きくなりました。
そこで綾瀬川増水時に中川からの逆流を阻止する堀切菖蒲水門を設置すると同時に
水門の上流にある綾瀬排水機場の排水能力を
毎秒50立方メートルから100立方メートルに増強し、
綾瀬川の水を速やかに並行する荒川に放流し、
氾濫を防ぐことにしたわけです。
菖蒲をデザインした荒川の標識と東京スカイツリー
黄色くやや斜めにかかる堀切避難橋を渡り、
ふたたび首都高の下の道に出て、四つ木方面へ向かいます。
京成押上線四ツ木駅を左折し、100mほど先の左に入ったところに
四つ木つばさ公園があります。
キャプテン翼 大空 翼
四つ木つばさ公園の北側にあります。
キャプテン翼の像を見ながら、
子どもたちがボールを蹴って遊べるようになっています。
キャプテン翼 中沢早苗像
他の像は公園とかにあるけど、
早苗ちゃん像は道路に背を向けて郵便局の前に立っているので、
一度通り過ぎてしまいました。
これも、駅前の細い路地を入ったところにある
立石一丁目児童遊園の中にあるので、
見つけにくかったですね。
本日はここまで。
3時も過ぎたので、帰ることにしましょう。
ふたたび来た道を戻り、新四ツ木橋を渡って荒川の右岸を走ります。
往路向かい風で、スピードが出なかった分、
鬱憤を晴らすかのように、こぎまくります。
キッチンとれたてに5時前に入れたので、
ソフトクリームで小休憩。
コスモスの花も咲き始め、
一本の茎からいくつかの花を付けている
小ぶりなヒマワリも咲いていました。
多くのサイクリストが目にしている
魚を釣り上げる親子の像。
夕景の中の橋を渡り帰ります。
今日は、50㎞に満たなかったけど、
いろいろと楽しめました。
次はどこに行こうかな??
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1829066986/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1536510233&utm_source=jp.ne.hatena.blog&utm_medium=referral
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
なぜかシンゴジラの聖地巡りをしながら、かぁまたたたたーっ駅。
2018.9.8(土)
9月に入っての初ライド。
また、2週間ぶりになってしまいました。
週末になって、暑さがぶり返し、
最高32℃くらいになるようです。
午前中は比較的心地よく走りやすいかな?
17号を皇居めざしてLet's Go!
皇居前広場(西側)
多くの観光客、ランナーたちでいっぱい。
皇居前広場(東側)
ここから、第一京浜に突き当たるまで直進。
その後、品川方面へと向かいます。
東海道八ツ山口 Toukaidou yatsuyamaguti
これより品川宿を走っていきます。
品川浦船溜まり Shinagawaura Funadomari
品川浦はかつて漁港として豊富な水揚げを誇り、
海苔の主要な産地でもありました。
現在ではつり船や屋形船が舳先へさきを並べる船溜まりとなっています。
ここの地点は、シンゴジラ撮影のワンシーンに使われています。
アトリエ パレット
町並みの一角に、着ぐるみ?
見たことがあるご当地キャラだなぁ。
愛される幼児体型二頭身型着ぐるみ
一番主流なタイプらしいです。
頭を大きく見せて可愛らしさを表現。
制作費用は、38万円~
※造形の難易度、サイズ、仕様やパーツの数によって料金が変わります。
リピートの場合でも価格に影響しません。とあります。
ふなっしーは、自腹で38万出したのかな??
溜屋横丁 Tameya yokochou
法禅寺の前から海岸へ出る横丁で、
利田新地へ渡る鳥海橋(後の品海橋)に海岸線で通じる横丁です。
古いままの土壁と錆びた鉄の扉が、
何とも言えない風情を醸し出しています。
浜川砲台 Hamakawa houdai
この砲台は「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」を
原寸大(全長 3メートル、車輪の直径 1.8メートル)で再現したものです。
現在の浜川中学校を中心とした地域は、
立会川河口左岸には、ペリー再来航後の安政初年に砲台が設置されました。
たくさんのお年寄りが、ウォーキングツアーよろしく
散策をしています。
一足早く訪れていた方に、カメラの記念撮影を頼まれました。
若き日の坂本龍馬は、警護のために立会川河口まで往来していたとも言われ、
北浜川児童遊園には「二十歳の龍馬像」が建てられており、
このあと見に行きましたが、公園内の木々伐採中で、
龍馬像には、シートがかぶせられていて拝顔できませんでした。
旧道を進んで行くと、鈴ヶ森刑場跡から再び第一京浜に合流します。
京急蒲田駅までは、ひたすら車と競争?状態。
左折するわけでもないのに、幅寄せしてくる車。
自転車の横をすれすれで追い越していく車。
自転車を乗らない人がとる行動です。
今日のお楽しみの一つに近づいてきました。
京急蒲田駅に着いたはいいけど、西口、東口ともに正規の駅名標。
くまなく一周するが、見当たりません。
まさか、駅中の二階の改札の前なのか??
西口ロータリーは、二階建て構造になっていて、
見上げてみたら、それらしきものがありそう。
駅周辺は、放置自転車を徹底して取り締まっているようで、
駐輪場を探すと、ビルの地下にありました。
これで安心をしてロータリーの階段を昇れます。
2018.9.17まで限定駅名標
かぁまたたたたーっ!
ついに見つけた!
これを求めて蒲田までやってきたのだから、
見つけずには帰れないところでした。
無事に記念撮影後、駐輪場(時間が短かったので、無料)から出庫して、
駅のすぐ脇を流れる呑川沿いに進みます。
呑川新橋
ここも、シンゴジラの撮影地。
庵野家の猫ちゃんたちをそれとなくアピールした
『ジャック&サリー ねこ病院』のピンクの看板が
印象的なあのロケ地です。
看板はCGによって加工されていたようです。
ここからは、産業道路を南下して環8大鳥居を通り、
羽田2丁目の交差点へ。
左折をして、首都高速1号羽田線をくぐります。
中華そば さとう
羽田穴守稲荷の隠れた名店というには、
ラーメン好きな方々には結構有名なようです。
穴入口を開けると、麦茶がセルフサービスで置いてあります。
料金は先払いで、中華そば中盛600円をたのみました。
中華そば以外には、トッピングとカレーライスしかありません。
待っている間に麦茶を一口飲んだら、とてもうまい!
程なく出てきた中華そばは、
煮干しと鶏で出汁をとっていてスープは黄金色。
とてもシンプルながら美味しい中華そばです。
珍しくスープを1滴残らず飲み干してしまいました!
穴守稲荷神社 Anamoriinari jinja
空港近くとあって、多くの外国人観光客と地元の方々が参拝に来ています。
なかなか撮影のタイミングがむずかしい・・・。
社伝によれば、1804(文化元)年頃、
現在の羽田空港敷地内にて羽田猟師町(現羽田2丁目・6丁目付近)の
名主、鈴木弥五右衛門が中心となり新田の開発(鈴木新田)を行った際、
激しい波のため沿岸の堤防に大穴が開くなどして決壊し、
甚大な被害が発生した。
そこで村民らは堤防の上に稲荷大神を勧請し祀ったのが
当社の創建とされる。
以降は波の害も落ち着き、豊かな田園となった。
「穴守」の冠号は「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う」
という御神徳を称えている。
江戸時代には、この「穴守」という名から転じ「(性病から)守る」に通ずるとされ、
遊女達の信仰も集めた。
鳥居の連なる参道の先に奥之宮が坐す。
一番手前にある鳥居に大きく書かれている大丸屋さん。
住所が上板橋と西池袋となっていて、
何でここに奉納をしているのだろうと思ったら、
大丸屋さんは質屋で、商売繁盛の穴守稲荷神社に寄進したようです。
奥之宮の社殿右脇には築山稲荷、反対左側にも小祠が鎮まる。
社地の北側には環八が通っていますが、
幹線道路の喧騒を忘れさせる神域となっています。
御神砂がいただけるのはこちら。
足元に置かれた金属製の箱に砂が収められており、
用意されている封筒に詰めて持ち帰ることができるそうです。
南参道脇には狐塚社、
その後方には神楽殿。
穴守稲荷神社の敷地内は鳥居だらけでした。
辨天橋から大鳥居を望む
辨天橋東詰にある鳥居は穴守稲荷の旧大鳥居です。
平和と掲げられた大鳥居
1929(昭和4)年、京浜電気鉄道により奉納された大鳥居は、
GHQによる旧社地の強制接収後も残されてました。
撤去しようとすると負傷者や死者が出た
というのは事実ではないそうですが、
周囲が空港駐車場となった後も解体されることはありませんでした。
その後新B滑走路拡張に伴い撤去が検討もされましたが、
元住民などによる保存運動の結果、移転保存の運びとなり、
1999(平成11)年2月4日、旧地から800m離れた現在地へ移設され、
羽田平和の大鳥居と改称されました。
横を流れる多摩川は、釣り人でにぎわっていました。
旅客機が数機見えます。
本当はB滑走路から飛び立つ機影を下から撮りたかった!
のですが、遭遇できませんでした。
天空橋駅へと地下に入るモノレール
羽田空港が終着地なので、
これから帰路に入ります。
JRの線路を目指します。
東海道線のアンダーパス桐畑地下道は縄文の道と呼ばれ、
通路中ほどに、大森貝塚復元模型(出土した貝を使用)があります。
池上通りに出て左折すると、まもなく大森貝塚遺跡公園が見えてきました。
大森貝塚遺跡公園
モース博士が発掘した大森貝塚は
現在、大森貝塚遺跡庭園として整備されています。
貝塚とは大昔のゴミ捨て場で、
貝以外にも動物の骨・土器・石器など様々なものが見つかっています。
モース博士像
明治10年(1877)6月横浜から新橋へ向う車窓で、
大森貝塚を発見しました。
そこで土器、石器、人骨など多数の資料を発掘し、
その成果を『SHELL MOUNDS OF OMORI』として刊行しました。
この発掘が日本の考古学、人類学などの発展に大きく貢献するとともに
日本の先史文化を海外にも広めました。
貝層
この貝塚から出土した海の生物の骨
スズキ、クロダイ、マアジ、サバ、ヒガンフグ、ウナギ、トビエイ、ウミガメ
陸の生物の骨、鳥の骨
イヌ(埋葬されたと考えられている)、ガン、カモ
青物横丁から旧道に入って往路を戻りま~す。
本日の東京タワー
青空に映える赤白のコントラスト。
今日も盛りだくさんのライドでした。
中華そば、美味しかったな・・・。
また行こう!
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1826592779/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1536390234&utm_source=jp.ne.hatena.blog&utm_medium=referral
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
トトロくんに引かれて深大寺参り。〈そばを食べ忘れるの巻〉
2018.8.26(日)
激暑もすっかり戻ってきて、
外出はなるべく避け、涼しい室内に移動してください。
運動は原則中止し水分を補給しましょう・・・。
自分のスタイルとしては、
原則天気の良い日は、ライドしましょう。
雨天、夜間は、ライドを控えましょう。
もちろん、水分補給や栄養補給、休憩はこまめに 取るようにして、
自己管理を怠らないようにしています。
今日は、ライド・コンダクターにトトロくんを迎え、
ワクワクツアー開始です!
井の頭公園 Inogashira kouen
西側には井の頭自然文化園、御殿山の雑木林、
玉川上水、西園の運動場などの名所が点在する都内有数の公園となっています。
花見の名所であり、また、井の頭弁財天などの史跡などもあり、
子供から大人まで幅広い年代の人が楽しめるスポットとして、
四季通じて多くの人が散策に訪れています。
ボート乗り場
今日は日曜日ですが、さすがにこの暑さなので人出も少なく、
ボートもたくさん余っています。
井の頭弁財天
弁財天(弁才天)はもともとは
このサラスヴァティーとは聖なる(豊かなる)河といった意味で、
水の神様とされてきました。
井の頭弁財天も井の頭池の中におまつりされています。
このあと、自然文化園にある彫刻園に行きたかったのですが、
有料なのであきらめます。
※基本、自分のライドで寄る場所は、無料のエリアのみ。
三鷹の森ジブリ美術館 Mitakanomori jiburi bijutsukan
吉祥寺通り沿いに三鷹の森を進んで行くと、
ヨーロッパの地方にあるような建物が見えてきました。
「三鷹の森ジブリ美術館」の看板が立っています。
看板の前に到着すると、おっきなトトロが受付でお出迎え。
穴をのぞけば、まっくろくろすけもいます。
ここは、ニセの受付になっていて、
トトロが本当の受付の場所を教えてくれます。
知っていそうで知らないトトロのことー!
トトロ(大トトロ)
名前の由来はメイに名前を聞かれた時、
トトロが「ドゥオ、ドゥオ、ヴォロー(眠いよー)」という声を上げ、
これをメイが名前だと思い込んだことによる。
初期の設定での名前は「ミミンズク」。年齢は1302歳。
トトロ(中トトロ)
名前は「ズク」。年齢は679歳。
トトロ(小トトロ)
名前は「ミン」。年齢は109歳。
ジブリ美術館は、日時指定の予約制となっています。
但し、入れ替え制ではありません。
チケット(入場引換券)は、全国のローソンだけで購入できます。
まっくろくろすけ(ススワタリ)
草壁家に住んでいた、イガ栗のような形をした黒い生き物。
おばあちゃんはススワタリと呼んでいる。
ネコバス
実際のバスのように行先表示窓(方向幕)があり、
迷子になったメイの元に向く際は「めい」、
サツキとメイがこっそりお母さんを見舞いに訪ねる際には
「七国山病院」(本編では、「院」が上下逆になっている)、
巣に戻るときは「す」など、状況に応じて行先が表示される。
昔はカゴ屋に化けていたが、
人間のバスを見てからバスの姿に化けるようになったという。
駐輪場のかわいいサイン
屋上に配置されているロボット兵
劇中では「ロボットの兵隊」「ロボット」と呼ばれている。
外観は、丸みを帯びた三角形の頭、歪んだメガネの様な大小の目
(目の様に見える部分はビーム砲であり、
中心の赤く点滅する二つの点が恐らくセンサー)
長く蛇腹状の平たい腕と大きな手、同じく蛇腹状の脚、
甲冑の様な胴体、等が印象的であり、胸にはラピュタ帝国の紋章がある。
全高3.5m。
劇中では材質が何なのか解明されていないとムスカが語っているが、
設定では形状記憶弾性セラミック製の躯体であるとされる。
青渭神社 Aoi jinja
第六十代醍醐天皇の延長五年(九二七年)に編纂された
『延喜式(えんぎしき)神明帳』所載、
武蔵國多摩郡八座の内にて官祭の社で、
重き御社であったと伝えられている。
御祭神は水神様で、青渭大神(あおいのおおかみ)
・水波能売大神(みずはのめのおおかみ)
・青沼押比売命(あおぬまおしひめのみこと)である。
往古は、社前に凡そ五町歩余の境内地があり、
大池に滾々と湧き水あり、青波を湛えていた所から青波天神社とも称された。
青渭・青波共に水の意であり、
『渭』とは広遠に波立つ様を云い水面に打ち寄せる意で、
水神様を祀った古社である。
大ケヤキ
鳥居に向かって左側にあり、
幹囲いは目通り凡そ5.5メートル・高さ34メートル、
樹齢600年から700年の老樹であるが、
現在もなお樹勢旺盛である。
ケヤキは古名を槻(ツキ)と云い、
『新編武蔵風土記稿』に「社ノ傍二囲一丈五尺アマリノ槻ノ老樹アリ」、
また『江戸名所図絵』にも
「社前槻の老樹あり、数百余霜を経たるものなり」などと見えて
文化文政期(1804~30年)から既に目立つ巨木であった。
調布市内現存最古の樹木で、昭和47年4月市天然記念物に指定された。
深大寺東参道 Jindaiji higashisandou
深大寺は、東京都調布市にある約1,300年の長い歴史を持つ天台宗の仏教寺院。
本名「浮岳山・深沙大王寺」
浮岳山は当時、多摩川から北の方を見ると、
葦原の河原の向こうに城山が浮いたように見えたので
「浮岳山」の名が付いたそうです。
また、「深沙大王寺」の1文字づつを取り、深大寺。
水の神様です。
東京都では浅草の浅草寺に次ぐ古刹です。
多聞院坂 Tamonin no saka
当の多聞院は、深大寺の子院で、現在同場所になく、
明治6年、深大寺小学校が多聞院の建物を借用し
開校したという経緯があるそうです。
不動之瀧 Fudou no taki
東京都の名湧水57選にも入る「不動の滝」は、
不動堂 Fudoudou
山門より東、約80メートルほど離れたところに不動堂があります。
幕末の深大寺炎上の際にその難を逃れ、
『不動堂再建願』なる文書の記載から判明しています。
山門 Sanmon
参道より一段高い寺の敷地の入口に立つ正門で、
正面には「浮岳山」の山号額を掲げています。
慶応元年(1865)の火災の際にも常香楼とともに被災をまぬがれた建物で、
現在、山内で一番古い建物です。
屋根裏にあった棟札には、元禄8年(1695)に1,000人の寄進者・人足によって、
このあたりの地形と山門の普請が行われた。と記されています。
鐘楼 Syourou
文政12年(1829)に建てられた旧鐘楼は、今の大師堂裏の高台にありましたが、
幕末の大火で消失し、その後、明治3年(1870)に、
山門を入った右手に位置を移して再建されたのが今の鐘楼です。
基壇の上に、内転びの四本柱を立て、入母屋茅葺きの屋根を載せていましたが、
昭和29年(1954)の銅板葺きに改められました。
境内 Keidai
梁の木鼻には獅子・象の彫りもの正面の三段の虹梁の間には龍、
破風板の下には鳳凰の彫り物があって、江戸時代らしさが表現されています。
本堂 Hondou
江戸時代の本堂が幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は仮に、
再建した庫裡に安置されていましたが、大正8年に今の本堂が完成しました。
旧本堂は寄棟造りの茅葺き屋根でしたが、
再建本堂は入母屋造りの棧瓦葺きに変わりました。
正面十間、側面八間(一間は1.8m)という規模は、
昔より少し大きくなっているようです。
外側を雨戸付きの硝子窓とし、
腰を下見板張りとするやり方は昔から変わっていませんが、
正面中央の上り口だけは、禅宗様の棧唐戸の引き戸になっています。
元三大師堂 Gensandaishidou
慈恵大師(元三大師)像を安置しているのが、この大師堂です。
江戸時代の大師堂は、本堂の西南(新しい手水屋の在る辺り)に
東向きに建っていましたが、幕末の火災で類焼したので、
本堂西の崖地を削って造成した敷地に位置を移して再建されました。
鬼太郎茶屋 Kitarou jaya
門前には、趣のあるたくさんの蕎麦屋、食事処があります。
その中で、ひときわ異彩を放つ店構えが鬼太郎茶屋です。
壁にはキャラクターの絵、
屋根瓦の上には大きな鬼太郎の下駄が乗っています。
鬼太郎茶屋
屋根にも妖怪!
大黒天と恵比寿尊
深沙堂参道に七福神の恵比寿尊と大黒天の、
まさに丈六仏を思わす大石像があります。
この尊像は当山篤信総代であった故御林清一氏の
邸宅の入り口に祀られていたものですが、
平成18年に縁あって当地に遷座されました。
福徳尊の扁額
家内安全、商売繁盛
笑顔振りまき、幸福に導いていただけるお顔立ちの石像です。
龍と虎の石像
深大寺巡りも終え、野川沿いに少し上って行きましょう。
野川 Nogawa
その名の通り、野に流れる川といった雰囲気は懐かしさを感じます。
調布飛行場門柱 Choufu hikoujou monchuu
調布飛行場は、昭和14年(1939年)、当時の東京府が三鷹村・調布町・多磨村に
またが調布飛行場る広大な畑や山林を半ば強制的に買い上げ、
多くの農家を移転させて建設に着手した。
この門柱は、東亰調布飛行場竣工時、正門として左右に設置され、
戦時中は、「東部第百八部隊」等と厚い大きな板に
墨書きされた表札が掛けられていた。
昭和16年(1941年)4月30日に竣工式が行われ、
公共用飛行場として「東亰調布飛行場」として開設された。
調布飛行場は、2001年(平成13年)3月31日、
正式な飛行場(都営コミューター空港)として開港。
東京都営空港の一つ。
正式名称は「東京都調布飛行場」で「調布空港」と呼ばれることもある。
都営空港とは、ここ調布飛行場、大島、新島、神津島、三宅島 と
全日空輸株式会社が羽田からフライトをしている八丈島の6ヶ所になります。
空港敷地内にある、子どもが遊べる公園
飛行機の遊具がかわいらしい。
調布飛行場をホームとする、
新中央航空株式会社で使用されている機種
Dornier 228-212 NG
乗員2名 乗客19名
全長16.56 m 全幅16.97 m 全高4.86 mm
エンジンHoneywell製 715 馬力 ×2
巡航速度355 km/h 最大航続距離2.485 km
就航路線は、大島(所要時間約25分)、新島(所要時間約35分)、
神津島(所要時間約40分)、三宅島(所要時間約45分)へ
4路線1日に各島へ往復2~3便を運航しています。
飛橋の水車
ほたるの里と呼ばれるこの地域は、野川の相曽浦橋と飛橋の間に広がり、
豊かな自然環境に恵まれています。
はけと呼ばれる国分寺崖線からは多くの湧水が流れ出し
野川に注ぎ込んでいます。
その水を利用して湿性花園、田んぼ、わさび田などが広がり、
年間を通して田植え・稲刈り・収穫祭などが開催されています。
5月には田圃の上にたくさんの鯉のぼりがひるがえり、
夏の終わりになると水田には稲が実り、
懐かしい里山風景を作り出しています。
水車の流れは、野川に注ぎます。
掩体壕 大沢1号 Entaigou Oosawa1
日本全国に残る有蓋掩体壕(ゆうがいえんたいごう:コンクリート製屋根付の格納庫)
は約100基といわれていますが、
調布飛行場横にある調布アヴィショナルパークに2基現存します。
旧陸軍飛行場であった調布飛行場。
数少ない戦闘機を米軍の空襲から守るために掩体壕の中に隠しました。
コンクリート製で、
少ない資材で大きな強度が得られるかまぼこ型をしています。
更に竹製の屋根だけを乗せた無蓋掩体壕が
30基の合計60基が短期間に作られました。
現存するものはわずか4基で、
そのうち2基がこの公園内に残っています。
この掩体壕は戦争の記憶を残す証拠とし、平和への語り部として保存されています。
公園周辺には掩体壕の他にも、
高射砲台座・弾薬庫・玉石水路などがあります。
掩体壕に格納されている飛燕
三式戦闘機「飛燕」Hien
外地では稼働率の低さに泣かされ、目立った戦果を上げられなかった三式戦闘機だが、
1944(昭和19〉年12月以降の本土防空戦では、
東京・調布飛行場を本拠にした飛行第244戦隊が、
B29爆撃機を160機撃破(うち撃墜は70機)し、
三式戦闘機の高性能を実証しました。
掩体壕全体の模型
244戦隊では、川崎航空機から技術者を呼び寄せて隊付き整備員の技術を向上させ、
ハ40エンジンの高い稼働率を実現。
機体から防弾鋼板や無線機、武装の一部などを取り外して軽量化し、
上昇力をカタログスペックよりも上げて
超高空を飛来するB29に立ち向かった・・・。
今日は、トトロくんと共にライドしました。
激暑の中、いつもにも増していろいろな情報を得られました。
50kmの距離もキープ。
・・・そういえば、深大寺そばを食べ忘れていた!!!
来週末は、少し涼しくなるのかなぁ??
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1797723692/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1535290314
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
アポさん入魂の限定黄泉の柚子切りと、絶品へそまんじゅう。
2018.8.19(日)
一気に秋の気配のような快適な気候になりました。
ロング再開するしかないでしょ!
昨晩、ツイッターで以前から気になっていた
青梅のニウギニさんから、情報がはいってきました。
黄泉の柚子切り ¥1200
8月19日限定
石臼挽き粉に柚子を練り込み十割切り
精進出汁の梅酢つゆ
薬味に
黄金おろし(大根おろし柚子和え)
アガスティアの葉(大葉)
数はあえて申しませんが数皿です
繋がるか繋がらないかは私次第!
柑橘類とそば好きな自分には、なんと興味深いことか。
開店時間は、12:00とのことです。
なにがなんでも着かねば!
8:25にライド開始。
新青梅街道をひた走る。走る。走る。
米軍横田基地 誘導灯
箱根ヶ崎の交差点の手前に一直線に続く誘導灯。
JR青梅線の踏切を渡り、細い道を行くと
玉川上水に突き当たりました。
玉川上水は、かつて江戸市中へ飲料水を供給していた
上水(上水道として利用される溝渠)であり、江戸の六上水の一つです。
玉川上水 羽村橋より上流方向
多摩川 下流方向
羽村取水堰 Hamura shusuizeki
浅瀬では、子どもから大人まで水遊びをしたり、
釣り人がいたりとにぎわっていました。
玉川兄弟の像 (昭和33年建立)
玉川カルテットの前身ではありません。
徳川四代将軍家綱時代の承応2年(1653)、
日ごとに人口の膨張を続ける江戸住民の飲料水を確保するために、
幕府は庄右衛門、清右衛門兄弟を工事担当として
羽村より四谷大木戸までの52㎞の大開削工事を命じました。
兄弟は困難を克服して
同年の4月4日から着手、11月15日には工事を完了。
現代の技術や工法を駆使したとしても、
とてつもなく早い完成です。
玉川兄弟は、もともとは江戸の町人だったとも、
多摩川沿いに住む農民だったとも伝えられていますが、
少なくとも武士ではありませんでした。
「玉川姓」を名乗るようになったのは、玉川上水の工事が完成した後。
幕府から、褒美として苗字帯刀を許されたということです。
牛枠 Ushiwaku
牛及び枠類とは、伝統的河川工法の一つであり、
川の水流の衝突部に設置して減勢、導流を行う設備。
奈良時代からあったそうですが戦国時代の甲斐の侍大将武田信玄が
急流の富士川水系の水防、制水工法として考案したと伝えられます。
1本の合掌木にむね木を斜めに載せ、
合掌木の脚をはり木で連結して四面体の枠をくつったもので、
重りの蛇籠を載せて沈めます。
その形が牛に似ており、杭打ちのできない玉石や砂利の河川で
水制や根固めに適した工法です。
羽村取水堰からS字を描く約500m上流のあたりに、
数機の牛枠が今も現存しています。
玉川上水 第二水門
羽村水上公園わきを流れる多摩川から分水された小川。
根がらみ前水田
ここは羽村市で唯一の水田になるそうです。
稲刈りが終わって翌年の田植えまでの期間は休耕地となってしまうので、
その期間を利用してチューリップの栽培が行われています。
約59,000㎡・東京ドームの1.26倍で関東最大級。
約60品種・40万球ものチューリップが咲き誇ります。
初夏から秋はお米を作り、
秋から春はチューリップを栽培し観光スポットになります。
4月には、チューリップまつりが開催されます。
阿蘇神社へ続く道
多摩川の左岸、海から55kのポストがあります。
武蔵阿蘇神社は、古くは阿蘇宮・阿蘇大明神などと称された羽村の鎮守。
武蔵阿蘇神社 拝殿
社伝によれば、推古天皇9年(601)神託により清地を築き、
神武天皇の孫にあたる
健磐龍命(タケイワタツノミコトは阿蘇山を制する神様)より賜った
霊物(玉)を鎮め祀ったことに始まります。
承平年間(931~38)平将門によって初めて社殿が造営されました。
その後、将門を討った藤原秀郷も神託を受けて社殿を造営寄進、
御神木のシイの木はこの時秀郷が手植えしたものと伝えられています。
小作取水堰 Ozaku-shusuizeki
ここを渡って対岸を進みます。
釜の淵公園 Kamanofuchi kouen
青梅市街中心部の南方に、
多摩川が大きく北側へ半円を描くように蛇行するするところがあります。
ここの形状を地図で見ると
まるでギリシャ文字のオメガ(Ω)のよう。
多摩川の流れが岩盤に阻まれて、このような形になったそうです。
その蛇行する多摩川の描く半円の内側に当たる右岸側が、
青梅市立の公園として整備されていています。
入口にかんぽの宿 青梅があり、
公園内は思い思いに遊ぶことが出来ます。
重要文化財 旧宮崎家住宅
公園内に建つ「旧宮崎家住宅」は国の重要文化財の指定を受けています。
もちろん移築されたもので、本来は青梅市街の北方の山間、
かつての北小曾木村、現在の青梅市成木八丁目辺りにありました。
1977年(昭和52年)に元々の持ち主だった宮崎氏から青梅市に寄贈され、
現在地に移築復元されています。
建てられたのは、おおよそ19世紀初頭の頃。
建物は当時の一般的な農家の造りで、
囲炉裏と広間が一体化した“広間型”と呼ばれる構造が特徴的です。
地域の生活様式を残す、醤油樽と材木を乗せる台車。
柳淵橋の上流側、右岸の崖下では多摩川の流れが速くなっています。
川岸では、BBQを楽しんでいる人、
浅瀬で水遊びをする子供たち、
左の淵で急流を利用して遊ぶ人たちと様々ですが、
この急流は非常に危険で水難事故が起こりやすいということです。
柳淵橋 Ryuen-bashi
公園西側からこの橋を渡り、
市民プールなどのある西側対岸へ繋いでいます。
目指すニウギニまでは、もうすぐ。
真言宗 成田山 清宝院 Shingonsyu Naritasan Seihouin
古くは、青柳山清宝蜜院と称し、寺伝では往昔宇多天皇の御代、
寛朝僧正金剛寺登山の砌立ち寄り開創されたと言い伝えられています。
趣のある山門は、
江戸末期に埼玉県入間市下谷ヶ貫の「軍茶利明王地蔵院光円寺」より
移築したもので、18世紀末頃の建築と考えられています。
山伏修験の行者衆が大地に炉をつくり、薪を組み上げ、
柴をたいて修をする護摩方であります。
護摩法の火は、世の中の穢れや罪を焼き付くし、
火炎に包まれた不動明王と一体となり
「火渡り」をすることで自分自身の災厄を祓う功徳を得られると言われています。
もし、この日に来ていたらAPOさんと一緒に「火渡り」に強制参加・・・と、
ツイートされていました。
嗚呼、おそろし・・・。
その敷地内に、今日のお目当てのニウギニがあります。
お寺の正面入口は、写真のように急な階段なので、
裏からまわっておじゃましました。
12時25分の到着。
開店して25分過ぎてしまったが、
限定そばは何食残っているのか?
そして、はるばる50km走ってきて、
食べることが出きるのか?
かわいらしいニウギニ専用車。
ニューギニアマニアなのに、
ワーゲンバス仕様の日本の軽です。
ニウギニ NIUGINI
日本で唯一、
本場ニューギニア料理の食べられる、
世界唯一の石臼挽き蕎麦処であります。
※お店の宣伝
正直、勢いで来てしまいましたが、
初めて一人で入店するには、少々勇気が必要です。
先客がお一人いました。
その方も、来たばかりのようで柚子切りを目当てのようです。
6畳(テーブル4卓)+3畳(カウンター)くらいの
パプアニューギニア感が凝縮された店内。
現地の太鼓のリズムのBGMかと思いきや、
あれ???
ハワイアンぽい南国の曲がかかっていました。
そして自分が入店してから、気合いが入ってきたのか、
おもむろに頭に羽飾りを着け、
鼻に棒を通して鼻輪をつけ始め、
正装の出来上がりです。
怪しさたっぷりの店内ですが、
パプアニューギニア大使館が認めた国際的なカフェ
ということです。
酋長のような出で立ちの店長のアポ・ホリグチさんは
青梅出身の日本人。
その破天荒?なアポさんを影で支えている
素敵な奥様。
とても気さくで青梅の事などを話してくれる楽しい人です。
パプアニューギニアには自分の村があり、
そこの一員として村長から「アポ」の名前をもらったそうです。
青梅=OMEにお面のNをつけた、オリジナルTシャツ
本日のメインランチ
石臼挽き粉に柚子を練り込み十割切り
精進出汁の梅酢つゆ
薬味に
黄金おろし(大根おろし柚子和え)
アガスティアの葉(大葉)
前日のツイートには、数皿とありましたが、
アポさん曰く、限定4食だそうです。
薬味まで、ひとつひとつ丁寧に説明をしていただきましたが、
たいへんな凝りようで、どんな味なのか想像できませんでした。
食べた感想ですが、そばは柚子の香りがたっぷり。
そばつゆは、精進出汁というだけあって複雑で高貴な味でした。
ごちそうさまでした!
いつまでも、のんびりしていられる居心地のよい店ですが、帰りのこともあるので。
食後の運動に、さらに2駅分 奥に行ってみましょう。
青梅街道を進み、日向和田駅を過ぎたところに、
ドライブインのような店構えのへそまんじゅう総本舗。
8個入りをひとつ買ったら、
一つ出来立てのまんじゅうをサービスしてくれました。
塩加減も抜群でとても美味しい!
自分が買ったあとに、
大勢の人が車でやって来て列が出来ていました。
左横では、立ち食いのそばと、うどんを食べられます。
次回来たら食べてみたいが、
ニウギニのカレーも食べてみたいし。
へそまんじうの由来。
その昔永禄6年、当地より程近き辛垣城に構える三田弾正綱秀を
小田原の北条左京太夫氏康と其の子滝山城主北条陸奥守氏照父子が
昼夜を分たず攻め立てしが、中々落城せず偶々折柄の大雷雨中を
隣峰その名寄しらむ雷電山口より攻め込んだ豪勇無双の十勇士により、
さすが難攻不落の辛垣城も陥落したる。
この十勇士が当時この附近の茶店で購った兵糧の饅頭を腹巻に包んでおいた所、
不思議や全部この饅頭の型に変り大雷雨にへそも取られず、
然も勇猛果敢な働きに澤山の恩賞を授けられしとか。
依ってこの"へそまんじ"を常に賞味し、
臍下丹田に力を入れて世に處するなら必ずその成功疑ふ可からず。
(へそまんじう本舗・店主)
お店のとなりにある、へそのを観音。
ここから引き返し、
青梅駅のメインストリートに戻ってきました。
力屋 Chikaraya
現役のお店で、一番レトロ感を出しているかもしれません。
ネットにあるお店のメッセージには、このように書いてあります。
80年の歴史を積み重ねたマジメな店、チカラヤ。
・祭用品:江戸一を中心に商品豊富。出し、御輿、何でも相談に応じます。
・作業着:富士姿の乗馬・半乗馬
すべての商品について、ご相談いただければ、長が対応いたします・・
・マンシングウェア:メンズ、レディースともにゴルフ、タウンに人気あり
赤塚不二夫会館 Akatsukafujio-kaikan
バカボンのパパが、逆立ちしてお出迎えです。
昭和を代表する漫画家であり、
青年時代(新潟市在住時代)に映画看板の仕事に従事した事がある
赤塚不二夫(尚、親族を含め赤塚不二夫と青梅市に縁は特にない。)に
白羽の矢を立てて、2003年10月18日に開館しました。
建物は、もともと土蔵造りの医院だったそうです。
入口には、もーれつア太郎だ!
リアルタイムで夢中で見ていたマンガ。
八百屋を切り盛りする少年のア太郎と
それを助ける子分のデコッ八。
そこにゆうれいのとうちゃん、
ブタ松親分とその子分たち、
ココロのボスなどの豊かな人間関係が繰り広げる人情劇は、
新鮮でドラマチックでした。
また、人間のコトバを話すネコのニャロメと
その仲間のケムンパスやべしなど、
当初は予定していなかった動物キャラが爆発的な人気を得て、
子どもたちに大人気でした。
バス停留所 Bus stop
青梅駅周辺商店街は、
アートフェスティバルで映画看板を掲示したのが好評となり、
映画看板のある街として、
全国的に知られるようになるきっかけとなりました。
協力によるものだそうです。
住吉神社 Sumiyoshi jinja
先ほどのバス停留所の横から、正面の長い階段を上っていく青梅の鎮守。
応安二年(1369年)住吉大社を勧請奉祀した事により始まります。
多くの彫刻に囲まれた拝殿天井には
境内には筆塚等青梅ゆかりの文人達の作品が多く残されています。
青梅宿 津雲邸 Oumejuku Tsugumotei
津雲邸の建物は津雲國利が昭和6年から昭和9年にかけ建造した邸宅で、
京都の宮大工を招き青梅の大工、石工、畳職など諸職との協働により
建築された瓦葺入母屋造、押縁下見板張、一部漆喰塗の建物です。
純和風建築でありながら縁側との仕切りにガラス戸を用いるなど
近代的な要素を持ち、
また欄間や天井など随所に職人が技巧を凝らした
装飾を持つ贅を尽くした建築物として評価されております。
さてと、青梅を十分満喫したところで、
帰ることにしましょう。
今日は、8月に入って初めての100kmオーバー。
August Gran Fondを達成しました。
8/20(月)アポさんがツィートしてきました。
激レアさん今日放送???
ん?
番組表を見ると、23:45からテレビ朝日で
激レアさんを連れてきた。っていう番組がある。
そうか、店の入口に書いてあった激レアさんとは、この事か!!!
アポさん、惜しくも第2位!
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1782181339/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1534670158
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
いきなり現れたGOMBESSAと、築山池泉回遊式に癒される。
2018.8.15(土)
お盆休みもとうとう最終日になってしまいました。
5日もあったのに初日しか乗れてないので 、
今日は、何が何でも乗りたい気分。
でも連日のゲリラ豪雨がちょっと不安なので、
長距離はまだやめておきましょう。
国道17号線を南下することにします。
日本サッカーミュージアム
文京区本郷にある金花商店会のメインストリート、
通称“サッカー通り”に
日本サッカーの中枢であるJFAハウスがあります。
その1階、B1、B2の3フロアに設けられているのが
「日本サッカーミュージアム」。
2002FIFAワールドカップや日本サッカーの歴史を
次世代の人々へ伝え、サッカー文化を普及させるため
2003年12月22日にオープンしました。
鳥越神社 Torigoe jinja
創設1350年余前の古社で、日本武尊を御祭神としています。
主な行事として、1月8日のとんど焼、
千貫御輿渡御で有名な6月上旬の「鳥越の夜祭」などがあります。
蔵前橋を渡り、南下するために適当に右折。
進んで行くと、この前に訪れたすみだ北斎美術館の通りでした。
さらに南下を続けると小名木川にかかる西深川橋にやって来ました。
西深川橋 Nishi fukagawa-bashi
なんと、突如として現れた
巨大なシーラカンスのモニュメント???
橋の森下側のたもとに鎮座する
GOMBESSA(シーラカンス)。
1990年3月に橋梁景観整備工事をした際に設置された、
造形作家の松本哲哉氏によるモニュメントです。
地域との関連はないものの、
迫力とユニークさで十分に街のシンボルになっていると思います。
仙台堀川公園
今日が3度目の通過。
人工的に造られてはいますが、
水辺と木々をキレイに配置し、鳥たちも気軽にやって来ます。
ゆったりと走れ、
景色を楽しめる
お気に入りの親水公園です。
とても素敵な写真が撮れました。
葛西橋 Kasai-bashi
左が荒川、右が中川です。
その中央を首都高速中央環状線が通ります。
行船公園 Gyousen-kouen
平成庭園や自然動物園などで構成され、
庭園内には数寄屋造りの茶室「源心庵」があります。
都市にありながら静けさの漂う公園。
昭和8年地元の田中源氏が、区民福祉の増進と生活文化向上のための公園用地として、
東京市へ寄付したもので、昭和25年東京都から江戸川区へ委譲されたのを機に、
公園本来の姿として計画整備されたものです。
「行船(ぎょうせん)公園」の名称は、
寄付者の田中源氏の屋号「行船(ぎょうせん)」にちなんで
つけられました。
昭和58年に自然動物園を開園。
平成元年3月、公園北側部分を全面改修し、平成庭園を開園しました。
徳川家光公献上灯篭
慶安5年(1652)、陸奥磐城の城主・内藤帯刀忠興が、
平成庭園
平成元年3月に開園しました。
池を中心にその周囲を巡る築山池泉廻遊式(つきやまちせんかいゆうしき)の
日本庭園。
池の畔には源心庵(げんしんあん)
・林泉亭(りんせんてい)・つつじ亭があります。
四季折々に移り変わる自然の美しさを身近に感じられます。
源心庵は、平成元年4月に完成した純日本建築の数寄屋造りです。
水との関わりをテーマに、月見台を大きく池へ張り出した
浮御堂(うきみどう)の形式で建てられています。
内部も、床柱は松材の四方柾目、
ふすまは鳥の子紙に本漆仕上げと豊かな伝統が生かされています。
行船公園をあとに、新川にかかる新渡橋をわたると、
道はそのまま一之江境川親水公園に入っていきます。
一之江境川親水公園 Ichinoe sakaigawa shinnsui kouen
江戸川区一之江1丁目、5丁目、6丁目、
一之江町、二之江町、船堀7丁目付近を流れる
一之江境川を利用した親水公園です。
「野川の再生」をテーマとした公園で
全長は3.2kmに及んでいます。
城東電気軌道 江戸川線 跡
当時の本所区錦糸町と瑞江村大字紙今井の間に敷設の許可がおり、
大正10年1月には水神森-大島間が開通しました。
そして、大正14年12月に東荒川-今井橋間が開通し、
翌大正15年3月には小松川から西荒川までが延長されて、
東荒川との間には連絡バスがはしりました。
翌年の都制施行によって都電とよばれましたが、
昭和27年に東荒川-今井橋間は廃止され、
上野公園-今井間を走った都内初のトロリーバスにかわりました。
この路線は、昭和43年から都バス路線として今も運行されています。
一之江境川親水公園を進んで行くと、
京葉道路と環七通りが交差する一之江ランプがある交差点の少し手前に
車の騒音など感じさせない空間がありました。
一之江抹香亭 Ichinoe-makkoutei
抹香屋田澤家は、旧東一之江村の旧家です。
抹香屋の家号の通り、江戸時代から抹香作りをしていました。
一之江抹香亭の庭には樹齢750年以上のタブノキがあり、
その葉を乾燥させて石臼で挽き、抹香に加えたと伝えられています。
地域に親しまれ伝承されてきた「抹香屋」を、
一之江の歴史とともに後世に伝えていく為、一之江抹香亭と名付けられました。
※抹香(まっこう)は、香のひとつで粉末状の香をいう。
一之江抹香亭をあとに、
新小岩駅を抜けて、中川を渡ると右斜めに進みます。
前から気になっていた四ツ木製麺所に寄ってみようと思いましたが、
わりと路地を入ったところにあり、
行き過ぎてしまいました。
そして、しっかりお盆休み。
残念!!!
このまま北上しても荒サイから離れていくので、
南西方向へ軌道修正します。
東四つ木避難橋 Higashiyotsugi-hinanbashi
黄色く塗られた人道橋を渡ると、
正面にスカイツリーが見えます。
木根川橋 Kinegawa-bashi
欄干から等間隔に設置された街灯がきれいに並んでいます。
ここを渡って荒サイに入り、
とれたてキッチンでソフトクリームと行きたいところでしたが、
あいにく、水曜日は定休日でおあずけ・・・。
芝サイ方面に進み、ファミマを探し
ベリーベリーベリーフラッペでひと休み。
荒川大橋を渡って帰るのでした!
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1773174098/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1534318666
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
鳩森八幡神社で富士登山をしてみました。
2018.8.11(土)
いよいよ待ちに待ったお盆休みに突入です。
今日は、初日なのにノープラン。
とりあえず家を出たけど、
ストラバをスタートしてから
どうしようか?しばし固まった。
午後は早目に雨予報なので、遠出は無理。
となると、ひとまず都心ですな・・・
神楽坂 毘沙門天 善國寺 kagurazaka Bishamon Zenkokuji
安土桃山時代の文禄4年(1595年)、
池上本門寺第12代貫主である日惺上人により創建された、日蓮宗の寺院です。
本尊の毘沙門天は江戸時代より
「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、
芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれました。
現在は新宿山ノ手七福神の一つに数えられております。
市ヶ谷駅から四谷駅へ向かう途中、通りかかった雙葉中学校・高等学校。
エントランスが素敵だったので、
撮ってみました。
中高一貫校で、ここの出身者には、
かたせ梨乃(俳優)、王理恵(スポーツキャスター)など・・・。
「聖イグナチオ教会」という名で親しまれ、
様々な国籍の人々が集い、日曜日には各国の言葉でミサも行われ、
国際色豊かな教会として知られています。
外壁のすきまを飾るステンドグラス
聖イグナチオの名は、カトリック修道会イエズス会の創立者で初代総長であった
聖イグナチオ・デ・ロヨラからいただき、教会の保護聖人としています。
1549年キリスト教を、はじめて日本に伝えた
聖フランシスコ・ザビエルは、
聖イグナチオから派遣されたということです。
上智大学沿いの土手の桜並木
江戸城の喰違見附(くいちがいみつけ)
江戸時代に江戸城の外堀に作られた外郭門のひとつです。
見附とは敵の侵入を発見するための見張所という意味で、
江戸城では俗に三十六見附と言われる多くの見附がありました。
他の見附の多くは枡形の城門が築かれていましたが、
この喰違見附は周囲が高くなっている
地形を生かして土塁を築く形となっており、
城門は存在しませんでした。
喰違(くいちがい)とは、敵の勢いを弱めるために
通路がクランク状をしているため、こう名付けられています。
現在も当時の土塁が残されており、碑も立っています。
喰違見附から弁慶堀方面の眺め。
明治末期に移築改修され現在は迎賓館の門として使用されています。
喰違見附を進み、信号を右折した紀伊国坂を登りきった場所にあります。
迎賓館 赤坂離宮
日本では唯一のネオ・バロック様式による宮殿建築物です。
当時の日本の建築、美術、工芸界の総力を結集した建築物であり、
明治期の本格的な近代洋風建築の到達点を示しています。
第2次世界大戦の後、10数年を経て日本が国際社会へ復帰し、
外国からの賓客を迎えることが多くなったため、
国の迎賓施設へと大規模な改修を施し、
和風別館の新設と合わせて昭和49年に現在の迎賓館として
新たな歩みを始め、現在に至っています。
その後、平成21年に行われた大規模改修工事の後には、
日本の建築を代表するものの一つして、国宝に指定されました。
これまで多くの国王、大統領、首相などをお迎えしたほか、
主要国首脳会議などの国際会議の場としても使用されています。
神宮外周道路
この日は、車が進入禁止になっていて、ラッキーと思っていたら、
絵画館前広場側にも入れないようになっていて、
コンサートでもあるのかと思いきや、
神宮花火大会の日でした。
新国立競技場
東京1964大会のオリンピックスタジアムであった国立競技場が、
2020年までに新しい競技場に生まれ変わります。
国立霞ヶ丘陸上競技場の全面建替工事により
2020年の東京オリンピックに向けて建設される競技場。
設計:隈 研吾
2019年11月末には、完成予定です。
東京2020大会では、開・閉会式のほか、陸上競技やサッカーが行われます。
大会後は各種スポーツ・文化関連イベントに使用される予定です。
東京体育館
現在、東京2020大会に向けた改修工事を実施中で休館です。
大規模な競技大会に対応できる国内でも中枢的な存在で、
メインアリーナは最大で1万人の観客が入場できる大規模な体育館です。
世界選手権大会や国際大会、全国大会が開催されています。
トップアスリートたちの熱戦を間近で観る貴重な体験ができる数少ない施設です。
鳩森八幡神社 Hatonomori Hchiman Jinja
千駄ヶ谷一帯の総鎮守として村民の崇敬を受けた神社です。
境内には都の有形民俗文化財指定の築山富士があり、
樹木は区の保存林に指定されています。
また、サイクリストに人気のあるお守りもありますよ。
江戸名所図会によると大昔、
此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、
ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、
突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。
この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み
鳩森『はとのもり』と名付けた。
貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、
鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、
山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、
正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。
富士塚全景説明図
寛政元年(1789)の築造と言われ、円墳形に土を盛り上げ、
富士山の溶岩は頂上近くのみ配されています。
登頂するよう勧められます。
富士塚 登山口
頂上に至る登山道は自然岩を用いた階段となっており、
山腹にはクマザサも植えられています。
山裾の御影石の里宮(浅間社)をはじめ、7合目には身祿様が安置されている洞窟、
烏帽子岩、釈迦の割れ石、
山頂にボク石で覆われている奥宮等富士山を再現しています。
また富士塚の前にある池にみたてた場所には
毎年開山式(6月3日)の頃菖蒲が咲き、
訪れる人の目を楽しませています。
将棋堂 Shougi-dou
1986年(昭和61年)1月、
社団法人日本将棋連盟(当時の会長 大山康晴十五世名人)より、
高さ一米二十糎の欅製の大駒が奉納されました。
この縁により、同1986年(昭和61年)11月将棋の技術向上を目指す人々の守護神とし、
更に将棋界の繁栄を願って、日本将棋連盟と神社が協力し、
この大駒を納める六角の御堂を建立しました。
御堂の六角は天地四方を表わし、屋根の上の飾り金物は将棋盤の足の形、
つまりくちなし(梔子)の実の形をしています。
くちなしは口無しに通じ、
助言無用の戒めからきていると古くから言い伝えられています。
室内に安置された大駒は、御影石の将棋盤の上に立ち、
外苑西通りに出て、南青山三丁目の交差点を過ぎていくと、
8月いっぱいで閉店を迎えるビアンキストア青山に着きました。
ビアンキ青山 FINALE SALE開催中!
お店の形態を変えるために、在庫一掃のセールをやっています。
自転車からウエア、部品、小物に至るまで、
30~40%OFFとお値打ち価格です。
とは言え、ロードを買うのは もう少し我慢。
30%OFFの LOTTO JUMBOタオルを買いました。
六本木ヒルズに向かうのに、青山墓地の真ん中を通る道へ出るため
階段を上りました。
六本木トンネルを抜けると、またまた階段が出現。
自転車を担ぎあげて上りきると、
目の前に六本木ヒルズがドーン!
少し進むと、見慣れた面々のポスターが、
ガラスの建物の壁面に貼られていました。
ここテレビ朝日アスクは、
アナウンサー、リポーター、声優等の
育成および教育事業などを行っているそうです。
テレビ朝日では、
六本木ヒルズ夏祭り SUMMER STATION 2018 を
開催していました。
かき氷が目に入りましたが、
来場者が多く並んでいたのでパス。
芝公園、新橋を抜けて銀座にやって来ました。
銀座4丁目交差点
暑い中、多くの人たちでにぎわっています。
元ソニービルの跡地に出来た公園?には、
その中でFMのライブをしていて、
観客が大いに盛り上がっていました。
常盤橋ゴジラギャラリー
JXビル建設地仮囲いの外壁で、ゴジラの映画の紹介をしていました。
工事のための高さ3メートル、
幅140メートルという仮囲いの壁一面に、
今年の2月20日から約1年間の予定で、
東宝の特撮映画『ゴジラ』の歴代29作品のポスターが展示されています。
初代ゴジラ(1954年封切り)から2018年5月に公開予定の
アニメーション映画『GODZILLA 決戦機動増殖都市』の予告まで、
ずらりと並んだ光景はファンなら必見です!
西河岸橋より見る日本橋
日本橋船着場は、現在の日本橋(20代目)が架橋百周年を迎えた2011年、
橋のたもとに完成しました。
日本橋が木橋だった頃の“擬宝珠(ぎぼし)”も再現されています。
現在はさまざまな船がツアーを実施し、年間5~6万人が利用。
2016年3月には利用者が30万人を突破し、
多くの人が水上散歩を楽しんでいます。
日本橋 Nihon-bashi
1911年(明治44年)に架けられた20代目の橋になります。
石造二連アーチ橋で、橋の長さ49m、幅27m、
設計は米本晋一。
日本国道路元標複製
明治時代に入ると橋の中央が全国の国道の起点と定められました。
橋の車道中央には、当時の総理大臣・佐藤栄作による文字が刻まれた
ブロンズ製の元標が埋め込まれています。
北西の橋詰め「元標の広場」には、そのレプリカ(複製)があります。
万世橋 Mansei-bashi
かつて、中央線の神田~御茶ノ水間に、
1912年(明治45年)に開業した「万世橋駅」がありました。
昭和18年に休止になりましたが、赤レンガの万世橋高架橋の中に、
ホームや階段など、駅の施設が一部残っていました。
この場所は「交通博物館」を経て、現在は商業施設に。
明治時代に開業した駅の遺構があり、
東京の「過去」と「現代」を体感できるスポットに
なっています。
秋葉原
いつもにぎやかな秋葉原の交差点。
今や、銀座を凌ぐ人出であらゆる人種がごった返しています。
その中を、宣伝トラックが何台も連なって大音響でアピールしていきます。
歩行者はこの時とばかりに、皆シャッターを切ります。
自分もその中の1人でした。
上野不忍池
秋葉原の喧騒を過ぎて、
何だか落ち着けるところにやって来ました。
今日のライドは、ここまで。
あとは、雲行きも怪しいので、
さっさと帰路につきます・・・。
案の定、板橋区役所を過ぎたあたりから降り始め、
20分早ければなあ・・・と後悔したのでありました。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1763862965/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1533969409
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
天空に広がる庭園から、マグロ丼を食べに行ってみっか。
2018.8.5(日)
いまだに暑さ衰えず。
35℃を越える日々。
いつになったら、落ち着くのでしょうか?
だんだんと猛暑のライドにもなれてきた今日この頃。
何やら秘密がある
みたいなので、まずそこを目指してみたいと思います。
大山、日大病院方面から千川通りに出て、
要町から山手通りを南下していきます。
山手通りは地下に首都高速中央環状線を通す際に、
キレイに整備された広い片側2車線の道路になり快適です。
ちょっと代々木八幡宮に寄っていきましょう。
代々木八幡宮 Yoyogihachimanguu
代々木八幡宮社伝によると、
源頼家の家臣、近藤三郎是茂の家人荒井外記智明は、
頼家が修善寺で殺害された後に名を「宗友」と改めて代々木に引きこもり、
建暦2(1212)年8月15日、鎌倉の八幡大神から
宝珠のような鏡を授かり、託宣を受ける夢を見ました。
源氏の守り神である鶴岡八幡宮の分霊をまつり、
小祠を営んだのが代々木八幡宮の創建といわれています。
代々木八幡宮がお祀りしている神さまは
応神(おうじん)天皇=八幡=さまです。
八幡さまは古くは朝廷や武家からの崇敬をあつめ、
国家鎮護、破邪顕正の神と仰がれました。
その強いご神徳から「厄除開運」の神さまとして
全国で鎮守の神として祀られました。
応神天皇さまの時代は、大陸文化が多く渡来したことから
「産業・文化の発展と守護」の神、
またお母上である神功(じんぐう)皇后さまとの神話から
「安産」「子育て」「家内安全」の神として、
さらには、「怨霊退散」「渡航安全(交通安全)」の神としても
あがめられています。
境内敷地内に竪穴式住居がありました。
昭和25年の発掘調査で縄文中期とみられる
多数の遺物や住居跡などが発見され、
その際に土器などが出土したことから、
この住居には約4500年前に人が住んでいたと推定されています。
住居跡には竪穴住居模造家屋が復元されていて、
渋谷区の史跡に指定されています。
富ヶ谷を過ぎてから、右のほうの裏道へ入っていきます。
ここら辺は、東海大学代々木キャンパスや、
東京大学駒場キャンパスなどがあり、
文教地区になっています。
隣接して目黒区立駒場公園があり、一角の住宅街の中に日本民藝館があります。
日本民藝館 Nihon-mingeikan
日本はもとよりアジアや欧米の陶磁器、染織、木漆などの工芸品
約17000点を収蔵。
「民藝」という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す
民藝運動の本拠として、1926年に思想家の柳宗悦(1889-1961)らにより企画され、
実業家で社会事業家の大原孫三郎をはじめとする多くの賛同者の援助を得て、
1936年に開設されました。
現在の経営母体は公益財団法人で、登録博物館として運営しています。
「民藝品の蒐集や保管」「民藝に関する調査研究」
「民藝思想の普及」「展覧会」を主たる仕事として活動。
全国の工芸品を販売するショップも併設しています。
日本民藝館 西館(旧柳宗悦邸)
本館道路向いに建つ西館は、
栃木県から移築した石屋根の長屋門と、
それに付設した母屋からなっている。
日本民藝館開館1年前の1935年に完成、母屋の設計は旧館と同じく柳宗悦。
72歳で没するまで、宗悦が生活の拠点とした建物です。
ケンネル田圃 Kenneru-tanbo
明治14年ドイツ人ケルネルが、
後身である東京農林学校、東京帝国大学農科大学を通じて、
明治25年に帰国するまで、
近代日本における農学の基礎づくりに大きな影響を与えました。
とくに水田土壤の研究とイネ作肥料の研究に多くの業績を残し、
この水田が試験田として利用されたことからこう呼ばれています。
駒場野公園の横を通る井の頭線
目黒区とは思えないほど緑に包まれています。
駒場野公園内は自転車通行禁止なので、
周りをまわるようにして大橋へ向かいます。
首都高速大橋ジャンクション 外壁
都会の無機質な構造物の印象を和らげるように、
緑の草木を多用しています。
オーパス夢ひろば
目黒川側に入口があります。
周囲を壁に囲まれた空間には、
子どもたちが遊べる水場や、
夜間貸切利用も可能な人工芝コートがあります。
開園時間4月から10月までは午前7時から午後7時まで、
11月から3月までは午前7時から午後5時まで
オーパス夢ひろばから見上げてみる。
エレベーターで屋上まで上がると、
目黒天空庭園の入口です。
開園時間午前7時から午後9時まで
休園日はありませんが、荒天など気象条件によっては閉園する場合があります。
天空庭園
立派な松がいくつも置かれています。
天空庭園
様々な草木が配置されていて、
都心の構造物のてっぺんにあるとは思えません。
天空庭園から内側を望む。
ちょっと、ダムのような景色にも見えます。
大橋ジャンクションから首都高速3号線へつながる部分
左が横浜方面。右が渋谷方面。
こういった景色もなかなか見ることはないでしょう。
隣接するクロスエアタワー側から天空庭園を望む。
天空庭園とクロスエアタワーを結ぶ架橋からのぞき込む。
結構な高さがあります。
渡った先には、目黒区立大橋図書館があります。
ユリの花がきれいに開花してました。
天空庭園から、オーパス夢ひろばを見下ろす。
オーパス夢ひろばから、天空庭園を見上げる。
すごい構造物を造るものですね。
しばし、都会の喧騒を忘れて楽しみましたが、
そろそろライドを再開しましょう。
ここからは、目黒川に沿って進むことにします。
目黒川 中の橋
目黒川と蛇崩川が合流する場所で、河川敷を活用した広場です。
目黒川船入場
ここは、昭和初期に船を導きいれるために川を切り開いて築かれた船入場の跡です。
現在では、当時の土地を利用し、下部を目黒川調節池、
上部は区民のふれあいの場として整備され
すっかり変わってしまいましたが、
当時の名残を船入場という愛称名にとどめています。
船入場のサルスベリの木
さらに、目黒川沿いをポタリング。
この先は、川幅もあり水量も多いのですが、
浮遊するゴミも多くなってきました。
目黒通りに出て、目黒雅叙園方面へ向かいます。
これが間違いでした。
目黒駅へ続く行人坂は、
とんでもない斜度で、
上り切ったときには山の峠に着いたような息遣いでした。
行人坂という名称は、湯殿山の行者(法印大海)が
大日如来堂(現大円寺)を建て修行を始めたところ、
次第に多くの行者が集まり住むようになったので
つけられたと言われています。
目黒駅を過ぎて少し行くと、サイクルカルチャーセンターがあります。
ここは、自転車に関する書籍約9,000冊をはじめ、
希少な歴史的自転車、
部品やポスターなど自転車に関する資料を所蔵しています。
国内外の自転車専門誌や新刊図書など、
自転車に関するたくさんの書籍が閲覧できます。
また、自転車の魅力を感じることができる展示も行っています。
目黒通り白金を抜けて、麻布通り麻布十番から、金杉橋へ。
JRのガードをくぐると、竹芝桟橋側に出てきました。
浜離宮恩賜庭園を囲む流路
浜離宮恩賜庭園 中の御門
東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、
潮入りの回遊式築山泉水庭。
江戸時代に庭園として造成されました。
浜離宮恩賜庭園 正門
園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑やボタン園などがあります。
元は甲府藩下屋敷の庭園だったものが、徳川将軍家の別邸浜御殿や、
都立公園として開放されました。
浜離宮前踏切跡
この信号機は、昭和6年(1931年)から
昭和62年(1987年)1月31日までの56年間、
貨物引込線の踏切用として使用されました。
最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過
しましたが、貨物輸送の変化に伴い、
汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。
しかしながら、地元民の要望により、
銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、
保存されることになりました。
築地場外市場
大正時代からの歴史を持つ卸売を中心とした商店街。
市場の中には400店を超す商店が並び、新鮮な食材や調理具など、
食に関するあらゆるものが揃います。
築地場外市場
今年、2018年10月11日には豊洲に完全移転となります。
それに合わせて、「場外市場」も豊洲に移ると思われていますが、
築地場外市場は私設市場であり、
場外市場はそのまま営業を続けるということです。
波除神社 Namiyoke-jinja
築地市場の海幸橋門(かいこうばしもん)に隣接している神社。
埋立地の別称である築地の地名からもわかる通り、
この付近一帯は埋立地です。
江戸時代初期、万治元年(1658年)に築地本願寺からこの付近にかけて
埋め立てが開始されたが、次々と波に洗われて工事は難航していました。
しかし海中から発見された稲荷神の像を祀ったところ、
風波が和らぎ工事が完了したとされています。
これが「波除」の由来で、
厄除けや航海安全の神として信仰されています。
また、築地市場に隣接していることから
「海老塚」「すし塚」「玉子塚」などの
水産物や食品に関わる霊を祀る塚があります。
東京港修築計画に基づいて架けられた勝鬨橋は、
当時国家的イベントとして予定されていた
万国博覧会へのメインゲートとしても利用するために、
当時の最先端技術の粋を集めて建造されました。
万博自体は戦争の激化により中止となりましたが、
中央が開閉する勝鬨橋は、
完成当時は跳開橋として東洋一の規模を誇っていましたが、
隅田川を航行する船の減少、交通量の増加などによって、
昭和45年11月29日の開閉を最後に、現在では開かずの橋となっています。
※ちょうど、提灯の立っているところから跳ね上がっていました。
近未来的な水上バスが通っていきました。
形状からホタルナと思われます。
漫画・アニメ界の巨匠・松本零士氏がデザイン。
「ホタルナ」は、宇宙船をイメージしたシルバー・メタリックの流線形ボディに
ガルウィングの扉、船体屋上には遊歩甲板を設置し
船外で景観が楽しめます。
月が輝く夜に神秘な輝きを放つ蛍が隅田川を舞う
ホタルとルナ(月の女神/LUNA <ラテン語> )
「ホタル月」という、新たなる旅立ちとして思いが込められた船名です。
他にヒミコとエメラルダスの2艇があります。
勝どき駅前の交差点を右折して、清澄通りを豊海埠頭方面へ進んで行きます。
今日のごちそう。
倉庫街にあるマグロ卸のマグロ丼の店
ここへ来たのは2回目。
サイクルラックはガラガラでしたが、
店内は休日の昼過ぎとあってそこそこ来店者があります。
今日は、たくさん食べられないと思い、
マグロ丼と本日の味噌汁にしておきます。
東京消防庁おおえど&マグロ丼
タープが日差しを遮ってくれて、風が心地よく通り抜けます。
マグロの切り身が7~8枚ものっていて、600円は安い!
本日の味噌汁は、なす。
なんてことはない、ぺろりと食べてしまいました。
オーナーがSNSで毎日のようにおすすめ情報を発信しています。
休業日でも少しづつリゾート風の雰囲気のある店づくりを
されていて、
かなりいい感じになって来ました。
ごちそうさまでした!
店を出て少し足を延ばせば、そこは 豊海埠頭の突端。
レインボーブリッジがすぐそこです。
さてさて、ここから帰路につくことにしましょう。
清澄通りを進んで行くと、
今日も57.7㎞と、
ほどよいおさんぽとなりました。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1750556577/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1533457731
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
ジョンダリが迷走して、ゴジラを連れてきた!
2018.7.29(日)
前代未聞の逆走台風、
迷惑極まりないですね。
もう一周するのかと思いました。
心配していた雨風もほとんどなく、
暑い日差しが戻ってきました。
今日は、この前と反対に環七を南下していきます。
やっぱり環七の車道は怖いなぁ・・・
高円寺陸橋から堀ノ内斎場方面へ。
通称は荒玉水道道路と呼ばれています。
善福寺川にかかる済美橋
このあたりは、杉並区の和田堀公園の一角で、
橋を渡ると、両側に樹木が生い茂って涼しい道をつくってくれています。
京王線 桜上水駅
駅横にある踏切は、一度捕まるとなかなか開かない。
駅名の由来は、
京王電気軌道の電車庫を笹塚駅から当地に移転する際に開設されたため、
駅開設当時は「北沢車庫前」→「京王車庫前」と称され、
桜並木があったことに由来しています。
この「桜上水」という名は、当時の京王電気軌道が駅名として考案したもので、
後に駅周辺の地名になったということです。
この荒玉水道道路、走っていくと
一方通行だったり、両方向だったりの比較的狭い
世田谷区喜多見までほぼ一直線の道路で
車が通らなければ快適なのだが・・・
仙川までやって来ました。
おっと、ここを右折しなくては。
ダ・ダ・ダン、
ダ・ダ・ダン、
ダダダダダダダダ・ダン!
という独特のリズムが迫ってくる。
作曲者は、伊福部昭(いふくべ あきら)。
GODZILLA出現!
東宝スタジオ ゴジラ壁面
場所:東京都世田谷区成城一丁目4番1号
東宝スタジオ No.5ステージの西壁面(壁面は、高さ14×横17メートル)
ゴジラのサイズ:高さ約11メートル、幅約11メートル
モデル場面:『ゴジラVSスペースゴジラ』(1994年)より
総工費:約8,000,000円
制作年月:3ヶ月(2014年3月~5月31日)2014年6月完成
制作者:塙 雅夫(はなわ まさお)
画家・壁画家。イタリア ジェノバで教会壁画の制作や修復に携わり、
東京ディズニーシー建設時は壁画部門のディレクターを務めた。
2007年、東宝スタジオ入口に『七人の侍』の壁画を制作し、話題となる。
会議の舞台となる大広間の障壁画を担当。
現在公開中の映画『万能鑑定士Q─モナ・リザの瞳─』(綾瀬はるか主演)では、
精巧なモナ・リザのレプリカを制作した。
2003年から2010年の8年をかけて、
スタジオ施設の大改造の総仕上げとして
「ゴジラの壁画を描く」という構想。
2011年の完成を目指して製作準備に取りかかっていたのですが、
その矢先に発生したのが東日本大震災です。多くの混乱の中、
壁画制作は中断されたのです。
それから3年。
ゴジラ生誕60周年、ハリウッド版『GODZILLA』の公開を機に、再び計画は始動。
半年の準備期間、3ヵ月の制作期間を経て、遂にゴジラ壁画が完成しました。
訪れた人たちが自由に見上げられ、
記念撮影もできるロケーションになっています。
東宝スタジオ 七人の侍壁面
2007年8月9日、オフィスセンターの完成に伴い、
メインゲートの側面には、東宝スタジオで製作された数多の作品の中でも
最高傑作とも言うべき「七人の侍」の巨大な壁画が完成しました。
絵柄は草原に七人が集まる有名なスチール・ショットで、
前面に立つ菊千代=三船敏郎が
12.4メートルという大きさは圧倒的な迫力です。
ゴジラ ブロンズ像
※以上、東宝スタジオHPより抜粋しました。
次大夫堀公園(じだゆうぼりこうえん)Jidayuubori-park
世田谷の農村風景の典型的なイメージと昔ながらの小川を復元したのが次大夫掘公園。
公園名は小泉次大夫が昔この地域の用水を確保するために作った
堀の名にちなんでつけられました。
面積は約36,000平方メートルで650メートルの水路を有し、
その水路に沿って、当時の古民家や
水田(1,400平方メートル)が配置されています。
水路や池には、コイ・メダカ・アメンボもたくさん生息しており、
コサギがきてドジョウをついばむ姿も見られます。
水田では、毎年稲作が行われ、
近隣の保育園や小学生達による田植えや稲刈りが、
東京中央農協の協力のもと行われています。
また、多摩堤通りをトンネルで横断できるようになっており、
パズルトンネル(卵から鳥が生まれてくるパズルです)と呼ばれています。
次大夫堀公園民家園 正門
次大夫堀公園民家園 入口全景
道祖神
消防小屋と火の見櫓
消防小屋内部
旧城田家住宅主屋
旧城田家住宅主屋内部
旧城田家住宅主屋裏
旧秋山家住宅土蔵
旧加藤家住宅主屋内部
道祖神から旧谷岡家住宅表門を望む。
加治屋
数人の方が実際に作業をされているところを見学できます。
藍染小屋
サルスベリの樹の間に夏空が広がります。
次大夫堀公園から都道11&428号線が交差するアンダーパス
パズルトンネルを抜けたあたり、右側に竹林が広がってきます。
その先は、野川沿いに道が続きます。
野川のシロサギ
水田でよく見かける、シロサギは肉眼では同じように見えますが、
ダイサギ、チュウサギ、コサギ、アマサギの4種類がいるそうです。
ちょっと遠いので判別が難しいが、コサギのようです。
東名高速道路をくぐり、最初の橋の手前を右に入り、2本目を左に曲がると、
住宅地の中にヒマワリ畑が開けてきました。
多くの人たちが撮影してにぎわっています。
野菜農家さんが、この時期に種をまいて、
楽しんでもらおうと始めたそうで、
約20,000本のヒマワリが植えられています。
若干、下を向き始め見頃のピークのようです。
北側の区画には、これから楽しめる
まだ開花してないヒマワリがあります。
ふたたび、野川沿いに戻って多摩川まで行ってみることに。
仙川と合流してから少し下ると橋の下あたりに
10数匹の大きなコイが群がっていました。
野川 二子玉川あたり
多摩川に注ぐ野川
野川もいよいよ終着点。
ここを折り返し地点にして、来た道を戻ることにします。
今日も約50㎞のライドでした。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1734728841/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1532848695
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
メタセコイヤの森とカワセミに癒されたい人は、ぜひ。
2018.7.22(日)
今日も、暑さに変わりはありません。
先週の「石神井川おさんぽ13.9㎞」がSTRAVAで大反響
だったので、
目標の設定に少しプレッシャーがかかります。
とは言え、それはそれ。
自分が楽しむことが出来れば、
それが一番!なので、
お気楽に出かけることにします。
今日の目的地は水元公園です。
平日はビュンビュン怖いが、
今日は空いている環七を東へ走ります。
月見橋 Tukimi-bashi
足立区花畑川にかかる橋。
ここから花畑川に沿って中川を目指します。
中川に出ると、左折し上流の潮止橋を渡り対岸へ。
大場川マリーナ
潮止橋は、すでに埼玉県八潮市に入っています。
戻るような形で大場川沿いに進んで行くと、
プライベートクルーザーがたくさん並んでいます。
巨大なガソリン補給スタンド?のようなものがあり、
電動の台車に乗ったクルーザーが、手際よく運ばれていきます。
この先、川が大きく湾曲していて曲がるところを間違えてしまい、
遠回りをしましたが、埼玉県道67号線に出てきました。
間違えた辺りはいつの間にか、いったん埼玉県三郷市に入っており、
やっと東京都へ再突入です。
閘門橋 Koumon-bashi
近づいてくると、欄干に大きく「こうもんばし」と彫られていて、
水戸黄門にゆかり?があるのかと思いました。
独特の木の葉なのか炎なのかをデザインしたマークは、
ちょっと引いてしまうような雰囲気があります。
三郷側から見る閘門橋
東京都葛飾区と埼玉県三郷市を繋ぐ葛三橋と並行して架かっている歩道専用の橋で、
正式名称は、
「弐郷半領猿又閘門」(にごうはんりょう さるがまた こうもん)
です。
弐郷半領用悪水路普通水利組合によって
1910年(明治43年)に建造されたものだそうです。
水を塞ぎ止める板を昇降させるみぞがあり、
上流側には、塞ぎ止め作業を示すとび職風のブロンズが置かれています。
レンガ造りのアーチ橋としては都内唯一のものとありますが、
実際は、日光橋(福生市)、禊橋(青梅市)、牟礼橋(三鷹市)、
野火止用水(東村山市)、JR中央線、JR東海道線の高架橋、等が現存しています。
かわせみの里
水辺のふれあいルームわきに置いてあった、
イラスト入りでナイスな情報です。
かわせみの里
残念ながらかわせみを見つけることは出来ませんでした。
かわせみは、全長17cm。
くちばしは体の割りに長く、魚取りにすぐれた鳥です。
日本では全国にすんでいます。巣は土崖に横穴を掘ってつくります。
渓流や池沼などを見下ろす木の枝に静かにとまっていて、
水中の獲物をとったり、水面をかすめて一直線に速く飛んだりしています。
羽色が鮮やかで、翡翠(ひすい)のような体色から、
飛ぶ宝石ともいわれ、
その美しさは古代から注目されていました。
かわせみの里にかかる橋から見る大場川
睡蓮でほぼ埋め尽くされています。
ひまわり 1
ひまわりにはたくさんの別名があります。
ひまわり 2
ひまわりのたくさんの品種もあります。
・イタリアンホワイト
・ゴッホのひまわり
・コング
・サンゴールド
・F1サンリッチ系
・F1サマーサンリッチ系
・大雪山
・ビンセント系
・プラドレッド
・F1ムーランルージュ
・モネのひまわり
・F1グッドスマイル
・ソリータ
・テディーベア etc.
中央広場 1
どこかの外国にあるPARKと呼びたい景色が広がってきました。
中央広場 2
右手奥に東京スカイツリーが見えます。
中央広場 3
真ん中がゆるやかな丘になっていて、北海道のような広さを感じます。
小合溜井 Koaidamei
水元公園の東側に広がる木々に囲まれた水域。
東京都葛飾区と埼玉県三郷市との県境に位置する池になっています。
小合溜(こあいだめ)とも呼ばれています。
水面に浮かぶ葉
小合溜井は、江戸時代に作られた溜井のひとつで、
「溜井」とは、用水を確保するために
河川を堰き止めて作った用水池になります。
古利根川(中川)の一部で1729年(享保14年)徳川吉宗指示の元、
紀州藩出身の井沢弥惣兵衛が水害防止、
及び灌漑用水を調整する遊水地として設けたとされています。
井沢弥惣兵衛(いざわ やそべい)の主な事業には、
武蔵国の見沼干拓、見沼代用水開削、多摩川改修、下総国の手賀沼の新田開発、
小合溜井によって、東葛西領の50あまりの町村を潤す水源となったため、
ここを「水元」と呼ぶようになりました。
概ね東京都と埼玉県の県境とされていますが、
厳密には、未確定区域が存在するそうです。
水害防止として小合溜井に沿って同時期に築かれた
桜土手(櫻堤、若しくは水元さくら堤)は、東京都側に設けられており、
現在、桜の開花期は花見の名所となっています。
しかしながら、前回ライドの際、渡良瀬遊水地の近くにあった
決壊の石碑からはるか下流のこの場所。
昭和22(1947)年9月に関東地方を襲ったカスリーン台風の時は、
埼玉県内で利根川の右岸堤防が決壊し、
氾濫した濁流が利根川旧流路である中川の低地を南下した時、
この土手まで水が押し寄せました。
当局は江戸川の堤防をダイナマイトで爆破して
氾濫水を放流しようと試みましたが、破壊しきれず中断していたところ、
桜土手も持ちこたえられずに決壊して、
東京の下町に戦後最大の洪水被害をもたらしたということです。
メタセコイアの森 1
スギ科の落葉高木。高さ30メートル以上にもなります。
幹はまっすぐ伸び、樹形は円錐形で、
樹皮は赤褐色で縦に裂けます。
葉は羽状複葉で柔らかく細い小枝に対生し、
秋に紅葉して小枝とともに落ちます。
1949年日本にも伝えられ、現在各地に植えられています。
全体にセコイアに似ているけど、
葉が対生(葉が茎の一つの節に2枚向かい合ってつくこと。)
する点で異なり、別属とされています。
メタセコイア属は日本でも数種が化石として発見され、
本種は〈生きた化石〉の一つとされています。
メタセコイアの森 2
ここは、約1,800本の樹の間に、
木製のテーブル付きのイスが配置されていて、
多くの人たちが、ピクニックを楽しんでいました。
高木のおかげで暑い直射日光を適度に遮り、
かと言って、葉枝はまばらなので暗くなりすぎずに
周囲よりも一段涼しさを感じます。
近ければ毎日来たい気持ちのいい場所です。
蓮が広がる水路 1
一直線に蓮が水路を埋め尽くしています。
蓮が広がる水路 2
つぼみもあるので、まだしばらく鑑賞できるでしょう。
ここから、江戸川へ出てサイクリングロードを下ります。
以前、手賀沼へ行ったときに通った2つの取水塔を通り、
このまま進んで江戸川区を回ろうかと思っていましたが、
すでにトータル50㎞を越えるペースになっていたので、
前回のルート通りに柴又から 亀有を通って、
千住新橋から荒サイに入ります。
暑さにも負けずとれたてキッチンまで帰ってきました!
いつもは、多くのサイクリストでにぎわっていますが、
今日は、ガラガラです。
かき氷でも食べて帰りますか???
いつものように赤羽桜堤緑地を抜けて、志村坂上から帰宅。
今日も、感動だらけのライドになり満足でした!!!
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1719117302/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1532238882
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
メンテのあと、石神井川下りのおさんぽ試走をしたぜい。
2018.7.16(月)
今日も変わらずに激暑。
三連休最後なので、無理なライドは控え、
いい機会だから、自転車の整備をしに中板橋へ出かけま~す!
ネットでスポーツバイクを買ってしまうと、
なかなかメンテナンスをどこでやるか悩むところです。
ハンドルまわりでブレーキの応急調整をする程度で、
つい一年以上も経ってしまいました。
中根橋のところにある「サイクルショップ・アベ」さん。
口コミ通りの、ブレーキとシフトの調整を丁寧に
作業していただきました。
おかげさまで、買ったばかりの頃のバシバシ効くディスクブレーキと、
切れのある変速によみがえり、大いに満足です。
これからちょっと試走してみようと、
目の前の石神井川をふらっとおさんぽすることにしてみました。
旧中山道にかかる、板橋
「距日本橋二里二五町三三間」
「日本橋から十粁六百四十三米」(1k643m)
板橋は、仲宿付近の石神井川に架けられ、地名「板橋」の由来とされる橋。
その名は『義経記』等の文献の中で、
平安時代の昔より既にあったものとして登場しています。
古代から近代にかけてのものは文字どおり板張りの木橋で、
江戸時代のものは、長さ9間(約16.4m)、幅3間(約5.5m)の緩やかな太鼓橋となり、
歌川広重の浮世絵や長谷川雪旦の『江戸名所図会』にも描かれています。
昭和7年(1932年 )以後は平坦なコンクリート橋になりましたが、
欄干に木目模様を施して雰囲気を演出しています。
現在は板橋十景の一つとなっています。
加賀学園橋
宿場に隣接した地には、
明治時代にその一部が陸軍の板橋火薬製造所となりました。
また、宿場内には北豊島郡役所が設置されるなど、
東京北西部の政治・経済・交通・文化の中心的な地域でした。
加賀橋
加賀一丁目あたりにかかる橋。
すぐ横にある加賀橋公園には、説明の碑と共に「南極の石」が置かれています。
1973年から2009年にわたり、極地に関する総合研究活動を続けてきた
国立極地研究所がここ加賀にあったことの証として
加賀まちづくり協議会へ送られたそうです。
種別:縞状黒雲母片麻岩(しまじょうくろうんもへんまがん)
観測隊次:第25次南極地域観測隊(初代「しらせ」が就航した最初の南極観測隊)
採取場所:南極・プライド湾にて1984年2月に採取
その先、両岸木が生い茂って木陰が続く中、
加賀緑橋を渡って左岸へ。
埼京線の橋梁をくぐると、間もなく北区に入ります。
何気なく進んでいると、一般道が交差するところで工事をしていました。
振り向くと、なんと観音様が鎮座されています。
こんなところに???
谷津大観音 YATSU-DAIKANNON
南照山観音院寿徳寺の参道を下りた寺域に、
同院 新井慧誉和尚の発願により2008年2月に建立されたものです。
谷津というのは、この辺りの小字(こあざ)名で
現在でもその名で親しまれていることから谷津大観音と名付けられたそうです。
石神井川は現在の板橋区加賀付近から谷の底が深く なり、
王子へ続く蛇行した渓流となっていました。
などとよばれていました。
滝野川の町境の北側が石神井川上から一部半円状に外れる部分はかつての流路で、
現在「音無さくら緑地公園」になっており、
江戸名所図会『松橋弁財天窟 石神井川』に描かれる江戸の名所でした。
滝野川あたりは護岸がコンクリートで固められて、
川の水辺にはいくことができませんが、
音無もみじ緑地は入り江のような場所が残っていて、
水辺まで降りていくことができます。
音無もみじ緑地
入り江では、数人の子どもたちが網をもって小魚をとっていました。
桜の頃には、素敵な風景になること間違いなし!
瀧河山 松橋院 金剛寺 Ryuukasan-shoukyouin-kongouji
源頼朝 布陣伝承の地とされており、
境内にある説明文によると以下のようになります。
配流先の伊豆で挙兵し、石橋山の合戦で敗れて安房に逃れましたが、
上総・下総を経て墨田川を渡り、滝野川・板橋から府中六所明神に向かい、
ここから鎌倉に入って政権を樹立します。
この途次の10月、頼朝は軍勢を率いて
滝野川の松橋に陣をとったといわれてます。
松橋とは、当時の金剛山の寺域を中心とする地名で、
ここから見る石神井川の流域は、両岸の岩が切り立って松や楓があり、
深山幽谷の趣をもっていました。
崖下の洞窟には、弘法大師の作と伝えられる石の弁財天が祀られていましたが、
頼朝は、弁財天の祈願して金剛寺の寺域の弁天堂を建立し、
所領の田地を寄進したと伝えられます。
金剛寺は紅葉寺とも称されますが、
これは、この地域が弁天の滝や紅葉の名所として
知られていたことに由来するからです。
音無親水公園 Otonashi-shinsuikouen
「日本の都市公園100選」に選ばれています。
ちなみに、このあたりの流れが 「音無川」 と呼ばれたのは、
徳川8代将軍・吉宗が紀州の音無川から命名したことによるそうです。
北側の王子稲荷のある高台との狭い間を通って東へ流れていました。
旧流路は、音無親水公園となり、現在は汲み上げた地下水が流されています。
ちびっこたちには、もってこいの水遊び場となっていて、
激アツのこの日も、多くのはしゃぐ声でにぎわっていました。
流路の狭さのため、戦後には板橋大谷口付近でたびたび洪水があり、
1958年の狩野川台風では、ここ王子駅の改札口が冠水するなど
北区だけで5000世帯が被害にあったそうです。
そこで、石堰を廃止するとともに1966年から1968年 にかけて
飛鳥山の下をトンネルで通す飛鳥山分水路(バイパス)が建設され、
1969年の3月に完成しました。
いよいよ、川沿いの散歩もここまで。
この先、石神井川は王子駅の直下を通り東側の豊島の低地へ抜けて
隅田川へ注いでいきます。
ここからUターンをして、紅葉橋からは反対側を進んでみます。
わんぱくアスレチック
まだ出来たばかりのような新しい遊具がならんでいますが、
この暑さのせいか遊んでいる子どもは一人もいません。
板橋区役所前駅近くの、なごみで昼そばを食べて帰宅しました。
トータル約14㎞のおさんぽライドでしたが、
普段、中板橋のあたりしか通っていないので、
今回は、また新しい発見が多くあり、
ゆったりまった楽しいライドでした。
現UP時点、STRAVAでは、この時のライドの反応がTOPになっています。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1705810862/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1531732198
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急遽決定!救邪苦(くじゃく)風鈴は、どんな音色?
2018.7.15(日)
昨日のライドは、念入りに計画を立てましたが、
今日の分は正直考えていませんでした。
しかーし!
昨日、STRAVAの荒サイ倶楽部でみなさんのライドをチェックしていたところ、
風鈴ライドとタイトルにしたS.Sさんの画像に
目がとまりました。
これは、川越氷川神社ではないみたいたぞ。
ログ(軌跡)を確認してみると、岩槻?
添付画像にHISAIZU JINJAと書かれたサイクルラック。
今日は、ここ一本に絞って行きましょう!
武州岩槻総鎮守 久伊豆神社 HISAIZU-JINJA
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昭和13年(1938)
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう)殿下が岩槻にご来臨の折、
当神社へ孔雀を三羽下賜されてより大切に育て、
現在その子孫は十六羽を数えます。
朝香宮殿下孔雀奉納八十年記念として
今年は孔雀にちなんで929個の風鈴を設置、
「救邪苦(くじゃく)風鈴トンネル」
(8月末まで)が皆様をお迎えいたします。
心身の穢れを祓うとされる鈴の音、
また風を音で感じることで暑さも和らぎます。
願い事を風鈴に吊るす「夢短冊」もございます。
どうぞ涼を求めて久伊豆神社へお参り下さい。
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岩槻 時の鐘入口
通りから入るところに案内はありますが、あまり目立たないので、
反対側から来た自分は通り過ごしてしまうところでした。
時の鐘
ひっそりと佇み、見に来る人はほとんどいません。
川越と違って住宅地に中にあり、鐘の突き手も確保できないようで、
いまでは、ほとんど飾り状態になっているようです。
北に向かい、東武アーバンパークラインの線路を越えると、
目的地はすぐ目の前です。
少し長い参道に入ると高い木が生い茂り、
一気に神聖な雰囲気になって来ました。
久伊豆神社のサイクルラック
鳥居手前にあるサイクルラックに最初とめようとしたら、
高さが低くて、自転車を後ろから横倒しにしてサドルをかけるという状態。
しかし、高さが足らずにかかるまでいかない。
しかたないので、端によせてロック!しましたが、
二の鳥居をくぐると、先に高さのあるサイクルラックがあったので
そちらへ移動。
でもこれがまた、今度は高すぎ!
(前輪も浮いてしまう・・・笑)
久伊豆神社 二の鳥居
久伊豆神社の由来
お祀りされているご祭神は、
大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命(おおくにぬしのみこと)です。
約1400年前、出雲族の土師(はじ)氏が東国移動の際、
出雲国からご分霊し建立されたのが始まりとされています。
のちに、1457年(長禄元年)、太田道灌が岩槻城を築城した際、
当社を岩槻城の鎮守としました。
手水舎横手の風鈴の小路
記念撮影用に、カメラ台も用意されています。
手水場
何年かぶりに、きちんと作法通り(手順が書いてあります)に
やった気がします。
救邪苦(くじゃく)風鈴トンネル
微風がそよぐ中、ビデオを回しながらくぐり抜けてみました。
激暑なのを忘れて、なんと心地よい場所なのでしょうか。
色とりどりの風鈴
川越氷川神社でも、同じような飾り付けをしているようですが、
ここはまだあまり広く知られていないようです。
外国人の観光客が知ったら、
あっという間に広がってにぎわってしまうことでしょう。
一年安鯛みくじ
鯛を型どったかわいらしい入れ物に入ったおみくじ。
横にある釣竿で引っかけて釣り上げます🎣
挑戦したかったが、300円の小銭がなかった・・・残念。
北野天満宮(左)と神札所(右)
「久伊豆」が「くいず」とも読めることから「クイズ神社」とも呼ばれ、
「史上最大!第11回アメリカ横断ウルトラクイズ」(1987年)の
国内第二次予選会場として選ばれました。
帰路は、また時間短縮のために最短距離を選びます。
県道65号線を走り、北浦和方面へ向かいます。
浦和へ出ると、なにやら前方で交通規制中。
「浦和まつり」の真っ只中に入ってしまいました。
車道を踊り手が道いっぱいに広がり、
両側の狭い歩道から、抜け出すことが出来ません。
なんとか隙を見て横断し、17号線を南下。
戸田橋を渡り、いつものファミマ舟戸で最後の一服とおもったら、
先客ロード2台が停まっていたので、坂下3丁目店で休みました。
ファミマに駐輪した時、ブロックにセミの脱け殻。
いきなり夏が来て、大人になりきれずに脱皮したでもあるかのように、
小さな脱け殻です。
今日も、50kmを軽く越えてしまいました。
岩槻、結構遠かったなぁ・・・
距離感がおかしくなっているかな?
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1703472190/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1531652313
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レインボーブリッジの真ん中で、ドローン目線からのお台場を楽しむ!
2018.7.14(土)
今日から三連休ですが、
同時に3日間猛暑日予報です。
またまた激暑ライドの対処が必要ですね。
本当は、熱海の仲間の別荘に誘われたのですが、
さすがに35度越えで行くのは、
渡良瀬の二の舞になりそうだったのでお断りしました。
せいぜい50km前後がいいところでしょう。
今日のメインディッシュは、
あのレインボーブリッジを渡ってみたい
と思います。
亜ガリコ餃子楼
POPな看板につい目が行ってしまった。
この坂はその昔、幽霊坂という名前でした。
(ノД`)
突然ですが、今はなんという名前がついているでしょう?
その答えは、次の写真の石碑に刻んであります。
大正元年(1912)9月に乃木将軍の殉職と同時に幽霊坂という名は廃され、
●●坂に改められた。とあります。
そう、答えは乃木坂。
いま、飛ぶAKBを落とす勢いの46!
六本木ロアビル手前を右に入ると、
ハードロックカフェが見えてきました。
1983年7月、日本第1号店(世界第4号店)としてオープン。
東京・六本木という場所柄から、最も来日ミュージシャンが訪れる店として、
数多くのエピソードがあります。
その中でも1995年に行われたThe Rolling Stonesの
深夜プライベートパーティーと、
Bon Joviのシークレットライブは
今では伝説として語られているそうです。
スヌーピーミュージアム東京
言葉「ともだちは、みんな、ここにいる」とともに開館した
スヌーピーミュージアムは、2018年9月、ついに2年半の期限を迎え閉館します。
最後の展覧会では、みずみずしい筆遣いの貴重な原画約80点と
新作アニメーション映像などを通じて、
ユーモラスで哀愁漂う、ともだち同士のやりとりを楽しめます。
入口から写真だけ撮っている間にも、次から次へと人がやってきます。
残りあと1ヶ月半。ファンの人は急いで行きましょう!
結構な急坂の鳥居坂を下り、
麻布十番の商店街へ突入!
麻布十番から、芝公園、金杉橋と西へ移動します。
新日の出橋
東京湾が見えてきました。
お台場方面、観覧車も見えます。
待ってろよ!おだいばーーー。
レインボーブリッジのループ部分
芝浦アンカレイジという、橋脚に接する施設からスタートです。
※アンカレイジは、つり橋の翼となるメインケーブルをつなぎ留めるための
巨大なブロックです。
自転車で渡るには、この台車を後輪に着けて押して下さい。
と、警察からのお達しです。
ちょっとマヌケですが、安全第一。
ルールは守りましょう。
エレベーターで一気に7階へ。
扉が開くと、目の前には進行方向のお台場が。
基本、金網フェンスが張られ、
横の車道は車がビュンビュン走りすぎ、真ん中をゆりかもめが通ります。
ここは、下層階。
上層階は、首都高速11号台場線。
主塔の所は、外側にまわるようになっていて、
絶好の撮影スポット。
そこから撮影した、普通には撮れない景色。
この第6台場は植物や野鳥の宝庫になっており、
学術的にも貴重な場所として保全のため立入禁止となっています。
南ルートの全長は1,523m
台場公園は国指定史跡である第3台場を公園として開放したものであり、
海岸沿いの高台には、砲台跡、園内中央には、陣屋跡や火薬庫跡、かまど跡があり
歴史を感じることができます。
この第3台場は隣接する第6台場とともに「品川台場」として、
2017年4月に続日本100名城に選定されました。
20~30分で、お台場側へ降りて来ました。
ここを無料で通れるなんて、
貴重な体験をしました。
※お台場側から自転車で渡るときは、北側ルート(晴海側)指定となります。
歩行の場合はどちらでも可。
ここお台場海浜公園には、
そこかしこに船のイカリとクサリがちりばめられています。
最初は、引き揚げられたものをそのままディスプレイしているのかと
思っていましたが、
あまりにもたくさん出てくるので、???
アウトドア・アート作品として展示されているようです。
自由の女神像
高さ11m、重量約9t
ブロンズ製のこの像は、フランスから『自由の女神像レプリカ』の作成が認められ、
臨海副都心まちづくり協議会が製作、東京都へ寄付し設置されました。
フランスのクーベルタン鋳造所で複製されたものです。
散策路に咲く花
サルスベリ(百日紅=ヒャクジツコウ、Lagerstroemia indica)は、
ミソハギ科の落葉中高木。
和名は、幹の肥大成長に伴って古い樹皮のコルク層が剥がれ落ち、
新しいすべすべした感触の樹皮が表面に現れて更新していくことによる。
(ナツツバキやリョウブをサルスベリと呼ぶ地方もある)
つまり、サルが登ろうとしても、滑ってしまうということで、
猿滑と表記することもある。
実際には猿は滑ることなく
簡単に上ってしまう!
ちょうどお台場に着いたスカイダックが揚がって来ました。
すぐに海水漬けになった車体を洗車しています。
東京港トンネル(お台場側入口)
潮風公園のBBQ広場は団体でいっぱいでした。
水辺の道沿いは工事中で先に進めないので、
フェスティバル広場へ向かうことにします。
斜面いっぱいに咲く緑のあじさい。
その上に、金色の物体がひょっこりはん!
なんかEXILEの文字と、巨大ディスプレイでイベントをやっていると思ったら、
「居酒屋えぐさいるPARK」でした。
グッズ販売や縁日をやっているようです。
自由の炎像
ひょっこりはんの正体は、
シンボルプロムナード公園内にある高さ約27mのオブジェでした。
平成10年に開催された「日本におけるフランス年」を記念してフランスから寄贈され、
自由の女神と並ぶ臨海部のシンボル的存在です。
フェスティバル広場にそびえ立つ、
出ました!ガンダム。
自分は、ガンダム世代ではないのでよくわかりません。
海外の人たちに混じって撮影をしてきました。
すっかり観光客の一人です。
ヴィーナスフォートあたりからプロムナード沿いに、
たくさんの花が植えられていて、とてもきれいです。
ホテルトラスティ東京ベイサイド
臨海エリアには、建築技術を結集した多くの建造物が林立しています。
東京ビッグサイトを初めて正面から見る。
ビッグサイト横の道路を直進していくと、
ここまで来る人は、めったにいないと思います。
Uターンをしてまっすぐ北上すると、
豊洲市場が見えて来ました。
豊洲のアーバンゲートブリッジ
運河沿いに進むと、しぶい橋が視界に入ってきました。
晴海橋梁
晴海線が1989年(平成元年)2月10日に廃止となり、
東京都港湾局専用線が全廃となりました。
同時に本橋梁も供用廃止となったが、
撤去されずに当時の姿のままの遺構として現存しています。
時間も押してきたので、北上開始。
すみだ北斎美術館
その生涯のほとんどを区内で過ごしたとされています。
墨田区はこの偉人をたたえて、地域振興の一環
として美術館を建設することにしました。
超近未来的な建物は、妹島和世(せじまかずよ)による建築設計。
日本の伝統である浮世絵など、圧倒的な画業で人々を魅了した北斎作品と、
近未来ともいえるアルミの外観を持つ妹島の設計は、
一見相反する事と感じがちですが、
どちらも世界から注目を浴びているという共通点が見えてきます。
当初の激暑予報に反して、
午後は雲もあり、風も少しあって思ったより過ごしやすい。
あちこち欲張ってのんびりしていたら、すでに3時前。
駒形橋へ抜けて上野の山を通り、
いつもの道を帰りましょう。
また、50kmを越えてしまった。
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しかし、地下鉄の電車をどっから入れたんでしょうねぇ?の謎解き
2018.7.7(土)
今日は、曇っていますが雨は降っていません。
でも、湿度はちょっと高め。
先週、激ライドをしたので、
ゆるぽたでいきたいと思います。
ゆるぽたと言えば、定番の上野、浅草。
ゆっくりと昼からスタート!
いつもの中板橋の石神井川沿いを通って行きます。
途中、よみせ通りの千駄木腰塚では、
土曜日ながら、店頭販売をやっていました。
本日は、アメリカドッグ300円也。
誘惑にも負けずに、上野へ到着。
噴水広場の反対側、
東京国立博物館の平成館で、7/2~9/2までの間、縄文展をやっていますよ。
今日の噴水広場のイベントは?
日蘭友好SAMURAIフェス
日本とオランダの文化交流をメインに、
パフォーマンスや出店がされています。
ゆっくり見たいのですが、
サイクルラックがスタバにしかなく、
しかも4~5台しか停められないのに、
ママチャリが平気で置いてあります。
きっと、自転車はここに停めてくださいという認識なのでしょう。( ̄▽ ̄;)
まだ、ママチャリでもサドルをかけていれば、笑って許せるのに・・・
さて、これからどうしようか?
と考えていると、
待てよ・・・今日は七夕じゃないですか。
七夕と言えば、合羽橋の縦の通りで下町七夕祭りをやっているはず。
上野駅の北側に架かる両大師橋を下って、
昭和通りに出ると、そこから浅草に向かって
両側に飾り付けがされています。
多くの見物人がいて、自転車の押しながらの通行はしないほうがいいと判断し、
迂回をして浅草方面へ。
途中、昭和通りから裏通りへ入ると、
こんなところに銀座線の踏切?
と看板が付いてはいるものの、
ゲートで閉ざされた線路があります。
これこそ、昭和の夫婦漫才で有名になった、
春日三球照代のあの名作の答えがここに。
三球「…しかし、
地下鉄の電車をどっから入れたんでしょうねぇ。
それ考えると一晩中眠れなくなるの」
照代「あなたも面白いこと言うわね」
三球「あらかじめ電車を地下に埋めておいてトンネル掘りながら
『確かこの辺に埋めたよなー』『あったぞあったぞ、電車が』なんて」
照代「そんなわけないじゃないの」
三球「じゃ、あなた知ってるんですか?」
照代「当たり前じゃない。地下鉄の階段から入れたんですよ」
三球「え、そうなんですか?」
照代「常識よ」
三球「そうなんですか。よく改札が通れましたねぇ。
それ考えると、また眠れなくなっちゃう」
照代「寝りゃいいじゃないの。眠そうな顔をして」
家族団らん、大爆笑をしてテレビを観ていたものでした。
踏切の反対側は、このように車庫になっています。
向かって左の車両の前面にくまモン?
今年の5月31日まで、期間限定でラッピング
電車が走っていたそうです。
西山漆器
創業大正5年3月、関東大震災、戦災と二度の災禍を経験してきましたが、
観光の外国人にもおみやげとして人気があるようです。
まるごとにっぽん
2015年12月に浅草に出来た、
全国47都道府県の物産を扱う商業施設。
出来た当時は、テレビでもこぞって取り上げられ、
人でごった返していました。
店舗紹介の中にこんなのがありました。
各階のトイレにもこだわりが詰まっています。
近年、商業施設におけるトイレの位置づけは、
女性客に向けて“売り場の喧騒から離れて一息つける空間”として
つくられるように変わってきています。
トイレを店舗と同様に捉え、
機能を超えブランディングの一環として扱うという考え方です。
ブランディングを重視した例として、
まるごとにっぽん館内のトイレは施設のこだわりが強く表現されています。
素敵なトイレ、一度体験されてはいかがでしょうか?
花やしき通り
三社祭も終わり、土曜日ということもあるのか、閑散としています。
花やしき入口
ここのジェットコースターは、狭い敷地の中の壁沿いを走るため、
スピードはたいしたことありませんが、結構怖い。
前回訪れた時のように花はありませんでしたが、
定期的に水が噴出して浄化を兼ねた演出効果を出しています。
大きなコイ?も数匹いますね。
東京スカイツリーをバックに。
二回目にして、まあまあの写真が撮れました。
浅草通りに出て東へ向かい、
柳島橋から、横十間川沿いに南下します。
セブンイレブン都立墨東病院東店で
アイスバーのまるごとキーウィを買ってみました。
むかし、プリンアイスという同じバーのものがあったけど、
食感がそれと同じ感じだなぁ。
もう少し南下してから、荒川CR方面を目指してみますか。
猿江公園はパスして、川沿いにつくられているボードウォークを走り、
クローバー橋という小名木川が交差する所にかかる橋から左折して
東へ向かいます。
さらに都道477号線にぶつかると、直進ができなくなったので、
クランクに進み、中川大橋にやってきました。
旧中川に架かる中川大橋。
ん?左奥に見えるのは、荒川ロックゲートじゃん。
もうすぐ、荒川CRに出るので水分を仕入れたいところ。
すると、今通って来た右手になにやら自販機が連立していて店もあるみたい。
戻ってみることにしました。
旧中川 川の駅
こんなところに川の駅?
こぢんまりと佇むコジャレた店舗。
軽食と休憩、なんと足湯もあります。
すぐ横には、中川船番所資料館があり、
かつてこのあたりにあった、
中川船番所の歴史などを中心に
この地域に関する活動に一役かっています。
今年の3月まで、日の丸スカイが管理していたようですが、
今は経営が変わったようです。
なお、水陸両用の観光バス、スカイダックの東京スカイツリーコースは、
今もここがスプラッシュポイントになっているようです。
詳しくは、問い合わせて下さいね。
荒川を、バシバシ走っている方々の中でロックゲートのすぐ裏側に
こんな所があるのを知っている人は、ほとんどいないんじゃないかなぁ?
橋の反対側、河川敷に遊歩道があり、
背丈の高いひまわりが咲いていました。
このあと、荒川CRへロックゲートの上流から入り、ひたすら北上。
とれたてキッチンでフランクフルトとコーヒーでひと休み。
荒川大橋から、中の橋を抜け、しむらん通りへ出て帰宅しました。
こんなに走るつもりはなかったけど、
結局50kmオーバーをしてしまいました。
走るたびに、新発見。
だから、ゆるぽたは楽しいんです!
地下鉄の件もわかって、今日はぐっすり眠れそうです。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1685811526/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1530948742
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
炎天下、ハート💖の軌跡を描いてきましたよ!
2018.7.1(日)
ついこの前まで週末の空模様を気にしていたのに、
記録的な早さで梅雨が明けてしまいました。
またまた、2週間ぶりのライドです。
玉木宏さんは結婚されました!
真夏日+先週からの強風が気になり、
直前まで気温と風速とのにらめっこ。
今日のライドはヤバそうだな・・・。
とは言え、綿密にコースをイメトレしてきたので、
いざ出陣!
時は6:40。
気合を入れて出立じゃー!
勝手知ったる川口市、早朝で車も少なく走りやすいです。
工場地帯の新郷、植木で有名な安行を抜けて東川口へ。
県民健康福祉村
屋内施設には、温水プールと多様なマシン。
テニスコート、ソフトボール場、サッカーが出来る多目的グラウンドや、
一周約1.8㎞ののジョギングコースとウォーキングコース、
その外周には約2㎞のサイクリングコースがあり、
レンタサイクルもありますよ!
他にも野鳥の池・芝生広場・子供たちがのびのび遊べる冒険広場などなど、
1日の~んびり過ごせます。
国道463号線を渡るときに、
ふと見上げると、かなり薄型の信号機。
全国でLEDの信号機化は進んでいますが、
フラット型は薄型・軽量で専用光学レンズを採用していて、
フードも付いてないので、本来の機能に加えて、
強風・積雪・着雪等による影響を軽減されているそうです。
末田大用水路 Sueda-daiyousuiro
元荒川から分水されてくるこの用水路沿いを越谷市荻島小学校まで走ります。
田園地帯をほとんど信号機レスで快適でーす。
越谷春日部バイパスの陸橋側道は体力を消耗するだけなので、
東武スカイツリーライン 大袋駅南側の踏切を渡ります。
これからバイパスに沿って北上開始。
幅のゆったりした片側2車線になっているので、当然車道を走ります。
自走エリアが確保できれば、歩道を走るよりはるかに早く走れます。
新方川、大落古利根川、中川と3つの川を越えると、
ここでバイパスから離脱し南桜井方面へ。
一気に郊外らしい景色になってきました。
東武アーバンパークライン 南桜井駅付近。
むかしの野田線です。
次は東上線のネーミングも
カッコよくしてほしいですねー!
どこへ行くのかな?
進行方向の先に何やら大きい物体が見えてきましたね。
旧庄和町宝珠花の河川で揚げられる大凧の原寸大サイン。
百畳敷きの大凧のサイズは、
縦15メートル、横11メートル、重さ800キログラムとあります。
こんなのが飛ぶのかー。
800㎏が落ちてきたらヤバいなぁ!
国土交通省江戸川河川事務所
首都圏外郭放水路管理支所
やたらと肩書きの多い施設だが、
とんでもない場所だった!
地下に広がる現代のパルテノン神殿と言われるように、
水害時に大量の水を調整できる巨大な空間をもつ構造物があるそうです。
平日のみ予約制で1人でも見学が可能です。
マイナーながらタモリさんみたいな人たちには人気があるそうですよ!
すぐ横から、江戸川CRを開始することができます。
目指すは大凧揚げの会場がある宝珠花橋。
江戸時代後期、出羽の僧侶により養蚕の豊作占いから
凧揚げが伝えられたのが始まりで、
現在では初節句を迎える子どもたちの健やかな成長を祈願して行われています。
例年5月3日と5日の2日間に開催しています。
宝珠花橋 Houjuka-bashi
ここを渡って千葉県へ突入。
いよいよ、チーバ君の耳の先を目指してLet's go!
関宿関所跡 Sekiyado sekisyoato
ここ野田市関宿は、近世から近代にかけて利根川水運の中継地として栄え、
高瀬船や通運丸が往来して賑わいました。
幕府の要職にある譜代大名が配置し、
関所を置いて船の出入りを厳しく監視をしていたようです。
説明によると、当時の川の流れと現在では違い、関所の場所は川の中にあたるため
川に一番近いこの場所に石碑が建てられています。
関宿城?風建造物が見えてきました。
暴れん坊将軍のタイトルがジャジャジャーン!!
と出てきそうで、
いい感じですね。
けやき茶屋横から天守閣を望む。
千葉県立関宿城博物館正面入口
わきの休憩スペースには、10数人のローディの方々が楽しそうに語り合っていました。
サイクルラックにバイクを掛けても、
だれも施錠をしていませんでした。
たとえ盗まれたとしても、豪脚の仲間にすぐに捕まってしまうでしょう。
自分は、新参者なので?
セオリー通りにしっかりとチェーンロックをしてから
散策をしました。
関宿を後に、利根川に架かる境大橋を渡ると、そこはついに茨城県。
自力走行では、お初県です!
そして初利根川です。
さすが坂東太郎。雄大さを感じます。
坂東太郎とは、利根川の昔からの呼び名で、
関東(坂東)にある日本一の川の意味。
坂東は、足柄、碓井の山を境に東側の国をこう呼んだようです。
利根川越しに見る関宿城。
ここには、関東富士見百景の碑が立っています。
城の左横のあたりに富士山が見える時があるそうで、
春の桜の頃や、夕景でライトアップされた博物館も
素敵な画のパーツになります。
ひたすら利根川CRを走っていくと、
河川エリアがどんどん広くなってきます。
どこが対岸がよくわかりません!
新三国橋をくぐってしばらく行くと、
道端にいきなり古河城本丸跡の碑が。
この碑も河川の改修により意外と思われる場所に置かれているようです。
調べてみたところ、戦国時代に鎌倉を追われた足利成氏がここに本拠をおき、
約130年間代々、古河公方として引き継がれました。
古河城としては1470年代から文献に載るようになり、
北から南に向かって流れる渡良瀬川の東岸に位置したとあります。
古河城が築かれた台地は、川とその東側に広がる沼地にはさまれ、
北から南に伸びる半島状になっていたそうです。
江戸時代の城域は、水堀を含むとおおむね東西約0.45 - 0.55km、
南北約1.8km 程度の広さであり、関東有数の規模だったと考えられています。
城域の西側は渡良瀬川に接し、残りの三方を水堀に囲まれていて、
東南から南側は通行が困難な沼地が広がるなど、
自然の地形を生かす水に守られた要害だったようです。
三国橋 Mikuni-bashi
通過している路線は、国道354号とのちほど出てくる
栃木・群馬・埼玉・茨城県道9号佐野古河線です。
対岸の橋詰。ここまで来れば目的地はもうすぐ。
カスリーン台風決潰口跡碑
自分が生まれる一昔前、
カスリーン台風は、1947年(昭和22年)9月に発生し、
関東地方や東北地方に大きな災害をもたらしました。
埼玉県東村(現・加須市)新川通地先において本川右岸堤が破堤したのをはじめ、
渡良瀬遊水地周辺等で堤防が決壊しました。
中でも新川通では延長350mの破堤が生じ、
その濁流が埼玉県下にとどまらず東京都葛飾区や江戸川区にまで達し、
その浸水面積は約440㎢にまで及びました。
いよいよ最終目的地が目の前に広がって来ました!
遊水地の機能は、大雨などで川の水が急に増えたとき、
その一部を貯めて下流に流れる量を少なくする役割を持っています。
面積33㎢の遊水地で、
効率的な洪水調節を行うための調節池工事が昭和37年度より開始され、
現在は第1調節池、第2調節池、第3調節池の3つの調節池に分割されています。
通常、水をたたえているのがハート型を描くここ谷中湖で、
吸収時には、遊水地エリア全体で水をカバーし
洪水に対処するようになっています。
現在地は、ハートの下のあたり。
スタートは、中央エントランスからになります。
ここ中央エントランスから中の島を通り対岸へ。ブルースカイの中、
湖の真ん中を走る爽快感は格別です!
一周約7.2kmのスタート!
彩湖の1.5倍くらいかな?
自分のように、はるばる自走で来なくても、レンタサイクルもあるので、
気軽に満喫することもできます。
しかしながら、近年、渡良瀬遊水地の利用の増加に伴い、
残念ながら利用者間での事故等が発生し始めているようです。
「渡良瀬遊水地利用ルール&マナー」は、
渡良瀬遊水地をスポーツ等で利用している各種団体等で組織する
「渡良瀬遊水地スポーツ利用者等連絡協議会」が平成15年10月31日に組織され、
その折と平成16年2月16日に開催された第2回協議会を経て策定したそうです。
対岸のハートの右上までやって来ました!
やっぱりハート型を意識して造られた広大な湖であることが
わかります。
「渡良瀬遊水地利用ルール&マナー」
第3章 第6条(陸上利用について)
1.自転車、ランニング、インラインスケート、ローラースケート等で
貯水池内道路を走行する際は「反時計回り(左回り)」とし、
左側通行を心掛ける。
2.自転車、インラインスケート、ローラースケート等で渡良瀬遊水地内を走行する際
は、常に歩行者等、他の通行者及び作業車両等に注意し、
すれ違いや追い越しの際には、急な飛び出しにも即座に対応できる速度で走行する。
3.自転車で走行する場合は、徐行エリア及び交差点部を最徐行する。
また、集団走行をする場合は、事前申請し、許可を得なければならない。
4.球技を行う際は安全上十分な広さを取り、道路上では行わないこと。
などなど。
このブログを書くにあたって調べていたら、
こんなルールがあったことをあとで知ることになりました。
偶然にも、ルール通りに反時計回りにまわっていて良かったと思いました。
当然、知らない人が大多数だと思うので時計回りの人も見受けられました。
河川のCRより全然広いので、地面に大きくサインを描いたり、
看板を立てるなどすれば、ルールに気づく人も多くなると思います。
中央エントランスまで戻って来たので、
目の前の道路を渡って三県境へ向かいます。
自転車で横断するには、ちょっと怖い。
このなんの変哲もない片側一車線の道路が、
車で走ってみると・・・なんだこりゃ!その名も、
そうです、先ほどの三国橋を通る道路です。
渡良瀬遊水地南岸の県境が複雑に入りくんでいる区間を通過するため、全国唯一の4県
(栃木、群馬、埼玉、茨城)通過県道となっています。
茨城、埼玉、栃木、群馬、埼玉、群馬・・・みたいな。
進むにつれて、目まぐるしく県名標識が変わります。
ガリレオの湯川学に言わせると、
実に面白い!
三県境 Sankenkyou
山や川、海で分県する所が多い中、
埼玉県、群馬県、栃木県の交わる平地では珍しい三県の県境。
ちょうど前日にテレ東で『北関東縦断めざせ那須高原!150キロ道の駅駅伝9』が
放映されました。
道の駅を芸能人が駅伝をする番組でA.B.C-Zの塚田君が
「道の駅きたかわべ」へ向かう途中に寄った場所です。
おととしのゴールデンウィークの時、イチゴ狩りの帰りに来たことがありますが、
その時よりきれいに整備されていました。
ここから、帰路に入ります。
暑さと風を考んがえて、復路は川沿いを避けて
自販機やコンビニなどで休憩がとれるようにしないと無事には帰れないでしょう。
幹線道路を主体に進むことにします。
北川辺は、米作が盛んで見渡す限りお米だらけ。北川辺コシヒカリです。
埼玉県道46号線に出て、利根川に架かる埼玉大橋を渡ります。
ここは、立派な橋のくせに、歩道が弧を描く頂点へ行くほど狭くなり、
幅が約1mになってしまいます。
完成以来、改良も試みられたようですが、
とても自転車同士のスレ違いは無理です。
なんとか、渡りきったところにある「道の駅 童謡のふるさと おおとね」で休憩。
先日メルカリで購入したソーラーバッテリーを使って
携帯にもエネルギーを注入!
童謡のふるさと という冠名の由来は、
加須市大利根地区で「たなばたさま」「野菊」を始め、数多くの童謡を残した
作曲家・音楽教育家
下總皖一(しもおさ かんいち)のふる里
というところからつけられ、道の駅には銅像もあります。
のんびりもしていられないので充電をやめて、
栗橋へ向かい、国道4号線を南下することにします。
権現堂川 Gongendou-gawa
利根川から中川までの間を結ぶ約5㎞ほどの川で、かつては利根川の本流だったそうです。
川沿いは桜の名所で、ボートピア栗橋(ボートレース場)などもあります。
対岸は埼玉県五霞町で工業団地です。
プランクトンが大量に発生しているのか、
川の色が入浴剤のようです。
栗橋から国道4号線の側道に入りましたが、
草ぼうぼうのジャングルみたいだったり畑の側道だったりで
最悪です!
人っこひとり、自転車も通っていません。
幸手市に入り、難読な地名の信号が出てきました。
由緒のある重厚感がある地名。
外国府間(そとごうま)
国府との関係があるらしく、下野、下総、武蔵の各国分寺のほぼ中間に
幸手の地があたることから来ているようです。
中川にかかる行幸橋を渡ると内国府間(うちごうま)に入りました。
権現堂公園横のセブンイレブンで牛乳とパンを買ったけど、
イートインスペースがなかったので、外にすわって食べようかどうしようか
迷っていました。
ちょうど、ANCHORに乗った方と会い「暑いですね!」と
あいさつをかわす。
結局、目の前に公園があるので、移動をしてベンチで食べました。
権現堂公園 Gongendou-kouen
食べながら駐車場ごしにあじさい群をながめていると、
花を見に来ていた人たちが手に手にあじさいの花を持っています。
咲いている花を摘んじゃっていいのか???
ペースもかなり落ちているし、
ここはまだ埼玉県北東部の幸手市で、東京まで約50㎞。
先はまだ遠いので走り出さないと。
ひたすら国道4号線を南下。
暑さと風、狭い車道を回避しての段差だらけの歩道、
そしてミニベロのサンダルオヤジが
俺のほうが早いぞと言わんばかりに
チャチャを入れてきます。
こっちは、すでに100㎞走っているんだ!
ダメージはMAAAAAX!
疲労が蓄積され、日陰を探しては休憩を取り、また走り出すの繰り返し。
何時に帰宅できるのか?
不安になってきました。
越谷市を通過するころ、国道4号線ともオサラバして
往路と同じ末田大用水路沿いを走ります。
日が傾いて影も長くなり、少し酷暑さから解放されて足取りも戻ってきました。
川口安行藤八のセブンで最後の休憩をとり、前後のライトを点灯。
家に着いたのは19:30頃。
おおよそ13時間のうち約9時間の乗車時間なので、
約4時間が休憩時間でした。
マイペースで走っていたので、熱中症にもならずに無事帰ってきました。
ここのところ乗るたびに距離の更新が主体になっていましたが、
夏日の時には、長距離はやめるようにちょっぴり反省をしました。
でも、頑張った甲斐があって、
下に添付したログの真上にハートを描くことができ、
感激です!
明日の結婚記念日に間に合いましたー!!!
今日、茨城県と群馬県を通過し、関東7県のうち6県を制覇しました。
残るは神奈川県のみ・・・。
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1673539345/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1530443087
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!
ついにあのマルゲリータを食す!からの梅コロッケ経由、川越氷川神社のかざぐるま。
2018.6.17(日)
雨の週末に乗れないのはストレスがたまります。
2週間のご無沙汰でした。
玉置 宏です。
(たまおき ひろしさんです。)
ちょっと違うか??
ネタが古すぎて知っている人がいないかも。
充電しすぎて過熱気味です。
さっそく出かけましょう。
今日は出だしやや涼しく、午後から24°まで気温が上がってくるようなので、
ちょうどいいかも。
とりあえず、前々回のお題をクリアしに加藤牧場へ
向かいます。
税務大学校 和光校舎
桜の時もきれいだったけど、
いつもよく手入れされています。
和光樹林公園と大泉中央公園の間を通って、新座方面へ。
大橋交差点を直進して、関越自動車道の左側道を北上。
平林寺を通り越して菅沢交差点をクランク、
柳瀬川を渡って左折、県道179号線で東所沢へ向かいます。
滝の城跡400m。
近いので寄り道しようか、どうしようか悩みましたが、
城跡とあるので、パスします。
調べたところ、台地の縁辺部を利用した多郭式平山城で、
土塁・堀・櫓台が残り、本郭・二の郭・三の郭の内郭と
それらを囲む外郭で構成されています。
戦国時代には、多摩西部と北関東の諸城を結ぶ伝えの城として
重要な役割を担っていたようですが、
天正18年(1590年)豊臣 秀吉による小田原征伐とともに落城し、
以降は廃城となりました。
現在、城跡の主要部分は、城山神社の境内地となっています。
9秒カレー 所沢店
カレー好きの自分には、
ちょっと興味をそそられる店名で
千葉に初出店と以前TVで見ました。
それ以来、気になっていましたが所沢にも出来たか?
まだ開店前だし、ここで食べてしまうと楽しみがなくなる。
また今度ということで。
狭山環状有料道路
県道126号線を北上していくと、入間川にかかるこの橋にぶち当たります。
迂回するのもタイムロスだし、きれいな景色が広がっているに違いない。
自転車20円なら渡ってみるか?と、走ってみたものの、
特になんの特徴もない1.8㎞の橋。
普通車150円。
徒歩は無料。なので、オジ散歩が多いです。
ウナギなのかドジョウなのかよくわからないお口に、
20円のお支払。毎度ありー!
タダでいいじゃん!
柏原小交差点を右折すると、チョイ坂出現。
上った左にセブンイレブンがあったので、
コーヒーブレイク。
程なく進むと二又に道が分かれています。
たぶん左だったよな。
でも、少し不安になりグーグルマップで確認・・・
BINGO!
すっかり有名になったサイボクハムまで来ました。
現在11:00ですが、第一、第二駐車場はすでに満車状態。
たくさん駐車場はあるようなので、
少し離れるけど置けないことは無いようです。
しかし、中は多くの人でごった返していました。
ここは、本日の目的地ではないので素通りしまーす。
サイボクハムの先を左へ。
白い紫陽花がきれいだったので撮影しました。
圏央道をくぐり、日高バイパスへ。
高萩北杉並木の交差点で工事中になり対向一車線づつの狭い道になります。
狭い歩道が片側しかなく、
対向の自転車に乗ったおばさんに道をゆずりました。
その先にベイシア日高モールがドーンと現れ、
左折すると間もなく左側にそれらしき建物が・・・。
加藤牧場 Baffi
ついにやって来ました。
雰囲気のあるトラクターがお出迎え。
いい感じです!
サイクルラックも完備されています。
一番乗り?じゃないと思うけど、着いた時は他にいませんでした。
帰るころには、2~3台ロードの人が来ていてラックも賑わっていました。
店内には、有名人のサインがいっぱい。
こぢんまりとした店内は、人でいっぱいです。
入った瞬間、自分が走って来たせいもあってか、
暖房がついているような暑さを感じました。
メニューは、黒板に書いてありますが、
手書きで整然としていないので、お宝が隠れているかもしれません。
ジェラート、ソフトクリーム、牛乳、ヨーグルトから
ピッツア、チーズ焼きおにぎり、鍋(高麗鍋)、
チーズ丼(限定やらバリエーションあり)、チーズフォンデュ、
チーズリゾット、パスタ類、ラクレット焼き、カプレーゼ、高麗鍋肉まん・・・と
多彩です。
おみやげも、チーズやプリンといった乳製品が豊富にラインナップ。
もちろん、今日のお目当ては580円の窯焼きマルゲリータ。
うれしいことに500円以上の食事には、
ドリンクサービスがあります。
大きさは手頃なMサイズ程度で、
ふっくら生地にソースとチーズがたっぷりのっかっています。
想像していた通りのおいしさでした!
窯焼きピッツアは、このほかクアトロ・フォルマッジョとキーマカレーがあります。
火、土、日、祝祭日限定で売り切れ次第終了ですよ!
外は、広い敷地に小さい子が走り回れる広場と牛舎があります。
結構多くの乳牛が飼われています。
牛君もちゃんとポーズをとってくれました。
ラックのそばに咲いていた小さな赤い花。
さて、ここまで来たらもう少し足をのばしたいところが。
高麗川方面へと西へ向かいます。
二人のサイクリストとすれ違いました。
荒サイ倶楽部の人たちかな??
川越線の踏切100m手前を右折。
突き当りを左折して八高線の踏切を渡ります。
南平沢の交差点を右折し、毛呂山町を目指します。
毛呂山町のメイン毛呂駅の近辺は、埼玉医科大学とその病院があるため、
思っていたより開けています。
毛呂山町のみなさん失礼しました。m(__)m
さらに北上して行くと、見たことのある風景になって来ました。
越生町に突入です。
肉のひろさわ
もう一つの目的地としたこの店は、
以前、何度か家族で秩父のキャンプ場へ向かう時にBBQ食材を仕入れて、
帰りにも寄って秩父ホルモンを買っていました。
揚げ物もいろいろと作っていて、その中でも越生梅林にふさわしい梅の入っている梅コロッケがあり、
その味が忘れられなくてやってきたのですが、
閉店ガラガラ。
なんと、休みでした。
Oh my god!
(日曜日は、定休日でした。)
仕方ないので、駅までいってみよう・・・。
越生駅 Ogose Station
いまの時期、あじさい街道には花が咲きほころび、
多くの人たちが訪れているはずなのですが、昼の駅前は閑散としています。
7月21、22日には、越生祭りがあります。
祭礼の初めは、文化文政(1804〜1830年)の頃からといわれ、
祭りの主役である六基の山車は、
夕方になると提灯に明かりがともされて引回しがはじまります。
駅前歓迎アーチもちょっと寂しげ。
町のアピール看板がずらり。
ここから黒山三滝または、あじさい街道へ行く選択もありますが、
いずれにせよヒルクライムになってくるので、
ほとんど平地走行の自分は弱腰になり、
帰りのことを考えると躊躇してしまいました。
そこで、前々回に川越から帰って来たあと、
何でここへ行かなかったのだろう?と後悔をしまくった、
川越氷川神社へまわって荒サイから帰ろうと決めました。
この川は、あの桜の花筏のなかを行く
小江戸川越春の舟遊が行われている川に違いない。
川沿いに沿って走れば川越氷川神社のウラに続いているはず。
新河岸川(旧 赤間川) 田谷堰 Tayazeki
趣のあるレトロな堰。
かつては城下堰、小仙波堰、滝下堰と4基建造されたが現存するのは田谷堰のみ。
木製ゲートも昔のままの姿を残してます。
ここから、300mほど行くと神社の裏手に着きました。
川越氷川神社 大鳥居
明神型・杉材
平成の御代替わりを奉祝し同二年に建立された。
高さ15mの大鳥居は、木製のものとしては国内随一の規模を誇る
(笠木の幅20m、柱周6m)。
中央扁額の社号文字は幕末の幕臣、勝海舟の直筆によるものである。
(境内立て札より)
ここは、祀られている神様が家族で構成されていること、
夫婦の神様が2組含まれていることから、
夫婦円満・縁結びの神様として信仰されて来ているので、
縁結びのパワースポットになっています。
境内の風鈴棚にたくさんのかざぐるまが設置されています。
深い水色と浅葱(あさぎ)色。
浅葱は若手神職の袴の色です。
とてもきれいで、人気になるわけです。
6月最終週までのほんの短い間限定。
今日来なかったら、
今年はもう見られなかった!
また、縁むすび風鈴は7月7日(土)から9月9日(日)まで
およそ2000個の江戸風鈴がここに飾られます。
それにしても、ここもたくさんの人たちであふれています。
自転車を停めるような場所があれば、参拝したいところでしたが、
見当たらないので退散します。
川沿いを通り、川越市立博物館入口交差点から東へ向かいます。
伊佐沼 Isanuma
自然沼としては埼玉県内最大、関東地方でも千葉の印旛沼に次ぐ広さです。
南北朝時代に古尾谷氏の家臣・伊佐氏が沼を浄化してため池にしたとされ、
以来、伊佐沼と呼ばれるようになりました。
戦前までは現在の倍の広さがあったそうです。
沼の西岸から国道16号線に出て、あのなが~い上江橋を渡り、
荒サイを南下していきます。
秋ヶ瀬公園を抜けて、例の亀のいた橋をまたのぞいてみたら、
水が茶色に濁りその姿は見つけることが出来ませんでした。
彩湖
ここまで来ると、いつもなぜかほっとしますね。
先客ローディの方が休んでいたので、
こちらもひと休み。
再出発して、土手を走っていると
アニキャラの派手なジャージを着たローディーの女性が
ペダルを踏んでは逆回転させながら走っていたので、
抜かして行くと、相方の男性が先で待っている。
携帯を操作するために自分が停まると抜かされる。
を繰り返して
都市農業公園のレストハウスまでほとんど一緒でした。
よくわからんけど調整でもしていたのかな?
フランクフルト300円
普段あまり食べることがないフランクフルトですが、
小腹がすいたので、食べてみたら美味しかった。
アンティーク調 トレー
トレーがオシャレだったので、画像編集してアンティーク調に加工してみました。
さて、いい時間になってきたので、鹿浜橋から向こう岸へまわって
帰ることにしましょう。
自宅近くに戻ってくると118km。
前回110kmなので、なぜか+10㎞に調整をしたくなり
中板橋まで行って帰って今日のライドは終了!
このくらいの距離が限界かな?
Stravaでライドをしました: https://www.strava.com/activities/1643594547/shareable_images/map_based?hl=ja-JP&v=1529224314
キャッチアイコンに出ている
イエローのITMステムが目印。
見かけたら声をかけてくださいねー(゜∇^d)!!